第七十二話『今回は、私悪くないもん』
「ほんと~に! し・ん・じ・ら・れ・な・い!!」
彫が深く、短くカットされた髭を蓄えたワイルドなイギリス系の顔には、心労の色がそれはそれは色濃く出ていて、肩まで伸ばした癖のある黒髪は色艶を無くしています。シャツの袖から伸びた腕には血管が浮かび上がり、けれどそこまでして握りしめた拳をどこに振り下ろしていいのか分からず、ワナワナと震わせていました。カルミア社の社長、五十嵐・カルミア・大五郎は、目の前の、清潔なベッドの上で控えめにバナナを食べている美月に、苦々しく言うのがやっとでした。
「ご、ごめんなさい。でも、今回は不可抗力だと… 思います。はい」
美月は謝りながらも「私、悪くないよね?」と、出来るだけ控えめに主張しました。気持ちを落ち着かせようと、この病室に入って何度目かの深呼吸を繰り返すカルミア社長を上目使いに見て「今回は、私悪くないもん」と、思いながら。すぐ隣で、腕と足を組んで座っている黒崎先生を見ることが出来ないだけなのですが。
「… 香坂さんを同行させなきゃいけなかったのは、確かにしょうがないわね。2人と違うタイミングで、2人とは違う場所から入って来ちゃったのだから、香坂さん本人の責任ね。まぁ、見逃した警備の責任は問われるけれど」
カルミア社長は昨日のビーミシュ社・デパートダンジョン探索を、二台のナハバームを通して社長室でしっかりと見ていました。生配信はもちろん、記録映像もしっかりと。そして時間が経つにつれてソワソワし始め、画面に香坂が登場した瞬間には、社長室を飛び出してデパートに向かっていました。自分のナハバームに映像を繋げて、動向をチェックしながら。けれど、ダンジョンの入り口で結界らしきものに弾かれて入ることが出来ず、ナハバームの映像を見ていることしかできず、どんどんと顔色を無くしています。もちろん、スピリタスに抱えられて脱出してきた全身に火傷を負ったアイを見た瞬間、卒倒したのは言うまでもなく「これ以上お荷物は必要ない!」と、スピリタスに蹴られて気が付きました。
「マーシレス・モライの歯、使う必要はなかったんじゃない? そもそも、どこから入手したの?」
バロンさんから。て言うのは、黙っておこう。
隣から無言で注がれる視線の圧に、ゴクリと喉を鳴らして唾を飲み込む美月。
「社長、映像を見ていたなら分かってもらえると思うんですけど… スピリタスさんのケペシュでも致命傷を与えられなかったんです。何度も何度も、切っても切っても…。私の魔法も大きなダメージは与えられないし、スピリタスさんは消えちゃうし… マーシレス・モライの歯に賭けてみようかな? て… お、思いました」
レッドドラゴンの背中から振り落とされて炎に囲まれた時、レッドドラゴンの足を切り裂いて中に逃げ込もうとしたら、影に飲み込まれた…。なんて、あの時の私の位置からは見えないよ。そもそも、切り裂いた足の中に逃げ込もうなんて、考え付かないよ。私がマーシレス・モライの歯を使った事より、そっちの方がよっぽど危ない考えじゃない?
「危ない賭けだとは思ったけど… 高坂さんや小さいモンスター達を守らなきゃいけないと思ったし、レッドドラゴンを倒さないとアイテムをゲットすることも、そもそもダンジョンから出れないし… だから、出来るだけダメージを受けないようにって、防御魔法を何重にもかけて対策して、直ぐに離れればいいかと…」
俯いて、モソモソと話す美月。それをジッと聞いていたカルミア社長は、一度天井を仰いで大きく息を吐きました。
「分かったわ。このことについて、もう煩いことは言わないわ」
カルミア社長はベッドの縁に腰を掛けると、そっと美月の頬に手を添えました。チラッと上目使いに見る美月。
「美月ちゃんの火傷が、綺麗に治ったのを喜ぶだけにしましょう」
社長、微笑んでくれているけれど、泣いちゃいそう。あの時、私は気が付かなかったけれど、相当酷い火傷だったんだなぁ。呼吸も苦しかったし、口の中もやられてたから… まぁ、軽傷ではないとは思っていたけれど。意識が戻った時、「深達性2度の熱傷。場所によっては3度」だったって聞いて、ゾッとしたよね。… 社長とスピリタスさんに、また心配かけちゃった。
「でも、病院に着いた時には治っていたんですよね?」
治っていたけれど、検査入院なんだよね。明日までは。
「そうよ。目を見張るスピードで細胞の新陳代謝… でいいのかしら? ともかく、ぐんぐん回復したの」
ものすごいスピードで細胞の新陳代謝かぁ。見たいけれど、そこまでナハバームが記録してくれたかな?
