「こっちです!」
少女が叫ぶ。
「ラン! どうしてここが——」
「皇帝様の血の跡をたどってきたんです。——あなたを、迎えに」
一緒に逃げていく。走る。走る。
「シレーヌ! 走れるか!?」
「うん! というか、いろいろ状況が追いついてないんだけど!」
「とりあえず俺んち来い! ——後宮へ!」
「えええええ——!?」
……目を回す彼女。無理もないが、俺のせいで巻き込んでしまったんだ。礼は尽くさせてもらうぜ。
「アレは廃妃様じゃあないか!」
「二人もいるぜ!」
何人かの街の人が俺たちを指さす。
一瞬のおびえ。——笑われる。馬鹿にされる。
しかし。
「いつも応援してるよー!」
「いろいろ頑張ってんの知ってっから! 無理しすぎるなー!」
「無理せず毎秒本だせー!」
……声援、か?
目を見開いた俺に、ランは告げた。
「みんな、あなたたちのことを応援してますよ。せんせーのことをよく想わない人だって居ますが、それは氷山の一角に過ぎません」
「……でも、売れ行きが」
「知ってますか? ——せんせーの本って、徐々に売れるタイプなんです」
実は、往々にして作者よりファンの方が、作者のことをよく知っていたりするものだ。
——よく考えてみれば、そうだ。初動売り上げが、ロングセラー商品の総合売り上げに勝るはずが無い。
初動で見れば鈍い作品も——少しずつ『売れ続ける』場合だってあるわけで。
「せんせーの最新作は、今も売れ続けてます。——世界的なロングセラーって話も、この前聞きましたよ?」
信じられないような話に、俺は息を呑む。
カトルの奴、なんで教えてくれなかったんだ?
——いや、知ろうとしなかっただけだ。自分の作品は売れないのだという妄執に囚われて、終ぞ知ることが出来なかったのだ。
たぶん、元の俺だって知らなかった事実。分析不足の招いた悲劇だ。
「……ちゃんと、届いてたんだな」
溢した一言に、彼女は微笑んだ。
*
「久しぶりだな、男勝りの嬢ちゃん」
警備員のオッサンは笑って俺たちを出迎える。後宮裏門。
「……どうしたんだ? 顔、ぐっちゃぐちゃだぜ? なんか笑えてくるくらいにさ」
そう笑いかけてくる彼。ラフメイカーみたいなこと言うなよ。どうせ世界の壁に阻まれて通じないだろうから言わないけどさ。
「へへ、なんでもねぇや。……ありがと」
そう返して、俺は部屋に上がる。
自室は大層賑わっていた。
「おねえちゃん!」
灼苑が俺を見て目を輝かせた。
そばには傷だらけの人形。
「……それって」
「いいんだ。……壊れたら、治せるから」
「でも」
「——好きな人を守れたんだもん。これ以上の幸せなんて無いわ」
目を細める少女に、俺はただ静かに目を伏せた。
「奉景ちゃん! 大丈夫かしら!?」
第荘が焦燥した顔で駆け寄ってくる。それを、朔月はぽかっと叩いた。
「先にご主人様を心配なさいな」
「でも、うちのご主人様はそんなことで傷つくようなタマじゃあないでしょう?」
ムキーっと怒る朔月を、俺は「まあまあ」となだめた。
「第荘だって、お前を信じてたんだよ。きっと」
それに当の本人はこくこくと頷く。
「本当ですの?」
こくこく。
「うそですわよね?」
目をそらす第荘。
「こらーっ!」
「あいつら、ほうっておいてもいいの?」
主従の追いかけっこを戸惑って見ているフレアの言葉に、俺は笑った。
「こういうことは、信頼関係が無いと出来ないことさ」
「えーっと」
部屋の隅で所在なさげにしている金髪の少女。
「どうしたんだ? シレーヌ」
尋ねると、彼女は目を丸くして。
「ハルちゃんって、もしかして——」
「廃妃、奉景だが」
彼女はひれ伏した。
「今まで無礼を働いちゃってすみませんでした——っ!」
「落ち着けって。顔上げな」
数分後。
彼女は俺の注いだお茶をすすって、息を吐いた。
「――はえー。だからあんなに文章上手かったんだー」
他人事のように告げる彼女。
「……いまさらだけど、本当にハルちゃんだよね?」
そう尋ねてくるので、俺はニコッと笑って見せた。
「ハルちゃーん!」
「おー、よしよし。まったく、シレーヌはかわいいなぁ」
俺の胸に飛び込んできた彼女を撫でてやると、レモンが指をくわえてこっちを見ていた。そんで親友に慰められていた。みんなかわいい。
「――さて、書くか」
ため息一つ。シレーヌを思う存分撫で散らかしたあと。
筆を手に取った。
「突然ですわね、お姉さま」
いつの間にそばに居たのか、朔月が……すっごく荒く息を吐きながら、尋ねる。よほど追いかけっこが楽しかったのだろう。
それはさておき。
「もう、毒は大丈夫ですの?」
そう尋ねた彼女に、俺は一瞬きょとんとする。
意図を掴み損ねて――しかし、少し納得した。
「ああ。もう、大丈夫」
心のもやは、晴れたから。
俺は机に向かおうとして――一度、振り返る。
部屋を見渡して。
ここに集う何人もの人に、目を細めた。
「本当に、ありがと」
まずは皇妃選抜だ。
もはや長編を書く時間は残されていない。短編でも、仕上げたもん勝ちだ。
なにより、待ってくれている人が居る。だから、その人たちに向けて、ちょっとでも何か返したい。すぐにでも。
だから、俺は文を書く。書かなければいけない。いや――書きたい。
そう思ったから。
俺は深呼吸をして、机に向かった。