第六十一話『ご飯は皆で楽しく食べましょう』
「よ~っく、噛んで食べなさいよ!」
広い社員食堂に、シスターの声が響き渡ります。割烹着姿のシスターさんが用意してくれていたお昼ご飯は、七分づき米の鮭と炒り卵のお握り・ゴマと梅干しと大葉のお握り・ゴロゴロお野菜たっぷりの豚汁・鶏むね肉のサラダ・沢庵とキュウリの糠漬け。デザートは甘酒とバナナのプリン。暖かいほうじ茶付き。トレーの上に並ぶそれらは、全部シスターが用意したものでした。
スゴ… これ全部、シスターさんが用意してくれたんだ。めちゃくちゃ美味しそう! やっぱり「お母ん」だ。
シャワーを浴びて化粧もやり直したアイは、とても落ち着いて「ありがとうございます」の気持ちを込めて、静かに手を合わせました。そう思ったのはアイだけではなく、食堂に集またカルミア社の社員さん達も同じ用です。皆、静かに手を合わせると、勢いよく食べ始めました。
「本社でのトレーニングにしなくて、本当に正解だったわね」
アイの右隣でサラダを食べているのは、「エキドナ出現」の報告を受けて慌てて帰ってきたカルミア社長。お箸の使い方がとても綺麗で、アイはジッと見てしまいます。そんなアイの口に、正面に座っているスピリタスがサラダの鶏肉を突っ込みました。ズボッと。
ビッ、ビックリした。しっかり食べて、体を作りなさい。って事かな? シスターさんが作ってくれたご飯、運動後に良いメニューだもんね。最近、スピリタスさんやバロンさんに色々教えてもらっていたから、少しは覚えて来た。
「しっかり噛むことは脳の活性化につながるし、消化にもいいんだよ」
はい! と、今度はバロンがアイの前に差し出しました。まだ口をつけていない、鮭と炒り卵のお握りを。まだモグモグしているアイは、思わず顔の前に手を出しました。
「社長はともかく、貴方は戻ってこなくても良かったんじゃないの?」
アイの左横に座ったのは、一仕事を終えたシスターでした。割烹着のまま、自分の分のトレーを持って。
「いやいや、俺が戻ってきて正解、大正解だってでしょうが。体育館の中は大火事だってけれど、外は大洪水。あの中で戦えたのって、俺しかいなかったんだから」
バロンは差し出したお握りを半分に割って、片方は差し出したまま、もう片方を自分の口に入れました。
私達が体育館の中でエキドナと戦っていた時、結界の外の廊下では引き裂かれて燃えたガマガエルが復活して館内を徘徊しようとしていたらしい。それを、片づけてくれたのが大学から戻ってきたバロンさん。でも、どうやって倒したんだろう? バーサーク状態で際限なく切り刻んだとか?
「何言っているのよ。アイテムを使うなら、貴方じゃなくてもいいの。誰でも出来るでしょう、マーシレス・モライの歯を砕くなんて」
マーシレス・モライの歯?
「あら、アイちゃんはまだ貰っていなかった?」
ゴックン。と飲み込んだのと同時にキョトンとしたアイに、シスターは割烹着のポケットからキャンディーのような白い塊を取り出してアイとの間に置きます。それを見ようとしたアイの口に、今度はお握りが突っ込まれました。鮭と炒り卵のお握りがスピリタスの手で。
「あ、ズルくない?! 今度は俺の番だったのに」
抗議の声を上げるバロンを気にもせず、スピリタスはアイの口に入りきらなかった残り、3分の2を頬張りました。
「「あー!!」」
シスターとバロンの叫び声に、食堂にいる人たちの視線が集まりました。思わず両手で耳を塞ぐアイ。シスターとバロンの額にデコピンをお見舞いするカルミア社長。額を押さえて悶絶する二人をしり目に、お握りをお箸で食べながら言いました。
「アイちゃんは攻撃魔法が使えるから、まだ渡していなかったのよ。効果もハッキリしていなかったし。ほら、本社が野良ダンジョンに飲まれた時があったじゃない? あの時、スピリタスが捌いてアイちゃんが燃やしたマーシレス・モライの歯、あの歯を調べたらね、砕くと発火することが分かったのよ。大方の歯はアイちゃんの魔法で燃え尽きちゃったのよね? だから残った歯は、運よく? 魔法を吸収したじゃないかって、研究室の見解なのよ。でも、研究室ではその質力を調べるには装置的な限界があるみたいだし、モノによって発火量が違うみたいで、安全性が認められないから商品化することが出来なかったのよね」
あ~、あの時のマーシレス・モライの歯! ネイルチップ10枚とあの時の魔力全投入した爆発的な炎で焼け残った歯! 武器や防具とかに使えるかな? って思っていたけれど、そっか~、安全性が確保できないと商品化は無理か~。
「え… ちょえ、魔法を吸収したのは可能性として分かるけどさ、マーシレス・モライの歯ってトパーズとかアレキサンドライトとかと並ぶ高度のはずだよね? どうやって砕く… 砕くって言ったよね? シスターさん」
アイ、今度は自分で豚汁を飲みながら聞きました。
「結晶や岩石でも、割れやすい方向ってあるのよ。劈開って言うのだけれど、表面をそぐように刃物を動かすとパッと開くように割れるのよ。だから、ナイフ一本あれば大丈夫。シスターちゃんは砕くって言ったけれど、正しくは『割る』ね」
あ、確か、カンラン石とか黒雲母とか長石とか、中学生の理科で習った時に教わった気がする。
「こんな小さな石なのに、アイちゃんの魔法を吸収しただけあって、威力は凄いわよね。廊下が使えなくなったって聞いたけれど、何個使ったの?」
おちょぼ口でチマチマと食べ始めたシスターは、「アイちゃんだげズルいわ。ズルいズルい」と小鳥のさえずりのように囁きました。
ズルいって言われても… スピリタスさんが勝手に突っ込んでくるんだもん。でも、体育館から出るとき廊下を通れなかったのは、そういうことだったんだ。
「3つ。最初の2つは超~ショボくって、線香花火ぐらいの火力しかなかったんだよね~。線香花火だったらパチパチって風流でいいけれどさ~… あ、アイちゃん、この合宿が終わったらさ、花火大会に行こうよ。九月でもやっているところあるはずだから、もちろん、最初から最後まで俺にエスコートさせて。浴衣の着付けも任せてよ~。いだっ!!」
今度はスピリタスがバロンの額を指で弾きました。バチン! と響いた音に、シスターとアイは口に入れていた物をゴックン! と飲み込みました。
うわっ… あれは痛いな~。痣どころか腫れちゃってるんじゃないかな?
