「え、姉ちゃん、ここで暮らしてるの!?」
蓮さんのテラスハウスの前に着くなり、祐介は目を丸くして、大げさに驚きの声を上げた。
「うわ、庭付きじゃん! タワマンだったら『出た、タワマン住みのスパダリ』って突っ込もうと思ってたのに……正直、俺がここに住みたいわ」
「ちょっと、みっともない真似はやめてよ」
庭木の隙間から庭を無遠慮に覗き込もうとする祐介の袖を引っ張りながら、私は半ば呆れて言った。
「明日から不動産会社を回って、さっさと自分の部屋を探してね。新居が見つかったら、一日でも早く出ていってもらうから」
「ハイハイ」と適当に返事をしながら、祐介は玄関の前に立った。窓から漏れる暖かな灯りが、蓮さんがすでに帰宅していることを告げていた。
「絶対に──本当に絶対に、蓮さんに迷惑をかけないでよ」
そう念を押しながら鍵を開けると、祐介は私より先にするりと屋内に入り込み、「ただいまー」と図々しく声を張り上げた。
「祐介、あんた、何を勝手に!」
私が声を荒げると、リビングのガラス戸が開き、リネンシャツにカーキのエプロン姿の蓮さんが現れた。
「ああ、おかえり」
私は慌てて祐介を引き寄せて、蓮さんに紹介する。
「蓮さん、これが弟の祐介です。祐介、こちらは出雲蓮さん」
しかし、祐介は私の言葉を遮るように「うわあああ、イケメンじゃん!」と声を上げた。
「ばあちゃんが言ってた通りだわ。めったにお目にかかれないレベルのイケメンだ!」
そう言いながら、祐介は蓮さんに近づき、あちこちからまじまじと顔を覗き込む。その軽率な態度に、私は慌てて祐介の耳を引っ張った。「アイタタタ!」と小さな悲鳴が上がる。
「祐介、やめなさい! 失礼でしょ」
強く叱る私をよそに、祐介は耳を押さえながらもヘラヘラと笑い、さらに続けた。
「だって姉ちゃん、初の彼氏がこんなイケメンエリートなんて、もう奇跡じゃん。蓮さんくらいの人なら、周りにもっとキラキラ女子がいっぱいいるでしょ? ねぇ、蓮さん。本当にうちの姉ちゃん
「祐介……?」
いつもの祐介らしくない発言に、私は眉をひそめた。彼は、誰かを貶めたり、不必要に持ち上げたりする人間ではない。それなのに──どうしてこんな言葉を?
困惑する私をよそに、蓮さんが静かに口を開いた。
「祐介くん。薫の弟である君を歓迎するつもりだったけれど、僕の大切な人を見下すような発言を続けるなら、ここには泊められないよ」
蓮さんの声は静かだが、氷のような冷たさを帯びていた。そして、彼の目にはこれまで見たことのないくらいの厳しさが宿っている。蓮さんが怒っている──そのことが、痛いほど伝わってきた。
祐介は一瞬たじろいだが、すぐにおどけた様子て「わ、怖っ!」と肩をすくめてみせた。
「すみませんね、冗談っすよ。でもさ、姉ちゃんみたいな庶民にはもったいないくらいのハイスペ彼氏が現れたら、誰だってビビリますって!」
蓮さんは静かに小さく息をつき、祐介をまっすぐに見つめた。
「祐介くん、君が僕たちの関係をどう思うかは自由だよ。ただ──」
言葉を切り、蓮さんは私へと視線を移す。その眼差しは、先ほどとは違い、いつもの深い温かさが戻っていた。
「一つだけ言わせてほしい。家族の軽口だってことは分かる。でも、僕にとって薫は、かけがえのない特別な存在なんだ。だから、薫を軽んじる発言は、僕自身を軽んじるのと同じだと受け止める──そう理解してほしい」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。普段なら照れてしまうところだが、蓮さんの真剣な眼差しから目をそらすことができなかった。
何も言えず彼を見つめていると、蓮さんはふと目を逸らし、首筋に手を当てた。その動作に、私は思わず微笑んでしまう。私はもう知っている──照れたときに見せる、彼の癖だ。
蓮さんは再び祐介に向き直り、さっきよりも穏やかな声で続けた。
「冗談なら僕も笑って受け止めるけれど、薫への敬意は忘れないでほしい。それが、家族としての最低限の礼儀だと思うよ」
祐介は「すみませんでしたー」と間延びした調子で謝罪する。その様子に、私は再び疑問を覚えた。祐介は本来、人の気持ちを考えて、もっと誠実に謝罪できるはずなのに──。
蓮さんは困ったような笑みを浮かべると、「とりあえず入って。お茶を淹れるよ」とリビングのドアを開いた。