俺は街を彷徨っていた。
己の命を放棄する、そのために。
……どうしてこうなったんだっけ。
ガクンと首を下に向け、俯きながら歩く俺。静寂の中、俺はただフラフラと漂っていた。
どうしてこうなったか。
――時は暫く巻き戻る。
*
『あなたは、もう元の世界には戻れない』
そう告げられたあの日から、一切何も書けてはいなかった。
呼吸する。
呼吸する。
「どうしましたの? そんな、ヒューヒューと、苦しそうに息をして――」
俺に向かって語りかけてくる彼女のことを認識した瞬間。
「……あ、ああ、なんでもないよ」
通常時を装う。深く呼吸をして。
「……絶対、なんでもないわけないですわ」
「え……」
息の抜ける声がした。――自分の声、か?
そんな声、出しちゃいけない。俺は、俺は――。
「まだ毒が残ってますの? なんでそんなに苦しそうに――」
「く、苦しくなんてないからっ! 大丈夫、だいじょうぶ……」
いぶかしむ朔月に、微笑む俺。
……額に汗が滲んでいることなど、気にしないふりして。
季節は初冬。肌寒いほどの気温で、汗なんて。
おかしいのは自分でも解っていた。けど、解っていたところでどうすることもできなかった。
「アハハハ……コーヒーでも淹れるか。あーと、朔月は紅茶のが――」
気を紛らわせようと告げた言葉。振り返ると、既に朔月はいない。
「……寝るか」
俺はパタリと床に倒れ込んだ。
「無様だな、廃妃」
夢を見る。
嫌な夢だ。
「お前はもう、用済みなのだ」
嫌だ。嫌だ。
山積みの本の前で、俺は佇んでいた。
「お前は生きていることが、害なのだ」
フラッシュバック。
紙の山。
焚書。
焼却炉。
燃える本。
俺の本。
叫ぶ少女。
自分。
悪書。
言葉。
「オ前ハモウ、必要ナイノダ。」
必要とされたい。
願望。
欲望。
絶望。
必要とされたかった。
必要でありたかった。
叶わない。
叶わない。
「オ前ハモウ、必要ナイノダ。」
不要物。
絞り滓。
塵。
芥。
「オ前ハモウ、要ラナイ。」
「死ね」
「死すら生ぬるい」
「地獄に落ちよ」
「消えろ」
「消えろ」
「消えろ」
「この世界にお前の席はないのだ」
「死ね」
目を開けた。
深い夜だ。
遠目に、机。
紙の束。
死。
逃避。
「アハ、アハハ……ハハハハハッ」
脳内は既に、死と消滅という決定だけが支配していて。
俺は着の身着のまま駆けだした。
裸足のまま門を抜けて、街の中へ。
少しだけ、自由になった気がした。
*
夜の街は静かだ。
東京じゃ考えられない静けさで、少しだけ身震いする。
寒さがチクリと肌を刺す。
どこへ行くあてもなく俺は、ただ街を彷徨う。
ああ、どこ行こうか。山に行くか? すぐ近くの――ああ、それだとすぐに見つかるか。じゃあ、宮廷近くの堀で土左衛門にでもなろうか。もっと遠くへ行っても良いか。いっそ、国外へ逃亡して――。
そんなことを考えて、ふと思い至った。
――俺がいなくなったら、後宮はどうなるんだ?
いや、どうにもなるまい。だって俺は所詮偽物。つまり、本来いらない存在。
――どうせ、誰からも必要とされていないのだもの。
思考を打ち切って、俺はただふらふらと、亡霊のように街を彷徨った。
そのときだった。
「きゃっ」
誰かとぶつかった。声のした方を向いて――目を開く。
「……あなた、もしかして――あのときの」
ぶつかった女性が、きょとんとしながら猫背の俺を見て叫んだ。俺は記憶を漁り。
「覚えてませんか? ほら、あの……殺されそうになったときの!」
彼女の言葉で、ようやく合点がいった。
……確かに殺されそうになったこと、あったな。確かあのときは、女の人を助けて、身代わりに俺が殺されそうになって――それから、暗殺者の
記憶を照らし合わせると、確かに目の前の女性は、あのときの女の人そのものだった。
「あのときは、ありがとうございます! えーと……」
もじもじしながら告げた彼女。それに対して、俺は――。
「……」
ただ、口を半開きにして固まっていた。
「……あれ? どうしたんですか?」
尋ねられる。
処理落ちしていた脳は今一度活動を再開する。
されど――俺の顔をのぞき込む彼女に、俺は何も返せず。
「あれ? なんで泣いてるんです!?」
自動的にあふれ出る涙を、抑えることが出来なかった。
そのまま夜の闇に逃げ去ろうとする俺――の手首を、彼女はがしと掴む。
振り返ってにらむと、彼女は真剣そうな顔で。
「……なんかよくわかんないけど……あなたのこと、ほっとけない」
心配される覚えはなかった。
けど、彼女はほとんど見ず知らずのはずの俺の手を引いた。
「うちに来て。今夜は泊まってってよ。というか連れてく! じゃないとモヤモヤするから!」
彼女の言葉に、俺はぽかんとして。
「ほら、行こう?」
ゆっくり、歩き出した。彼女の手を頼りに――。