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第51話

 空港から戻り、玄関の扉を開ける。家に入ると、世界から私たちだけの時間を切り取るように、ドアが低い音を立てて閉まった。まるで、これから私たちだけが共有する小さな秘密を、そっと封じ込めるみたいに。


 予感はすぐに現実になった。二人きりになった瞬間、蓮さんの腕が後ろからそっと私を抱き寄せる。


 太陽のような温かい匂いと速い鼓動、そして力強い身体の感触に包まれると、恋しさが一気に胸に溢れる。私は、抱きしめる蓮さんの手に自分の手を重ねてみた。


 吐息がそっとこめかみに触れ、肩越しに振り返ると、唇が柔らかく重なった。


「薫……」


 耳元に響くかすれた低い声。その一言で、胸の奥に小さな火が灯ったような気がした。


 蓮さんは私の腕を優しく引き、自分の方へ向かせる。背中に回された手がしっかりと私を抱きしめ、再び唇が重なった。外気で冷たくなっていたはずの唇は、もう熱を帯びていた。


 彼が他の誰かのものだと思い込んでいた苦しさも、彼と離れていた寂しさも、すべてがこのキスで溶かされていくみたいだった。


 唇が自然と開いて、彼を受け入れる。唇が離れるたび、その一瞬すら惜しむように、蓮さんがまた求めてくる。私は思考も時間も忘れ、ただ彼に全身を預けていた。


 熱が波のように押し寄せて、切なさでいっぱいになる。気がつけば、私は彼のテーラードジャケットの襟を掴み、さらに自分の方へと引き寄せていた。もっともっと、蓮さんに近づきたかった。


「……ベッドに行こう」


 その声に、私はぎゅっと目を閉じた。そして、少しだけ顔を離して言う。


「待って、シャワーを浴びさせて」


 きっと頷いてくれると思っていた。でも、蓮さんは耳元に顔を寄せ、低く熱を帯びた声で答える。


「ダメ、待てない」


「5分だけ……」食い下がる私を見つめ、蓮さんは切なげに目を伏せて言った。


「それじゃ、俺と一緒にシャワーを浴びるか、このままベッドに行くか……薫が選んで」


 その端正な顔は、抑えきれない想いにわずかに歪んでいた。それを目にした途端、胸の奥がぎゅっと締めつけられ、愛おしさが押し寄せてくる。


 私は彼の耳に触れ、その輪郭をそっとなぞった。蓮さんの体温が、さらに高くなった気がする。……もう抗えるわけがない。私は選んだ。


「このままで……」


 最初の夜と同じように、彼は私を抱きかかえてベッドへと運び、シーツの上に横たえた。唇が、何度も繰り返し重なる。その表情からは、いつもの穏やかさや余裕は消えてなくなっていた。


 れながらシャツを脱ごうとする彼の手を取り、私は「蓮さん、ちょっとだけ待って」と言った。


 だけど彼はその手を引き寄せ、またキスを求めてくる。


「シャワーは諦めたんだから、少しだけ待って」


 はっきりした声で言うと、蓮さんは動きを止め、少し戸惑ったように私を見つめた。


「ごめん……嫌だった?」


 彼の真剣な表情に、私は慌てて首を振る。


「嫌じゃない。ただ、その前に言いたいことがあるの」


 隣に座ってもらい、私は乱れた息を整えながら背筋を伸ばした。


「蓮さん」


「はい」


 彼も姿勢を正し、まっすぐに私を見つめた。──初めて会ったときと同じ澄んだ深い色の瞳が、そこにはあった。


 蓮さんの頬に、そっと左手を添えてみる。彼の熱い手が、私の手を優しく包み込んだ。


「私は……蓮さんのことが、大好きです」


 想いがようやく言葉になり、私は自然と笑顔になった。「蓮さんに、ずっと伝えたかったの」


 蓮さんの表情から緊張が消えて、柔らかな微笑みがゆっくりと広がった。彼は「ありがとう」と言って私を抱きしめる。優しい香りに包まれて、私は目を閉じた。


 腕が緩むと、蓮さんは何度も小さなキスをくれた。そのキスはまるで雨粒のようで、一滴ずつ染み込むように心を満たしていく。


 最初は触れるだけだった唇が、次第に熱を帯び、息を乱しながらさらに深く求めてくる。重なるたびに濃密さを増すキスに、私の思考はすべて飲み込まれていくみたいだった。


 蓮さんが私のシャツのボタンに手を伸ばし、一つずつ外していく。最後のボタンが外れたとき、私は彼を見上げた。澄んだ瞳が、まっすぐに私を見つめていた。


「薫……」


 彼が私のシャツを脱がせる。私は自分の背中に手を回し、ブラのホックを外した。


 素肌に触れる彼の指先が、甘い熱を帯びて私の鼓動を早める。甘い声が喉の奥からこみ上げてきて、思わず手の甲で口元を押さえた。蓮さんは優しく私の手首を取り、その手をそっと外した。


「……我慢しないで。薫の声、俺だけに聞かせて」


 その言葉に、胸の奥が愛おしさで満たされた。私は静かに頷いて、すべてを蓮さんに委ねる。


 蓮さんの指先と唇が肌を優しく撫でると、思わず小さな喘ぎが漏れる。そのたびに彼の舌が、その声を拾い上げるかのように甘く探った。


「……見えないところに、少しだけ跡を残してもいい?」


 かすれた声で蓮さんが囁く。


「蓮さんの跡……いっぱい付けてほしい……」


 私がそう告げた瞬間、蓮さんの瞳がわずかに揺れ、潤んだ光を帯びる。感情があふれてしまいそうなその目に、胸の奥が切なく熱くなり、私は彼の頬に手を伸ばした。


 蓮さんがそっと私を引き寄せ、また唇が重なる。触れるたびに私たちの心と体が溶け合って……この瞬間が、永遠に刻まれるような気がした。

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