「充実の一日だったわね」
帰り道、私は自分に酔いしれていた。だけど、初音から返事がなくて隣を見る。
「はぁ」
腕時計を見て溜息をついていた。
「あ、もしかして門限?」
「ちょっと過ぎちゃった」
「ごめん、気付かなくて。タクシーで帰ろう」
「いいよ、もう過ぎているし」
どうやら初音は親に怒られる覚悟を決めたみたい。いや、教授の誘いを受ける時に既に覚悟していたのかもしれない。
「やっぱりタクシーで行こ、それで私も一緒に謝るから」
「香澄に迷惑はかけられないよ」
「何言っているの、今日誘ってくれたのも、いろいろ準備してくれたのも感謝しているのよ。初音がいなかったら、教授にあんなに気に入られなかったもの。これくらい全然迷惑なんかじゃないからね」
全部、本音だ。やっぱり会社起業に初音を誘って良かったと思う。
「初音を、こんな時間まで引っ張りまわして申し訳ありません」
途中で手土産も買って、渡しながら謝罪をする。
「連絡くらい出来ませんかねぇ?」
いい大人なんですからと、嫌みを言われつつもそれ程怒られずに済んだ。
これで初音へのアタリも弱くなってくれたら良いのだけど。
「昨日はありがとう、香澄のおかげで何も言われなかったわ。お土産が効いたみたい、現金なものよね」
次の日に連絡をしたら、明るい声で話してくれた。
「そう、良かったわ」
「どうしたの、声が暗いわよ?」
私には別の悩みの種があって、それが声に現れていたらしい。
「この前見かけた子、覚えてる? 私が投資しているって言った子よ」
「うんうん」
「連絡してみたら、携帯が通じなくなっていてね」
「うわ、それは嫌な感じね」
「でしょ、嫌な予感しかしなくてね。だから早急に調べてもらったの」
「いつもの探偵さんに?」
「そうそう。もうお得意様よ」
「うん、それで?」
「予想通りだったわ。どうやら、今は悪い仲間と遊び歩いているみたいなの」
「困ったわね、どうするつもりなの?」
「今、それを考えていて……」
「そうよね、契約を解除? でも、その前に実際に会って話す必要はあるかしら」
「どうにか軌道修正したいのだけど」
「そうなの? そんなに信用していたの?」
「うん、まぁ……」
私が彼に投資をしたのは、生まれ変わる前の世界で彼が成功していたのを知っていたから。彼が作った製品はベストセラーになって株価が急上昇したのだ。
だから私は、成功する前から彼に投資をすると決めたのだけど。
間違っていたのだろうか? 私はずっと考えている。
果たして、彼がこの世界でも同じように成功するのか否か。
私が両親の死を回避したように、この世界で結果が変化することがあるのかもしれない。
今、私は初音の死を回避するために彼女が自立できるように行動を起こしているのだから。
無名な頃の彼に私が関わることで、今後の彼の行動が変わってしまった可能性もあるのではないか。
もしそうなら、軌道修正して以前の彼のように真面目に研究し、成功に導くことは出来ないだろうか。
「――澄、ねぇ香澄ってば、聞いているの?」
「えっ、あぁごめん」
「会いに行くとしても、一人で行ったら駄目だよ」
「そうね、危険かもね」
以前は気の弱い青年だったけれど、今は交友関係に問題がありそうだから。
「誰か、頼れる人はいるの?」
「そうねぇ……」
初音にそう聞かれて、一瞬頭をかすめたのは……透だった。
「いやいや、それはないわよね」
「えっ、なに?」
私が呟いた言葉に初音は反応していたが、なんでもないのよと落ち着かせた。
透が私を助けてくれるわけがないものね。
「そういえば、事務所の改装が完了したわよ。ライフラインも開通したから、これからはそこで打ち合わせ出来るわ」
私は話を逸らすために、そう報告をする。
