第六十二話『その言葉の本心は?』
そもそも、ダンジョンの外にモンスターが出るなんて、今まではなかったことなんだよね。アリとかダンゴムシみたいな小さくて弱いモンスターが、ダンジョンの出入り口をウロチョロしていることはあっても、せめて100メートル離れるぐらいが良い所だったはず。自分のテリトリーに戻れなくなっちゃうらしいから。でも、病院に出たケルベロスや今回のエキドナは話が違っていた。
「じゃ、じゃぁ、あのケルベロスは、ダンジョンの空間を引きずって出現したってことですか?」
窓際に座っている、制服姿の女子高生が、目の前のスマートホンの画面を見ながらコソッと言いました。鴉の濡れ羽根のような長い黒髪を三つ編みにして、顔の大半を覆い隠す丸い黒ぶちメガネをかけた女子高生の隣には、黒髪にスクエアータイプの眼鏡をかけた、スーツ姿の男性。2人は。1つのワイヤレスイヤホンを半分ずつ付けて、視線は2人の間にあるスマートホンに。眼鏡には、I‐Tubeの動画が反射していました。
夏休みの早朝。時間が早い上に通学する学生が乗っていないせいもあって、バスの車内はガラガラです。ガラガラだから、左の一番奥の席に仲良く並んで座っている2人は目立っていました。
「そうらしいですよ」
2人が視聴している動画は、昨日の午前にカルミア社の研究施設で起こった事を編集したものでした。
ナハバームって、本当に凄いなぁ~。昨日のガマガエル戦からエキドナのサンプル回収まで、取り逃しなしだもんね。バロンさんがガマガエルを片付けてくれたところも、バロンさんのナハバームがちゃんと撮っていたし。本当は社内撮影禁止だけれど、今は非常事態だから社内チェックを通せばOK
みたいだし。まぁ、あれは確かに非常事態だよね。施設の防犯カメラは私の魔法で早々に壊れちゃって、記録できていなかったみたいだし。社内チェック、いつもの倍以上の厳しさみたいだけれど、 この映像から施設内の情報を取るのは無理だろうなぁ~。会社施設というより、ダンジョン内部って感じだもんね。
「ケルベロスの被害は建物だけで、人的被害はなかったようです。僕たちに見えていた被害者は、ダンジョンから引きずられて来た者のようですよ」
… それって、ダンジョンでやられちゃった探索者がいる。って、事だよね?
「探索者は危険を承知でダンジョンに入ります。ダンジョンのレベルが高ければ高いほど危険度は上がりますし、登録されていないダンジョンは未知の世界です。僕たちの仕事は、そういうものですよね?」
大きな眼鏡で隠れている横画をチラッと見て、黒崎先生は言葉を続けました。いつもの優しい口調で。
分かってる。ダンジョン探索は危険がつきものだって。所属会社や組合がダンジョンや探索者にレベルをつけたり、保険制度や他の保証とか体制を充実してくれた今は、死亡者も行方不明者も年に数えるほどだけれど、出ていることは出ている。私もダンジョンで何人か助けているし…。でも、体制がしっかりする前は、もっといたんだよね…。お父さんも、そのうちの一人だし。
「引退しますか?」
それは、とても優しく静かな問いかけでした。思わず黒崎先生を見た美月は、心配そうに自分を見つめる黒崎先生と目があいました。
なんで… そんな顔?
「事態は僕たちが思っているより危険かもしれません。もし貴女に万が一があったら、僕はあの家で待つお祖母さんに何と言えばいいですか?」
「それは…」
古い家で、一人で待っているお婆ちゃん。今は私が「ただいま」て、帰っているけれど…
「哀川さんのお父さんは僕が探し出しますから、お祖母さんと一緒に待っていてください」
ただ、待っているだけ? 私が子どもだから? 私が女の子だから? 私が弱いから? 引退して、お婆ちゃんと2人で待つだけ? ダンジョンはあるし、私にはダンジョンを攻略する方法があるのに? それに、私の背中を教えてくれてレベルをあげようとしてくれたのに、辞めろなんて…。黒崎先生の、スピリタスさんの気持ちが一番分からない。私にどうして欲しいんだろう? どうすればいいんだろう?
