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第54話 初心忘れるべからず

第五十四話『初心忘れるべからず』


『私の家族。2年1組・哀川美月。

 私のお母さんは、私が小さい時に病気でお空の国に行っちゃいました。今は雲に乗って、とっても大きなハイイロオオカミとネコさんと一緒に、私のことをお空から見守ってくれています。

 私のお父さんは、目玉焼きを作るのがとっても上手な冒険家です。たくさんのダンジョンに入って、いろいろな宝物を取ってきます。お泊りも多いいけれど、帰ってくるとモンスターやダンジョンの秘密、不思議な植物とかのお話をた~くさんしてくれます。お出かけの時には「いってきます」、帰って来た時には「ただいま」のキスもしてくれます。冒険から帰って来た時はとっても臭いけれど、嬉しいから我慢できます。

 私のお婆ちゃんは、お料理がとても上手です。いつも美味しいご飯を作ってくれます。あと、お裁縫も上手で、私がお洋服に穴をあけちゃっても綺麗に縫ってくれるし、新しいお洋服も作ってくれます。

 私はお母さんもお父さんもお婆ちゃんも、みんな大好きです』


 これは、小学2年生の時の作文。授業参観で発表して、お父さんが喜んでくれて、帰りに大きなパフェを食べに喫茶店に寄ってくれた。皆の前で「臭い」とか言ったのに、とっても喜んでくれたんだよね。今なら、その臭いはしょうがないって思えるし、それだけ危ないダンジョンだったんだって分かる。最近の私がそうだし、入院だってしちゃったし。はぁ… さすがに、入院中に夏休みに入るとは思わなかったけれど。


『私の夢。4年1組・哀川美月

 私のお父さんは『ダンジョン探索者』です。日本中だけじゃなくって、世界中にあるダンジョンに入って、色々な宝物を採ってくるお仕事です。その宝物は、私たちが生活するためのエネルギーや資源になります。ダンジョンによっては何日も帰ってこない日があったり、怪我をして帰って来ることもある、危ないお仕事です。でも、探索の話を聞くと、私はとてもワクワクします。学校の先生や、テレビやラジオでも教えてくれないこと、本にも載っていないことがたくさんあって、私も大きくなったらお父さんとダンジョン探索をしたいです』


 これは、小学4年生。この頃には、絶対に大きくなったらお父さんとダンジョン探索するんた! て、決めていたんだよね。でも、大きくなるのが待てなくて、お父さんがダンジョンに行く日、こっそり跡をつけたりもしたなぁ。お父さんはもちろん、お婆ちゃんにも見つかって、1回も行けなかったけれど。… お父さん、まだ取っておいてくれたんだ。


 7月も中旬になったある日の早朝。繁華街に近く、高層マンションに囲まれているその家は、庭付き平屋の古めかしい一軒家。ビル風が家の中を通過しているおかげで、かすかにヒンヤリとしている6畳程の畳の部屋は、本棚に収まりきらない本や写真集で溢れている部屋の隅、たたまれた布団に寄りかかって古い作文を読んでいた美月は、パタンと腕を布団の上に投げ出しました。幼い文字が視界から消えて、丸い月見窓が見えます。背中を起こすと、窓の下に置かれた古い文机と、その上に飾られている古い家族写真が視界に入って来ました。そして、ふわりと現れる、文机の前に胡座をかいた作務衣を着た男性の後ろ姿。自分の心が生み出した幻だと分かっていても、美月はその広い背中に話しかけます。


「お父さん、私、もう高校生になったよ。だから、ダンジョン探索を始めたの。ダンジョン、楽しいね。色々な発見や出会いがあって、とっても刺激的。生配信も頑張っているよ。顔出しは恥ずかしいけれど… 一応、好評かな。まぁ、ギャルにならなきゃいけないのはまだ抵抗あるけれどね。そうそう、ギャルのお友達も出来たんだよ。この私に。凄いと思わない?」


 … 返事はなし。当たり前か。


 ユラっと消えそうになっている背中を見てため息をついた時でした。ボスボスと襖がノックされてしわがれた女性の声が話しかけてきました。


「美月ちゃん、大ちゃんと黒崎先生が来ましたよ」


「は~い。今、行きます」


 襖に向かって返事をした美月は、立ち上がってもう一度文机の方を見ましたが、そこには男性の後ろ姿はありませんでした。


「初心忘れるべからず! 絶対に、迎えに行くからね。待っていてね、お父さん」


 残念に思いつつも、フン! と気合を入れて部屋を出る美月。その後ろ姿を、ワンピース姿の女性が優しい笑顔で見送っていました。文机の上に飾られた、女生と同じ笑顔で。


さて、今日から気合の入れ直し。この夏休み中にどれだけレベルアップできるかにこれからがかかってくるよね。


磨き込まれた古い廊下を歩いて、色あせた襖の前に立って深呼吸を一つ。


「お、おはようございます」


 そろそろ~と、お茶の間の襖を開けて顔をのぞかせる美月。すると、座卓に向かい合って座っていた黒崎先生とカルミア社長の顔が、ゆっくりと美月に向けられました。


「おはようございます」


「おはよう、美月ちゃん。朝早くにごめんなさいね。準備はどう?」


 社長、今日もキラキラ輝いてる。2人とも、こんなに朝早いのに通常運転できるなんて凄いなぁ。夏だからもう明るいけれど、まだ5時だよ。


 カルミア社長に手招きされた美月は、隣にちょこんと座りました。


「あ、はい。ほとんど出来たんですけれど…」


 お泊りセット、三日分あれば大丈夫って言われたから用意したんだけれど…


「何か、問題でも?」


 美月の表情が曇ったのを見て、黒崎先生が聞いてくれました。


「美月ちゃん、ほら出来たよ」


 その質問に答えてくれたのは、美月の後ろから現れた小さな老婆でした。地味な薄物の着物に白い割烹着、真っ白な髪をお団子にまとめた老婆は、腕に数枚の服を引っかけていました。園枝ハナ、美月の祖母です。


