第六十三話『楽しいランチタイムはご褒美タイム』
勝手に増築していく野良ダンジョン、お父さんの本があった野良ダンジョンの部屋、その部屋の住人の魔術師か賢者か… ダンジョンから出てきちゃう特級レベルのモンスター。謎が多いいけれど、それよりも気になるのが黒崎先生。
「分からないことがいっぱい…」
はぁ… と、美月がついた大きなため息は、カリカリとシャーペンが走る音だけが響いている教室に漂いました。少し前のめりに座っている席、手元に広げているのは英語の問題プリント。それは少しも回答できていません。
「哀川さん、どこがネックですか?」
そんな美月に、英語の先生が声をかけてくれました。
「あ、すみません。もう少し自分で考えます」
慌てて姿勢を正す美月。先生が通り過ぎたのを確認して、もう一度、今度はそっとため息をつきました。
とにかく、今は目の前の勉強を終わらせなきゃ。黒崎先生の事を考えるのは後にしよう。せっかく一学期終了間近に入院しちゃった分、補習でカバーしてくれるんだから、時間を無駄にしちゃだめだよね。勉強から魔法のイメージアップに繋がることだってあるんだし。
カルミア社長が意味ありげに言った「明日から別メニュー」は、この補習の事でした。バスの中でのこともあって、黒崎先生の事が気になってしょうがない美月ですが、気持ちを入れ替えてプリントに向き合いました。
そんな時間も二時間目、三時間目と過ぎて…
「あ~、だるドリュー。先生、ジェームズじゃないしぃー」
四時間目の終了ベルが鳴ると、美月の後ろの席で盛大に香坂が溶けました。机の上に上半身を投げだして、大きなため息です。
英語、確かにジェームズ先生の方が教え方上手だよね。私もジェームズ先生の方がよかったな。でも、夏休みでアメリカに帰っているから、しょうがないか。
香坂さん達は、単位不足のための補習だって言っていたよね。受けておかないと二学期と三学期で上手く挽回できなかったら進級が危ないとかって。
「それな。マジ、だるドリュー」
ギャル軍団には辛い時間かぁ。単位が取れていれば、学校に来なくていいはずだったもんね。バイトや遊びに充てられる時間だもんね。はほ全教科らしいから、大変だよね。
「三教科も受けたんだから、もう良くね? ブッチしね?」
「二学期と三学期、頑張れば文句ないんでしょ? 午後はブッチしよ~よ」
今日はこの後、お昼を食べてもう二時間。その二時間をさぼろうか? て言っているのに、いつもみたいに机を寄せ合ってお昼の準備をしてる。お弁当は食べるんだね。まぁ、お腹がすいたら何もできないし。… でも、なんで私の机も一緒にあわされちゃったのかな?
ギャル軍団はブツブツ文句を言いながら、近くの机を寄せあってお昼の準備をしました。それはいつも見ていた光景だったけれど、いつもと違ったのはその中に美月の机も組み込まれたこと。それはアッという間で、抵抗することも止めることも出来ませんでした。
あ、そっか。いつもは香坂さんの席が廊下側だから、みんな廊下側で集まっていたんだよね。今日は私の後ろに座ったから、ここで集まったんだ。私が席を移ればいいね。
と、美月は鞄から金魚柄の風呂敷に包まれたお弁当を取り出して、席を離れようとしました。
「ミズッチ、どこ行くの? 一緒に食べよう~」
そんな美月の腕を取って、香坂が止めました。
「え? 私?」
慌てる美月の肩を、後ろから現れた小川がポンポンと叩いて椅子に座らせました。
「おっつー。皆、おなぺこ?」
小川さん、今来たの? 私、ここに座ってていいの? 皆の邪魔になっちゃわないかな? えっ? え?