「あ~、ミズッチと黒っち、まぁ~た、くっついてるしぃ~。2人とも、おっは~。なんでこのバスに乗ってんの?」
聞き覚えのある明るい声に顔をあげると、今日もギャルメイクをバッチリ決めている香坂が立っていました。サマーニットの下のシャツは大きく胸元が開いていて、リボンタイはありません。スカートの裾は短く、スラッとした脚は白いハイソックスではなく太くダルっとしたルーズソックス。美月と同じ制服なのに、印象はまるで違います。
「あ、またダンジョンの動画? 2人とも、ほんと好ハオだよね~」
ちょっと呆れたように笑いながら、高坂は美月の前の席に座って美月たちの方に身を乗り出しました。
… 香坂さんだ。メイクも完璧。長いピンク色のバイヤレージュの髪、今日も綺麗に巻いてある。いつもの香坂さんだ。
「香坂さん。… 香坂さん、香坂さん」
美月はバスが動き出しているのに立ち上がって、ガバッと香坂に抱きつきました。
良かった、香坂さんだ。ちゃんと温かいよ~。
「ミ、ミズッチ?! メッチャ熱烈だけど、どしたん?」
「おはようございます、香坂さん。哀川さん、香坂さんとお会いするのは久しぶりですから、安心したのではないですか?」
持ち主に放り出されたスマートホンの画面を停止しながら、黒崎先生は苦笑いです。
私よりダメージは軽くって先に退院したって聞いてはいたけれど、私の退院が夏休み後だったから会えていなかったんだよね。報告聞いて安心はしていたけれど、こうして会えたら、またホッとしちゃった。
「あ~… うん。心配かけちゃったか~。そだよね~、ミズッチの前で倒れちゃったんだもんね。気が付いたら病院なんだもん、バビルよね~。でもでも、ミズッチには心配かけちゃって、ほんまゴメンやで~」
ばつが悪そうに言いながらも、香坂は美月を抱きしめ返してくれました。その反応に驚いて、美月はバッ! と香坂から離れました。
「あ、きゅ、急にごめんなさい。あの、私が勝手に心配しただけだから…」
思わず抱き着いちゃったけれど、嫌な気持ちにならなかったかな? でも良かった。苦しい記憶はないみたい。
「謝るのはワタシだよ。ほんまゴメンやで~。あと、あざます」
お礼? なんで香坂さんにお礼を言われるんだろう?
「はい、感動の再会はここまでね。でさでさ、なんで2人一緒なん? ワタシは彼ピッピの家から朝帰り~。ま、帰るって言うより、ガンダでガッコ―なんだけど。夏休みなのに補習とか、マジウザイよね。
あ、彼ピッピも元気だよ。新しいバ先は料理出来ないから、ちょい凹んでるけど。ミズッチと黒っちは、朝からデート? それとも、ミーツ?」
香坂は椅子の背もたれに体重をかけて、ニヤニヤっと黒崎先生と美月を見ました。
香坂さん、私が黒崎先生の事を好きだって思っているんだもんね。でも、彼氏さんも元気で良かった。
「さすがにデートはないですよ。僕、これでも教師ですから教え子と、しかも制服でデートなんてしていたら、社会的に抹殺されちゃいますよ。ミーツとは、何のことですか?」
「デートじゃないん? シャバいな。ミーツって、ミーティングってこと。黒っち、どーせダンジョンの事、ミズッチに教えてもらってたんでしょ?」
香坂さん、心底つまらない。って、顔してる。本当に恋愛話が大好きなんだなぁ。
『ミーツ』て、『ミーティング』の事を言うんだ。なんだか新しいスイーツみたい。『シャバい』は『ダサい』とか『しょぼい』って意味だったよね。
「当たりです。学校では他の生徒の目もあるので」
どうぞ。と、黒崎先生は立ち上がって、香坂さんに席を進めました。滑り込むようにその席に座った香坂さん。黒崎先生はそんな香坂さんの隣に座りました。
「そんなの、気にしなきゃいいのに。マジ、ガチなんだから」
黒とオレンジベースの長いネイルをチェックしながら、呆れた声に呆れた顔で大きなため息です。
「気にしますよ。自分の不注意で、大切な人を傷つけたくはないですから。大切なものは傷つけるのではなく、守るものでしょう?」
穏やかな笑みを浮かべて話す黒崎先生に、香坂と美月は驚いて呆然としてしまいました。そして「ね」と、視線を投げられた美月は、一気に顔が赤くなるのが分かりました。
美月、黒崎先生の一言一句に心を乱されています。Next→