「下心を隠そうとしないなんて、潔いわね~。でも残念。アイちゃんは自分で着付けできるのよ」
ね。と、カルミア社長はアイに微笑みかけます。コクコクと頷くアイ。
まぁ、お婆ちゃんに教えてもらったから、浴衣とかちょっとした着物は自分で切ることができるけれどね。花火大会か~。最後に行ったのはいつだっけ? あ、鮭と炒り卵のお握りも美味しかったけれど、ゴマと梅干しと大葉のお握りはもっと美味しい。これ、大好きかも。
「アイちゃんて、ギャルのわりには大和なでしこよね。それ、美味しい?」
両手でお握りを持って幸せそうに食べているアイを見て、シスターはそわそわと嬉しそうに聞きました。
「ん~、うますぎやろが~い」
ご機嫌なアイの返事を聞いて、シスターは
「そう? 簡単なのよ。でも、よ~く噛んでね。よく噛むと唾液もよく出るでしょう? 唾液って抗菌作用があるから、唾液がよく出ると口の中の清掃効果が高まるのよ。そうすると、虫歯や歯周病や口臭の予防にも効果があるんだから」
なんてそっけなく言いながらも、ニコニコと同じお握りを食べ始めました。
噛むって、大事なんだなぁ。うちのお婆ちゃんがボケていないのって、よく噛んでいるからかな?
「でも、このサイズ1つで廊下が壊滅しちゃうなんてね。レベルが低い冒険者には無理ね。スピリタスは何個使ったの?」
フンフン! と、シスターの話に頷きながらモグモグしているアイを優しいまなざしで見つめながら、カルミア社長が聞きました。
この小さな歯一つで、廊下が壊滅…。破壊って、どのレベル? スピリタスさんも歯を使ったの? あ、あの植物を燃やした火がそうだったのかな?
カルミア社長の質問に、スピリタスは豚汁を啜りながら指を一本立てました。
「1個で? スピリタスさん引き強いなぁ~」
いいな~。と、バロン。まだ額が痛むのか、手を拭いたオシボリを当てながらサラダを食べています。
1個であの威力…。体育館を埋め尽くした植物、結構な勢いで燃やしたよね? あ、着火したのはエキドナだったっけ。再生前の本体サンプルも欲しかったけれど、一気に燃やし尽くされちゃって残念。あの火の中、破片サンプルを拾い集めるのが精一杯だったし。植物は焼きたいけれど、体育館は燃やしちゃいけないから、魔法で消火するのが難しかったし。
「当り前じゃない。引きだけじゃないわよ。スピリタス様の剣技、今日も冴えわたっていたわ~。バロン、貴方いなくて正解よ。居たらエキドナと一緒に切り刻まれてサンプルにされていたわよ。あ、そうそう社長、アイちゃんが作ったサンプルはこの施設で実験や分析をするんですか?」
おちょぼ口って、入り口が小さいだけで中はそうでもないんだ。シスターさん、せっせとお箸でご飯を運んでいるけれど、咀嚼するまでお箸を何回も動かしているもんね。… リスみたいって言ったら、怒るかな?
「いいえ。今回のサンプルも、前回と同じように組合に回すわ。情報の共有という意味もあるけれど、エキドナ程の強いモンスターの分析はうちの研究施設じゃ間に合わないと思うのよね。悔しいけれど。人体に関する基礎データーは山ほどあるから、アイちゃん達の体に関する分析とかは得意なのだけれどね」
ふ~ん。何でも出来ると思っていたけれど、そういうものなんだ。
「ハイハイ、俺からも質問。明日からの訓練は、どこでやればいいんですか? 近所の総合体育館とか? 今まで通りのメニューで構わなければ、公園とかでも出来るけれど、アイちゃんのお肌がこんがり焼けちゃいますよ。焼けたら焼けたで、健康的な魅力がアップするだろうけれど、シミとかソバカスが気になっちゃうよね?」
懲りずにゴマと梅干しと大葉のお握りをアイに差しだすバロン。アイはスッと手をあげて拒否をしつつ、豚汁をすすりました。
あ~、この豚汁も絶品。「日本人で良かった~」て思える。細胞に沁み込んでいくいくのが分かる~。
「あ、それは心配しなくって大丈夫よ。明日から別メニューだから」
別メニュー? ようやく分かってきたところなのに? スピリタスさんの今日の体捌き、とっても勉強になったから、バロンさんとの手合わせ楽しみなんだけれどな。
「?」を顔いっぱいに浮かべた表情で、アイはカルミア社長を見ました。
「夏休みですものね」
そんなアイに、カルミア社長はニッコリと微笑みながらデザートを食べ始めました。
アイ、美味しいご飯にお腹も心も満足しつつ、明日からの「別メニュー」に少し不安を覚えました。Next→