「ねぇ初音、いったい何が入っているの?」
待ち合わせ場所に現れた初音は大きなバッグを持っていて、それだけじゃなくて大きなリュックも背負っていた。
どこへ何をしに行く気なのか? いや、それは知っている。今日は山田教授の参加するマラソン大会の日だから、応援に行くのだ。
事前にちゃんと打ち合わせをしたもの。動きやすい格好で、日焼け対策をしてくることって初音に念を押されたし。
「まぁ、それは行ってからのお楽しみってことでね」
「荷物持とうか?」
大きいだけじゃなく、重そうにみえる。
「いいよ、それよりちゃんとついてきてよ」
何言っているの、子供じゃないんだから迷子になるわけないのに……なりそうだった。
目的の場所に近付くにつれ、人の数が増えていって最終的には人の波にもまれた。
「ねぇ、どうしてこんなに人が多いの?」
応援する場所を確保して、初音が荷物を降ろしてホッと溜息をつく。
「ここは折り返してくるから二度応援出来るのよ、だから応援スポットとして人気があるの」
「へぇ」
よくわからないけど、わかった振りをした。
「で、初音は何をしているの?」
バッグから、二リットルのペットボトルやらタッパーやら出している。
「リュックから紙コップ出してくれる?」
「あ、うん。え?」
天気が良いので気温は上がりそうだけど、私たちだけでこんなに飲めないだろう。
「ランナーさんたちに食べたり飲んだりしてもらうのよ」
「へ、へぇ」
タッパーの中には果物が詰められていたし、ペットボトルはコーラやファンタ等炭酸飲料が多い。
「ねぇ、走っている人たちが炭酸を飲むの?」
イメージがわかない。どちらかというとスポーツドリンクの方が良いのではないだろうか?
「そうなの、いろいろ調べたらコーラが一番人気なんだってよ」
「へぇぇ、そういうものなのね」
「そろそろトップランナーが来るかなぁ……山田教授は……ほぉ、なかなか速いわね」
初音はスマホを見ながらそんなことを言う。
程なくして、周りの観客たちの拍手や声が大きくなる。
ランナーの集団が走ってきたらしい。
「え……」
あっという間に過ぎ去っていった。
「なにあれ、速すぎない?」
「日本を代表するトップランナーだからねぇ。これからどんどん来るわよ、さぁ応援しよう」
私は感心していた。初音がこんなに熱心に調べて準備して応援するなんて。
単なる山田教授への接待というには熱心過ぎる。
それに、なんだか初音自身が楽しそうなのがいいなぁって思うから。
「よし、大きな声は得意だから、任せて!」
私も存分に楽しもうって思えたのだ。
「がんばれー、ふぁいとー、ナイスラン!」
周りに合わせて応援をする。
あぁ、なんだか大声を出すって気持ちいい。
それに、私の応援に「ありがとう」って手を振ってくれたりするのよ。
それが凄く嬉しい。全然知らない人なのに、仲間みたいな気になってしまう。
「香澄、そろそろ山田教授が通るわよ」
「え、そうなの。どこかなぁ?」
「あっ、あれじゃない? 赤いキャップの人」
「本当だ! 教授~やまだ教授、頑張ってくださ~い」
「あ、気付いてくれたみたいよ。すぐに行っちゃったけど、折り返して戻ってくるからまた応援出来るわね」
「走っている姿、素敵だったわね」
「そうねぇ、タイムは狙っていないって言っていたけど、結構速かったしね」
「そうとう練習したのかもね」
研究ばかりしているのかと思っていたけれど、趣味もしっかり充実させているなんてねぇ。天才ってそういうものなの? 凡人の私にはわからないけど。
それにしても。
「みんな楽しそうね」
「そうね」
「走るのって、辛いんじゃないの?」
「そりゃ苦しいでしょ、でもみなさん楽しそうだねぇ」
初音と二人で不思議だねぇと感想を言い合い、それからまた大きな声で応援をする。
「あれ、可愛い。ミニーちゃん、がんばって」
「あ、あっちはプーさん!」
いかにもランナーですといったウェアの集団が過ぎると、コスプレをして走る人がちらほらと増えていた。
「面白いわねぇ」
「こういう楽しみ方もあるのね」
もちろん、苦しそうな顔で走っている人もいるし、足が痛いんじゃないのって思う走り方の人もいるけれど、頑張って! と声をかければ笑顔になる。
不思議だ。私はこの日、私の知らなかった世界を垣間見た。
応援に夢中になっていたらいつの間にか時間が過ぎていて、折り返してきたランナーがまたやってくる。
「本当に応援に来てくれたのですねぇ」
「あっ、山田教授!」
ランナーが集団で通っていたので気付かなかった。それなのに教授はわざわざ声をかけてくれて、足を止めてくれた。
「あ、教授。コーラ飲みますか? パイナップルもありますよ」
「おぉ、嬉しいな。ちょうど喉が渇いていたので」
そう言って、差し出した紙コップからゴクゴクと飲み干した。
「どうもありがとう~」
「がんばってください~」
颯爽と走り去る後ろ姿にエールを送る。
「はぁぁ、かっこいいなぁ」
そんな呟きが隣から聞こえる。
「初音? 貴女まさか」
「えっ? 違う違う。一般論よ、ほら走っている人みんなかっこいいわよ」
「そうね」
はいはい、そういうことにしておくわね。
「はぁぁ、楽しかった」
大会が終わって、撤収し帰路についている。
周りで応援していた人々も同じように最寄り駅へと三々五々歩いている。
「ほんと、こんなに応援が充実感あるなんて知らなかったわ」
山田教授が過ぎ去った後も、ランナーさんたちに声援を送りつつ、飲み物や食べ物をすすめると喜んでくれて。
「生き返るわ」
「やっぱ、コーラ最高」
「これで頑張れる」
そんな反応に、私も嬉しくなる。まぁ、準備したのは全部初音なんだけどね……
「あっ!」
「どうした?」
「メッセージ来てる、山田教授から」
「なんて?」
「良かったら、これから打ち上げしませんか? って」
「ほんとに?」
「うん、初音、どうする?」
「そんなの、行くに決まってるでしょ」
「そうよね」
今回、山田教授はこのマラソン大会のために上京し、一週間滞在すると紗綾先生に聞いていた。貴重な滞在期間の間に二度も会うことが出来るなんて。期待しちゃってもいいのかな? 私たちが気に入られたって。
こんなチャンス、逃したらダメよね。
「やぁやぁ、よく来てくれましたね」
「お招きありがとうございます。山田教授、お疲れではないのですか?」
指定されたお店は庶民的な居酒屋だったけれど、奥の個室に通された。
「いやぁ、この疲労感が気持ちいいんですよ、Мなのかもね」
あははと笑い場を和ます。
「教授、タイムもサブ4でしたね。おめでとうございます」
「おや、マラソンの事詳しいねぇ。応援のおかげで頑張れましたよ」
初音の言葉に驚きながら感謝も忘れない。本当に腰の低い人だと思う。
完走、おめでとうございます。
応援、ありがとう。
そんな、宴は穏やかに過ぎていった。
こんな席で研究や仕事の話は野暮だからと、後日――関西へ向かうことになるが――時間を取ってもらう約束を取り付けた。
To be continued