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#38 シューゲイザー


 俺は街を彷徨っていた。

 己の命を放棄する、そのために。

 ……どうしてこうなったんだっけ。

 ガクンと首を下に向け、俯きながら歩く俺。静寂の中、俺はただフラフラと漂っていた。


 どうしてこうなったか。

 ――時は暫く巻き戻る。


    *


『あなたは、もう元の世界には戻れない』

 そう告げられたあの日から、一切何も書けてはいなかった。


 呼吸する。

 呼吸する。

「どうしましたの? そんな、ヒューヒューと、苦しそうに息をして――」

 朔月ショウユエ。俺の、友達。廃妃仲間。

 俺に向かって語りかけてくる彼女のことを認識した瞬間。

「……あ、ああ、なんでもないよ」

 通常時を装う。深く呼吸をして。


「……絶対、なんでもないわけないですわ」

「え……」


 息の抜ける声がした。――自分の声、か?

 そんな声、出しちゃいけない。俺は、俺は――。

「まだ毒が残ってますの? なんでそんなに苦しそうに――」

「く、苦しくなんてないからっ! 大丈夫、だいじょうぶ……」

 いぶかしむ朔月に、微笑む俺。

 ……額に汗が滲んでいることなど、気にしないふりして。

 季節は初冬。肌寒いほどの気温で、汗なんて。

 おかしいのは自分でも解っていた。けど、解っていたところでどうすることもできなかった。

「アハハハ……コーヒーでも淹れるか。あーと、朔月は紅茶のが――」

 気を紛らわせようと告げた言葉。振り返ると、既に朔月はいない。

「……寝るか」

 俺はパタリと床に倒れ込んだ。


「無様だな、廃妃」

 夢を見る。

 嫌な夢だ。

「お前はもう、用済みなのだ」

 嫌だ。嫌だ。

 山積みの本の前で、俺は佇んでいた。

「お前は生きていることが、害なのだ」

 フラッシュバック。

 紙の山。

 焚書。

 焼却炉。

 燃える本。

 俺の本。

 叫ぶ少女。

 自分。

 悪書。

 言葉。

「オ前ハモウ、必要ナイノダ。」

 必要とされたい。

 願望。

 欲望。

 絶望。

 必要とされたかった。

 必要でありたかった。

 叶わない。

 叶わない。

「オ前ハモウ、必要ナイノダ。」

 不要物。

 絞り滓。

 塵。

 芥。

「オ前ハモウ、要ラナイ。」


「死ね」

「死すら生ぬるい」

「地獄に落ちよ」

「消えろ」

「消えろ」

「消えろ」

「この世界にお前の席はないのだ」


「死ね」


 目を開けた。

 深い夜だ。

 遠目に、机。

 紙の束。

 死。

 逃避。

「アハ、アハハ……ハハハハハッ」


 脳内は既に、死と消滅という決定だけが支配していて。

 俺は着の身着のまま駆けだした。

 裸足のまま門を抜けて、街の中へ。

 少しだけ、自由になった気がした。


    *


 夜の街は静かだ。

 東京じゃ考えられない静けさで、少しだけ身震いする。

 寒さがチクリと肌を刺す。

 どこへ行くあてもなく俺は、ただ街を彷徨う。

 ああ、どこ行こうか。山に行くか? すぐ近くの――ああ、それだとすぐに見つかるか。じゃあ、宮廷近くの堀で土左衛門にでもなろうか。もっと遠くへ行っても良いか。いっそ、国外へ逃亡して――。

 そんなことを考えて、ふと思い至った。


 ――俺がいなくなったら、後宮はどうなるんだ?

 いや、どうにもなるまい。だって俺は所詮偽物。つまり、本来いらない存在。

 ――どうせ、誰からも必要とされていないのだもの。


 思考を打ち切って、俺はただふらふらと、亡霊のように街を彷徨った。

 そのときだった。


「きゃっ」

 誰かとぶつかった。声のした方を向いて――目を開く。

「……あなた、もしかして――あのときの」

 ぶつかった女性が、きょとんとしながら猫背の俺を見て叫んだ。俺は記憶を漁り。

「覚えてませんか? ほら、あの……殺されそうになったときの!」

 彼女の言葉で、ようやく合点がいった。

 ……確かに殺されそうになったこと、あったな。確かあのときは、女の人を助けて、身代わりに俺が殺されそうになって――それから、暗殺者の白銀 バイインが助けてくれたんだっけ。

 記憶を照らし合わせると、確かに目の前の女性は、あのときの女の人そのものだった。

「あのときは、ありがとうございます! えーと……」

 もじもじしながら告げた彼女。それに対して、俺は――。

「……」

 ただ、口を半開きにして固まっていた。

「……あれ? どうしたんですか?」

 尋ねられる。

 処理落ちしていた脳は今一度活動を再開する。

 されど――俺の顔をのぞき込む彼女に、俺は何も返せず。

「あれ? なんで泣いてるんです!?」

 自動的にあふれ出る涙を、抑えることが出来なかった。


 そのまま夜の闇に逃げ去ろうとする俺――の手首を、彼女はがしと掴む。

 振り返ってにらむと、彼女は真剣そうな顔で。


「……なんかよくわかんないけど……あなたのこと、ほっとけない」


 心配される覚えはなかった。

 けど、彼女はほとんど見ず知らずのはずの俺の手を引いた。

「うちに来て。今夜は泊まってってよ。というか連れてく! じゃないとモヤモヤするから!」

 彼女の言葉に、俺はぽかんとして。

「ほら、行こう?」

 ゆっくり、歩き出した。彼女の手を頼りに――。


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