「回復アイテム、何だと思う?」
回復アイテムはロリポップキャンディしか持っていなかったはず。でもあれは、魔力回復だし…。ん? ロリポップキャンディ…
「香坂さんに、水を貰いました。私のボディバックに入っていた水を。体にかけてくれたのと、ほんの少し口の中にも… でも、特別な水じゃなかったと」
「それが、特別な水だったのよ。一本は普通の水だったけれど、もう一本のペットボトルからは『クラゲ』の細胞が検出されたわよ」
「あ!!」
そうだった。前にクラゲの入っていた水を飲んで回復したから、ロリポップキャンディを切らした後にって、保険でクラゲの水槽の水を汲んで来てたんだった。
「クラゲ、やっぱりもう一度データーを採らせてね」
確かに、新しい回復アイテムを作れるかも。
「でも、前は今回ほどの回復力はなかったと思います」
「そこは、ちょっと検証したい事があるから、後でのお楽しみにしておいてね」
何だろう? カルミア社長、急に機嫌がよくなった感じだな。
「あと、ドラゴンの影の事は、どうして気が付いたの?」
水分もね。と、カルミア社長は床頭台の下の冷蔵庫から麦茶を取ってくれました。
「戦っていて、違和感を感じて… 何か見落としている気がしたんです。いろいろ考えて思い出したのが、レッドドラゴンの部屋の扉のスライドパズルで…。ドラゴンの体の大きさに対して、影が大きかったのと、影に赤い目が、私が勝手に目だと思い込んだのかもしれないんですけど、ともかく、それを思い出して… もしかしたら、影に何かが潜んでいて、その影響で急にレッドドラゴンがレベルアップしたのかな? と思って。影を消しちゃえば、出てくるしかないかな? て」
影に何か居る。て確信を持てたのは、炎に影が出来ていたからだけれど。
「ビンゴ! てわけね。あの男が潜んでいることも?」
「まさか! な、何が潜んでいるかまでは、予想できませんでした。それに、昨日のダンジョンは、例の野良ダンジョンに繋がってはいなかったし」
あの男の人が潜んでいるって分かっていたら… 予想だけでもしていたら、影を消すなんて事をしたかな? … どっちにしろ、したか。
「そうよねぇ。マップを見ても、野良ダンジョンに繋がっているような箇所はなかったわ。
あの人、ダンジョンならどこでも現れるのかな?、
「それに、おかげでスピリタスも戻れたから良かったわよね」
「一つ、質問をさせてください。あの時、何をしたのですか? どうやって、あの男を消したのです?」
それまで静かに聞いていた黒崎先生がカルミア社長の視線を受けて、いつもの優しい口調で質問をしました。
「あ… 受け取ったアイスピックに、脱出呪文の魔法陣を描いておいたんです。リップで」
あの時、とっさにアイスピックを選んだのは、本能だったのかな? 消しちゃえって。
「じゃぁ、あの男をダンジョンから脱出させたってこと? でも、レッドドラゴンを倒さないとダンジョンからは出られなかったのよね?」
「えっと… そこまでは考えてなかったです。… すみません。ただ、あの場所から消えてほしくって」
戻って来なかったみたいだから、成功はしたんだよね?
「あ、でも、黒… スピリタスさんもあの人を刺しましたよね? その傷がけっこう酷かったとか?」
床に血が垂れていたのは覚えてる。そんなに多くはなかったけれど、あの男の人に傷を負わせたんだもの、凄いと思う。
「手ごたえがなかったわけではないですが… 深手とはいかなかったと思います」
あ、少し悔しそう。
「もう一つ。なぜ、アイスピックに脱出呪文の魔法陣を? アイテムを持っていなかったからですか?」
「ユニコーンの羽根は、ちゃんとボディバックに入れてありました。… 「護身用に」て、スピリタスさんに言われたから、いろいろ考えて… 香坂さんと小さいモンスター達と、別々に脱出しなきゃいけなくなったら? 小さいモンスター達はダンジョン内のモンスターだから脱出は無しだとしても、香坂さんは一般人だから最優先で逃がさないと… ユニコーンの羽根で香坂さんを脱出させて、私の魔力が残っていなかったら? スピリタスさんがユニコーンの羽根を持っていなかったら? … 考えていたら、アイスピックに魔法陣を描いておいた方がいいかも。て、思って…」
え… 先生、とっても優しい笑顔。何だろう、私の胸、なんでこんなにドキドキしているの。先生の顔、見れないよ。
「成長したわね、美月ちゃん。そろそろお昼の時間だろうから、ご飯を持ってくるわね」
カルミア社長はまた俯いてしまった美月の頭を優しく撫でて、クスクス笑いながら「待っててね~」と、軽い足取りで病室から出ていきました。ドアが閉まる時に、時間が止まったように動かない二人をチラッと横目で見て。
美月、驚異の回復に興味新進も、胸のドキドキにはたじろいじゃいました。Nex