「あら、ハナちゃんそれは? 繕い物?」


「美月ちゃんのお洋服。お勉強合宿に行くって言うのに、ほつれているし穴だらけだし切れているし… 恥ずかしいわよね。ただでさえ、こんなに布地が小さいのに」


 カルミア社長に聞かれて、腕にかけていた一枚を広げて見せたハナ。それは、綺麗に繕われた元・ダメージ加工のショートパンツ。元のブルーデニムに近い色の布があてがわれていて、まるでパッチワークパンツです。


 相変わらず、芸術点が高いわ。お婆ちゃんのお裁縫の腕、天下一品なんだよね。


「そもそもこんなに小さい布じゃぁ、お尻が零れちゃうわよねぇ。ほら大ちゃん、これも見て。夏用ニットだって言っても、こんなに穴が開いていたり、肩が出ちゃったら来ている意味がないでしょうにねぇ~」


 ダメージ加工のサマーニットは、大小の花のモチーフが縫い付けられています。


「あら~。さすがハナちゃん。見事だわ~」


 あら~、あら~。と関心の声を上げながら、ハナの繕い物を一通り眺めているカルミア社長。ハナは「隠すのよ、あの子」て、困り顔のハナ。


「安くはなかったから、隠していたんだよぉ」


 そんな2人を見ながら、美月はトホホホホ~… と、げんなりと肩を落とす美月。


「会社の新作を支給してもらえばいいですよ。それか、僕がプレゼントしても?」


 フワッと微笑みかけられて、ドキッとした美月。


「あ、あああ… 新作、新作をもらいます。いえ、買います。社割で」


「では、次回」


 慌てて両手を振った美月に、黒崎先生はニコニコしながらグラスに入った麦茶に口を付けました。


 買う気だ。本気で買う気だ、この人。… 黒崎先生って、本当に分からない。一番、謎かも。学校の先生の時は穏やかな性格で、ダンジョン探検者は無口で腕が立つ。けれど、どっちの姿でも、怒るととっても怖い。どれも同一人物とは思えないんだよねぇ。私みたいに、どれかの姿が演じているっていう訳でもなさそうだし。


「何か、顔についていますか?」


「あ、いえ。ついていないです」


 チラチラ見ていた美月は、勢いよく下を向きました。


「あら? お見合いでもしているみたい」


 そんな美月の肩を、カルミア社が優しく叩きました。


「さ、行きましょうか」


「あ、は、はい」


 慌てて立ち上がった美月は、ハナから繕った服を手渡されて苦笑いです。お茶の間の隅に用意しておいたパステルオレンジのキャリーケースに服を詰め込んで、出発準備完了です。


「ハナちゃん、大切な大切なお孫さんをお預かりしますね。ちゃんと五体満足、頭の中身はレベルアップしてお返ししますから」


 カルミア社長は玄関まで見送りに出てくれたハナと、その両腕の中にすっぽり収まっているクラゲに頭を下げてご挨拶。


「何かありましたら、こちらにご連絡ください。今回の勉強合宿で使用する宿の番号です。24時間対応していますので、時間はお気になさらず」


 黒崎先生は用意していたメモをハナに渡します。


「やっぱり、誰か一人つけましょうか?」


「大ちゃんは心配性ねぇ。最近は、バイトバイトで美月ちゃんがお家を空けることだって多いいから、一人に慣れたの。ああ、今はクーちゃんがいてくれるから寂しくはないわよ。まぁ、そのバイトのせいでお勉強が大変になっちゃったみたいだけれど。私は大丈夫だから、心置きなくお勉強してきなさいね」


 カルミア社長の申し出をニコニコと断って、ハナは「疲れたら食べなさい」と美月に小さなタッパーを差し出しました。


「お婆ちゃん、クラゲをよろしくね。クラゲ、お婆ちゃんの言うこと、ちゃんと聞いてね」


 頷いてタッパーを受け取る美月。


 お婆ちゃんごめんなさい。学校主催の勉強合宿なんて嘘。超進学校でもないのだから、高校一年で一か月以上も勉強合宿なんてないよ。本当は探検者としてのレベルアップ合宿なんだよね。けれど、本当のことを言ったら余計な心配をかけちゃうから。


「はいはい。くーちゃんといい子でお留守番していますよ」


 ハナの返事と同時に、ニュッと触手をあげて答えるクラゲ。そのクラゲの頭を撫でて、美月はキャリーケースを引いて、木造の簡素な門をくぐりました。


 待っていてね、お婆ちゃん。きっと、お父さんに関するいい情報を掴んで帰ってくるから!


 美月、初心を再確認しつつ、熱い思いを胸に出発です。Next→



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