「そう、それじゃ。次は諸々の書類作成よね、それは私も手伝えるわね」
初音の声は弾んでいる。やっぱり仕事をすることが好きなのだと思う。
一度しかない人生、親の言いなりになるのではなくて自分のやりたいことを思う存分やりたいと思うのは決して悪いことではない。
起業の方も進めなければ……
初音にはああ言ったけど、私は一人で彼に会いに行くことにした。
定期的にメッセージをくれている裕也さんに頼めば一緒に行ってくれるかもしれないが、そんなに迷惑はかけられないし。
探偵の報告によれば、住所は変わっていないとのこと。日中に訪問すれば問題ないように思えた。
インターフォンを押す。
程なくしてゴソゴソと音が聞こえて、玄関のドアが開いた。
「はい、誰ですか? あ……」
「お久しぶりね」
「あぁ、どうも」
「今起きたところ?」
どう見ても、寝起きの佇まいだった。
「あ、はい」
「話がしたいの、待っているから支度をしてカフェにでも行きましょう」
一瞬、顔が引き攣ったから乗り気ではないようだけど、私は押し切った。
「わかりました」
「どう、研究は順調かしら?」
近くのカフェまで歩いて十分くらい、窓が広くて開放的な雰囲気のお店に入り落ち着いたところで尋ねる。
「もちろん、順調です」
さっきのオドオドした感じとは打って変わって自信満々だ。
「そうなのね、見せてくれる?」
「え?」
「最新の情報を、見せて」
「いや、見てもわからないかと思いますが」
「わからなくてもいいわ。私には理解できなくても調べる方法はいくらでもあるのよ?」
「うっ……」
根っからのワルではないのだろう、視線が泳いでいる。
「あ、あと連絡先変わったのなら教えてくれないと困るわね」
「あ、ごめんなさい」
「それとも、契約を解除した方が良いかしら? そうなったら違約金を払ってもらわなきゃいけないけれど」
「そんな……お金なんてないです」
「そうよね、だったら悪いお友達と縁を切って、一から頑張ってみなさいよ」
「うっ、わかりました」
「そうしたら、足りなかった資金ももう少ししたら払うことが出来ると思うから、なんとか製品化して欲しいの」
「あ、それは、もう……」
「え、なぁに? もう必要ないの?」
「いえ、何でもないです。貰えるものは貰います」
「その代わり、ちゃんと成果を確認させてよね」
「ええ、部屋に戻れば見せることが出来ますので。これから来ますか?」
「そうね、行くわ」
私はコーヒーを飲みほしてから席を立った。
「あ、そうだ。ちょっとこっちに来てください」
「えっ、なによ」
「いいから」
彼に腕を取られて引っ張られて、狭い路地へ入る。お昼なのに薄暗い。
「きゃっ!」
彼以外の複数の手が私の体を引っ張ったために、私は前のめりに崩れ膝を打ってしまった。
「痛っ、ちょっと何するのよ」
見上げたら、三人の男がいて顔はニヤついている。
この前彼を見かけた時に一緒にいた男たちだった。
「可愛い顔をして、なかなか威勢がいいな」
そう言った男は、吸っていた煙草を捨てて近づいてきて、手を伸ばしてきた。
「触るな!」
遠くから大きな声が聞こえてきた。
そしてドサっと何かが倒れる音がする。
「うわぁ」
何が起きているのか、音のする方を見たら男たちが次々に倒れていった。
「え……」
私を襲おうとした男たちを倒してくれた人が、そこに立っていた。
「わっ、透さん!」
彼が驚いている。なぜ彼が透を知っているの?
「ちょっと来い」
透は、私とは視線を合わさないまま、彼を連れて行こうとしている。
「待って、透!」
ピタリと、透の足が止まる。
「助けてくれてありがとう」
「いや、別に……」
そう言って去って行った。俯いたままの透の表情はわからなかった。
To be continued