右隣に座った小川と、左隣に座っていた香坂を代わる代わる見ながら、状況についていけない美月です。
「ユイチー、おっそ~い」「ベンキョー頑張って、おなぺこだよ~」「いいな~。ユイチー、シャチョー出勤じゃん」「ユイチー、ずるい~」
ギャルメンバー達は戸惑っている美月を気にもしないで、口を動かすのと同じスピードでお昼の準備をどんどん進めていきました。
「遅くないし、ズルくもない。アタシ、科学基礎のテストが赤点だっただけ」
ということは、小川さんは今日だけだ。はぁ~… 小川さんも、今日もギャルメイク完璧。命の目元も、ナチュラルながらもしっかり力が入っているし、ミルクティーベージュの長い髪も綺麗に巻いてある。大人っぽいイメージが本当に素敵。あ、今の私、香坂さんと小川さんに挟まれてる! こんな素敵なギャル二人に挟まれているなんて、恥ずかしいよ。どうしよう。魔法で姿を隠しちゃおうかなぁ。
「ミズッチ、おなぺこじゃないの? お弁当、食べないと次の授業、始まっちゃうよ~」
香坂と小川に挟まれて、うつむいた顔を赤くしたり青くしたりと気持ちを忙しくさせていた美月。その前に置かれていたお弁当を、香坂が遠慮なしに開けました。
「スゴ… ミズッチのお弁当、レべチじゃね?」
瞬間、香坂の口から驚きの声が。
え? お弁当、シスターさんが作ってくれたんだけれど… うわ、なにこれ? ロール状の一口お稲荷さんは、ヒジキご飯とお赤飯と枝豆ご飯の三種類。ホウレン草の胡麻和えに、レンコンのひき肉はさみ揚げ、ウズラの卵の肉巻き、厚焼き玉子、かぼちゃの煮物、ボイルエビのソテー… って、凄すぎる。
「哀川さん、自分で作ったの?」
ギャルの一人に聞かれて、慌てて頭を横に振る美月。
「シ… お姉さんが… 泊まりに来ている親戚のお姉さんが作ってくれて…」
こんなハイレベルのお弁当、どれだけの時間がかかったんだろう? 渡してくれたのは社長だけれど。あ、バロンさんと黒崎先生の分もあるのよ~って、社長が言ってたな。
「お姉さん、レべチ。料理人とか?」「これはバイブスあがるわ~」「冷食なし? どんだけ時間かかんの?」
え? ええ? ちょっ、ちょっと待って。皆の会話についていけない。言葉もそうだけれど、勢いが凄すぎる。お弁当ひとつで、こんなに注目を浴びちゃうなんて思ってもみなかった。
皆の注目の的になって戸惑う美月。その両横の香坂と小川は、美月が知らなさそうなギャル語が出た時、コソコソっと教えてくれました。
「ほらほら、そろそろ食べ始めないと、科学が始まるよ」
小川は美月に群がるギャル達を落ち着かせて、真っ先にお弁当を食べ始めました。それに続くように、皆も食べ始めます。
皆、コンビニのお弁当とかパンが多い。でも、香坂さんと小川さんはお弁当だ。
「科学の鹿野セン、もっと声を大きくして欲しくね?」
あ、分かる分かる。あの一時間は、聴覚の修行か?! て思う時があるよね。あ、ヒジキの稲荷さん美味しい!!
「それな。図体でかいくせに、声ちっさ!」「字もちっさいよね~」
でも、ちゃんと勉強したから、魔法レベルが少し上がったんだよね。私の魔法の大元は『想像力』だから、科学の公式とか実験とか、バンバン頭の中に詰め込んだんだよね。魔力が足りないと、違う魔法が発動しちゃったりしたけれど。それを考えたら、魔力の増幅も必須だよね。あと、シスターさんほどじゃなくても、もう少し回復魔法を覚えなきゃ。
ウズラの卵の肉巻きも、甘辛くて美味しい。味の濃さもちょうどいいし、この一口サイズが嬉しいな。
「ミズッチ、ワタシのチャーシューとこれ、交換して~」
香坂は美月のお弁当の蓋に厚切りのチャーシューを置いて、代わりにお弁当の中からお赤飯の一口お稲荷さんを一つ、スッ… と取っていきました。
「あ、カエてぃ、ズルくね? 私も交換したい」
「私も」「私も」… と、今度は美月のお弁当の中身が狙われます。
気持ちは分かるけれど、私が食べる分がなくなっちゃう。せっかくシスターさんが作ってくれたのになぁ。交換しなきゃ駄目かな?
