「俺のことはいい! ——全てを片付けてから、往く」
地下牢。反響する青年の声。
見送る少女たちの背中。『俺』は呼吸をする。
「待て——」
手を伸ばす恰幅のいい男に、俺は怒鳴った。
「貴様の相手は、我だ。斑鳩——評議会ッ!」
びくりと反応した斑鳩。その瞬間に、彼女たちは出て行く。
毒の煙は空気より重いらしい。床に漂う煙に口が接したら、たちまち危うくなるだろう。
煙は少しずつかさを増してゆく。その前に——脱出せねば。
けれど、斑鳩はなおも立ち塞がり、にたりと笑う。
「皇帝。アンタにゃ死んでもらうぜ」
それを見据え、俺は剣を構えつつ。
「——どうしてだ」
疑問を呈した。
「何故、お前らは我を殺そうとする」
それに斑鳩はほとんど迷い無く応える。
「この国を『より良く』するためさ」
「欺瞞もいいところだ。——己の命を賭してまで、どうして我に固執する」
すると、彼は俺をじっと見据え、告げるのだ。
「——もはや、止められんのだよ。我らはこの国を滅ぼすために、全てを尽くしてきた。何が犠牲になろうとも。——その犠牲を、今更無駄にはできぬのだ。故に」
彼はナイフを取り出す。
「死んでもらうぜェ。なんとしてでも。お前の命、頂戴するッ!」
絶叫して飛びかかる斑鳩。しかし——それを止めたのは。
「——吉谷里」
「お逃げください、皇帝陛下」
「裏切りよって、よく言う」
俺はそんな言葉を彼に投げかけた。
血が、ぽたと垂れる音がした。
「吉谷里ァ! ——よくも裏切りよったな」
斑鳩の言葉に、しかし彼は「先に裏切ったのはどちらだ、下種が」と唾を吐き捨てる。
呼吸音が反響する。
沈黙のなか。
ただ乱れた呼吸音と、ポタポタと血が垂れる音。
「俺は、裏切られたのだ。何もかもに」
吉谷里は独白した。
「——俺は、テロリストだ。だが、それ以前に愛国者だ。この国を愛する、一人の国民なのだ。
故に、腐りきったこの国を、どうにかして良い方向に導きたかった。
だから、国に仕えた。しかし、出来ることには限りがあった。
——悪に手を染めてでも、この国に光を導きたかった。
故に、俺は皇帝を殺したかった。皇帝も、評議会も、何もかも全てを壊して、リセットしたかった。その末に、光があると思っていたのだ」
「……ッ、だから、俺ァ——」
水を差し掛ける斑鳩に、彼は怒鳴る。
「だが、貴様に裏切られた。利権にまみれ、強欲に支配された評議会に。——テロすら、この国を救う光にはなり得ないと知ったのだ!」
再び、しんとする牢の中。
「何もかも、信じられなくなった。——その中に、ただ一つ希望が残っていることすら」
そして彼は、腕からナイフを引き抜き、俺を見た。
「——貴方こそが、希望なのだ。皇帝よ」
「何を——」
疑問を口走りかける斑鳩に、吉谷里は叫んだ。
「貴方は今、民を知ったはずだ。国の現状を知った。その身体で、受け止めた」
「——ッ!」
「故に、貴方は『変えられる』。その希望を、私は目の当たりにしたのだ」
そう言いながら、彼は斑鳩に駆け寄り——その首に腕を回し、羽交い締めにする。
「き、りや——貴様ァァァァァ!」
叫ぶ斑鳩の声に負けぬように、吉谷里は叫ぶ。
「お逃げください。私のことは気にせずに。——次の時代を、作るために!」
「……っ、しかし」
躊躇う俺の背に、暖かさを感じた。
「——貴方は、優しすぎる」
目を見開く俺に、吉谷里は語りかけた。
「知ってますか。優しすぎるような方に、皇帝は向いていないのですよ。——貴方のような方には」
目の前に光が見える。——いつの間にか、階段の上にいた。
「——だからこそ、新時代を担ってほしい。『皇帝なき時代』を、率いてほしい。そう思うのです」
「……その横に、お前がいてほしい。そう思うのは野暮か」
語りかける。だが。
「その席を担うには、私は汚れきってしまいました」
ああ、彼ほど崇高な犯罪者が、未だかつていただろうか。
「さあ行ってください。——貴方の理想を、見せてください」
背中越しに微笑んだように見えた。
どん、と背中を押された。
振り返ると——既に、鉄の扉は閉まっていた。
「……開けろ。開いてくれ——開かない。吉谷里。吉谷里ッ!」
がんがんと叩いても開かない扉。
中の空気は、今頃毒ガスに置き換わっていることだろう。
「開けてくれ! 開けろ! 出てこいよ! なあ、吉谷里!」
声は聞こえない。それどころか、息さえも。
「苦しいだろう。つらいだろう。……なあ、泣き言くらい言ってくれよ。声を、聞かせてくれないか——」
その願いが叶わぬものであるとは、既に解っていた。
鉄扉の前。俺は、拳を握りしめた。
頬に垂れた水滴が、傷口に滲む。
門の前は凄惨だった。
幾人もの死骸。その中に、青年が一人立っていた。
「先ほどの——白銀と言ったか」
そう尋ねると、彼はナイフを空に振って、血を切ってから首を縦に振った。
「……お主は、取り返しのつかない喪失を味わったことはあるか」
「ええ。……そういう人は、たくさん見ていきました」
目を伏せる青年。彼自身も、そういう喪失を味わったことは、想像に難くない。
静かになった空を見上げ。
「そういうときは、どんな顔をすれば良いだろうか」
「人それぞれです。泣き崩れる人も居れば、笑顔を作る人だって居ます」
「……終わったのだな」
「いえ。まだ始まったばかりですよ」
そう彼は答えた。
嫌になるくらい晴れ晴れとした空。
「而して——いまだけは、許してくれ」
親友のために、『俺』は一人、涙を落とした。
*
——それから、四ヶ月が経った。