「それじゃ、ねこつぐらの輝かしい未来を祝して、乾杯!」
祐介が満面の笑みで音頭を取り、「乾杯!」の声とともに、私たちのグラスが軽やかに響き合った。私たち三人はビール、蓮さんのグラスには、フレッシュレモンを搾った炭酸水が用意されている。
オープンしたばかりの「古美多」には、祐介と伊吹くん、それに私と蓮さんの四人だけ。まだ他のお客さんはいなかった。
祐介いわく「常連のみんなには、ねこつぐらの快進撃をテレビで初めて知って、腰を抜かすくらい驚いてほしい」のだそうだ。そのために、誰もいない早い時間に店を予約し、先に乾杯を済ませることにしたらしい。
「祐介くん、伊吹くん、『笑いの芸品館』オーディション通過おめでとう! 店から激励の一皿よ!」
ポップな柄のバンダナを巻いた京花さんが、いつものキュートな笑顔を浮かべながら、大皿をテーブルにどんと置いた。
そこには、ご飯で作られたステージの上に揚げたての一口カツが積み上げられ、頂上にはブロッコリーとうずらの卵が一つずつ。そしてステージの周囲には、5個のプチトマトが等間隔で並べられていた。
「京花さん、美味しそうだけど、この
祐介が不思議そうに皿を覗き込むと、京花さんは「ふふふ」と得意げに笑い、ソースのボトルを手に取った。そして、プチトマトの横に「100」を5回書き足す。
「ねこつぐら優勝の瞬間をイメージした一皿、『カツカツステージ』よ! プチトマトは審査員で、全員が満点を出した伝説のシーンを再現しているの!」
「再現て、京花さんタイムリーパーか! しかも『カツカツ』って、なんか微妙に不安を煽るワードだな!」
祐介が笑いながらツッコミを入れると、伊吹くんも戸惑いの表情を作って続けた。
「京花さん、もしかしてこのブロッコリーが祐介で、うずらの卵が僕ってことですか……? しかもこの卵、殻を剥くのに失敗して白身が破れてるし!」
京花さんは二人のツッコミに満足そうに笑いながら、こちらを向いて言った。
「薫ちゃんの彼氏、イケメンすぎてモデルさんかと思ったわ! 常連さんたちが来たら、『今日は取材か?』ってカメラを探し始めるわよ、きっと」
蓮さんは少し照れたように微笑み、控えめに首を横に振る。その姿がどれほど魅力的か……本人はまったく気づいていないのだろうなと思いながら、私は思わず口元がほころんだ。
「激励プレート」以外にも、祐介が注文した料理が次々とテーブルに運ばれてくる。「お笑いは潮時かな」とは言っていたけれど、初めてのオーディション通過がよほど嬉しいのだろう。
「古美多めし、蓮さんにぜひ食べてほしいと思ってたんだ」
祐介が料理を小皿に取り分け、蓮さんに差し出す。蓮さんはお礼を言って、海藻サラダを口に運んだ。
「これ……すごいな、海藻の鮮度が違う。弾力、歯ごたえ、香り、どれも際立ってるね」
「さっすが、俺の蓮さん。わかってらっしゃる! これはなんと、今朝、京花さん
「そんなわけないでしょ! 北陸から取り寄せてるのよ」
カウンターの京花さんが笑いながら遮った。
祐介の言葉にはもう一つ、どうしても聞き捨てならない点があった。私はすかさずツッコミを入れる。
「祐介、蓮さんはあなたの蓮さんじゃありませんから!」
「じゃあ誰の蓮さんだよ」
「みんなのよ!」
「って、みんなのかよ!」
横を見ると、蓮さんが頬杖をついて、声を上げて笑いながら私たちを見ていた。なんだか実家での素のやり取りを見られているようで、少し照れくさい気分になる。
でも──よかった。蓮さんも楽しんでくれているみたいだ。
あのとき、蓮さんからの温泉への誘いを断るのは、本当に心が揺れた。……二人だけの特別な時間が、頭の中に鮮明に浮かんでしまったから。
でも、祐介のメッセージには抑えきれない喜びがあふれていて、それを無視するなんてことは到底できなかった。そして蓮さんも、「特別な日だから、一緒にお祝いしよう」と優しく微笑んで、この予定に快く合わせてくれたのだ。
──それが、私には何よりも嬉しかった。
18時を過ぎると、常連さんたちが続々と店にやってきて、席を埋めていった。
顔馴染みの彼らは、片手を上げて祐介と伊吹くんに挨拶し、それから蓮さんを見るなり、「お、俳優さんがいるぞ! 取材か?」と言って店内を見渡してカメラを探し始める。京花さんの言葉がそのまま現実になったのが面白くて、私たちは思わず顔を見合わせて笑った。
「それにしても、俺たちよく通ったよな。だって、コントの一番の山場で、伊吹、噛みまくったじゃん」
周りに聞こえないように声を落として、祐介が言った。蓮さんは少し不思議そうな表情で答えた。
「珍しいね。『笑いの芸品館』のオーディションは、一度でも噛むとさらに厳しく評価されると聞いたことがあるけど」
「さすが蓮さん、詳しいっすね。でも、俺もそこはちょっと不思議に思いました」
その瞬間、伊吹くんの動きがピタリと止まった。みるみるうちに顔が青ざめ、口が硬く一文字に結ばれる。目だけが忙しなく動いている。
……伊吹くん?
「でもまあ、『幸運は準備ができた
祐介がおどけて笑いを誘おうとするが、伊吹くんの表情は変わらない。箸を止めたまま、青ざめた顔で固まっている。呼吸も浅いようだった。
「……伊吹? どうした?」
「伊吹くん、大丈夫?」
祐介と蓮さんが異変に気づいて、ほぼ同時に声をかける。
「い、いや、なんでもないよ……」
伊吹くんはわずかに顔を上げて、弱々しい微笑みを浮かべた。
「なんかさ、緊張が……ぶり返したみたいで」
でも、その怯えたような表情は──とても、人生初のオーディションに合格した人が浮かべるものとは思えなかった。