「ストップ。皆で交換したら、ミズッチのお弁当が違うものになるって。ミズッチも嫌なら嫌って言いなよ。「ないわー」て言えばいいんだからさ」
私のお弁当めがけて、四方八方から出てくる箸やフォークを一掃してくれたのは小川さんのお箸。まぁ、お行儀がいいとは言えないけれど、助かった~。皆のネイルを間近で見られたのは良かったな。佐々木さんのネイル、ピンクの肉球デコが付いてて可愛かったな。 そっか、嫌な時は「ないわー」て言えばいいんだね。覚えました。でも、こんなに美味しそうだと、食べてみたくなるよね…。
「え~」「カエてぃだけズルー」「私も食べてみたいー」等々… ギャル集団は弾かれたお箸を咥えて、抗議の声を上げています。そんな姿と自分のお弁当を交互に見ながら、美月はソロソロと口を開きました。
「あ、あの… きょ、今日は無理だけれど… あ、明日、多めに持ってくるから、明日、取り換えっこ… じゃ、駄目かな?」
明日は、みんな来ないかな? この後もサボろうとしているもんね。
ジッとお弁当に視線を落として、ドキドキしながらシドロモドロで話した美月。
「え?! マジ!」「OK、OK! 明日、交換しよう」「やりらふぃ~」
途端に喜ぶギャルたちを見て、美月はホッとしたような嬉しいような気持になりました。
明日、私もシスターさんと一緒にお弁当作ろう。お婆ちゃんのご飯はもちろん美味しいけれど、シスターさんのご飯も美味しいんだよね。せっかくだから、教えてもらおう。… シスターさんが教えてくれたらだけれど。
「でさぁ〜、ミズッチはどっちが良い?」
急に意見を求められて、慌てて香坂を見る美月。
「えっ? 何が?」
「だ〜か〜ら〜、これからオケる? それかマクる?」「ケンタもあり」「あ、あそこのケンタ? あそこなら、ありよりのあり! 店長がアイキャンディなんだよね~」「あーし、ガスりたい」
ほんの少しの間に、話がとっても進んでる。やっぱり午後はサボっちゃうんだ。しかも、今お弁当食べているのに、ファストフード行こうとしてる。
「わ、私は補習を受けます。受けられなかった授業の代わりだから」
「「「え~、バイブス低い」」」「真面目か!」
無理無理無理。この勢いの中に長時間は無理。『アイ』でだったら頑張れるかもしれないけれど、『美月』はお弁当を一緒に食べるだけで精一杯だよ。
ギャル集団のブーイングにビクッ! と体を震わせた美月。その肩をポンポンと叩いて、香坂は皆に向かって言いました。
「ミズッチ、まだギャルの見習いだけどさ、ギャルマインドはしっかり持ってるよ。ミズッチがガッコ―のベンキョーをガチでやるの、夢のためなんだからさ、応援してあげよう」
香坂さん?
驚いて香坂を見る美月に、ギャル集団は次々と質問を投げかけます。
「マジ?」「哀川さんの夢って?」「夢のためにベンキョーできんの? 凄くない?」「メイクしないの? メイク」「カラコン買お。とりま、私の予備、つけてみなよ」「マツエク行こ、マツエク」「ギャルはアイメイク命だからさ~…」
え? え? どうしよう。ちょっと待って、ちょっと待って。勢い良すぎて、誰に何を言われているのか分からない。え? なんでメイク道具が出てくるの? 今、お昼食べているんだよね? メイクは駄目です、メイクはまずいです。私が『アイ』だって皆にバレちゃうから。
「時間。早く食べないと、ブッチ出来ないよ」
話の流れやメイクをされそうになってワタワタしている美月の横で、マイペースにお弁当を食べていた小川が落ち着いた一言を放ちます。その一言の効果は大きくて、ギャル軍団は「ヤバ」と、ハイスペースでお弁当を食べ始めました。
… お弁当は、食べるんだ。ギャルって、ものすっごくパワフルだもんね。エネルギー補給、ちゃんとしないとね。それにしても、ギャルマインドって何だろう?
美月、今日はいままで少し離れて見ていた輪の中に入って、美味しいお弁当で賑やかなランチタイムになりました。Next→