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第2-3話 聖杯の内(3)

 タージュは長く短い独白を続けていた。


「短い旅の果てに、私はレハームの森に庵を結びました」


 レハームの森に、小さな家を建てた。タージュはそう言った。

 ルウルウとタージュが、十数年間ともに過ごしたあの家だ。気の向くまま本を読み、薬を作り、人々を助けていたあの家のことだ。


 ルウルウは赤子の折、あの家の前に捨てられていた――とタージュは教えてきた。タージュはルウルウの両親についてなにも知らず、ルウルウはそれでも満足してきた。タージュからの惜しみない愛情を受けたからだ。


「そして私は……」


 言いかけて、タージュはルウルウを見た。タージュの緑色の瞳に、深い憂いの色がある。ルウルウはその色を見て取って、逆に心を強くする。思考がクリアになる。


「お師匠様」


 ルウルウはタージュの手を握った。ルウルウの心は揺れているが、思考はクリアだ。心を込めて、タージュに言う。


「わたしは、どんなことでも受け入れます」

「ルウルウ……」


 タージュが泣きそうな顔になっている。


「私は……ひとりの子を、生みました」


 ルウルウは心臓が跳ねるのを感じた。タージュが子供を生んだことがある――知らなかった、タージュの人生を見せられた気がした。


「私の愛した、巡礼者との子を……生みました」


 タージュはそっと腹部を押さえた。


「生んだあと、私は決めました。この子の親であることを隠そう、と」

「なぜ……?」

「私が母親だと思えば、その子は父親のことをも知りたがるでしょう。父親のことを知らせるわけにはいかなかった。誰にも知られたくなかった」


 タージュの下した苦渋の決断。


「誰かが知れば、その子はこの世界で生きていけない……」


 タージュはその子を守るために決断した。子供自身にも真実を隠すことにした。しかしそれが暴かれようとしている。もはや隠してはおけないのだ。


「だって、その子の父親は」


 タージュが顔を上げ、ルウルウの顔を見つめる。

 ルウルウはもはや悟っていた。黙ってタージュの言葉を待つ。


「その子の父親は……ルウルウ、あなたの父親は魔王です」


 タージュはそう告げた。彼女の瞳から、涙がこぼれ落ちる。


「まさか魔王が、あなたを狙うなんて。私は無力です。あなたを守りたかったのに……」


 泣きながら、タージュが後悔の言葉を口にする。

 ルウルウには思い当たるフシがあった。老賢者アシャの化けたタージュと出会ったとき、ルウルウも同じように泣いた。ああ、今度は自分の番だ――とルウルウは思う。


 タージュを慰められるのは、自分しかいない。


「お師匠様、泣かないでください」


 ルウルウは不思議と落ち着いていた。タージュの涙を、長衣の袖で軽くぬぐう。


「ありがとうございます、お師匠様。本当のことを教えてくれて」

「ルウルウ……」

「お師匠様は、どうやって魔王のところに?」


 自分でも驚くほど冷静に、ルウルウは尋ねる。


「二年前、魔王がふたたび巡礼者の姿で現れました。わたしは驚き、逃げることも考えたのですが……」


 一瞬であれば魔王を無力化し、ルウルウとともに逃げ去ることもできただろう。だが事情が事情だった、とタージュは言う。


「魔王の持つ聖杯には、すでに多くの魔力が溜まっていました。魔王が溜めたのです。そしてそれを使って神になることに協力しろ――と言われました」


 タージュは決断した。魔王をたばかってやろう。世界のため、否、ルウルウのために。


「私は魔王に従うふりをして、聖杯のフタとなりました。聖杯がこれ以上、大きな魔力を溜めないように……と。そうすれば、魔王は神にはなれない」

「そうでしたか……」


 ルウルウは深くため息をついた。


「だから魔王は、わたしが必要だったのですね」


 ルウルウが実の娘ともなれば、タージュを懐柔できると思ったのだろうか。だから魔王はルウルウを追い詰めていたのだ。聖杯のフタとなったタージュを、ルウルウを使って慰撫する。そうして聖杯を完全に手に入れようと思ったのだ。


「聖杯を手に入れて、神になる。神になって、悪意をばらまく」


 魔王はまるで病のようだ。恐るべき伝染病のような、願いを持っている。


「そんなこと、させません。お師匠様、どうかこのまま……聖杯を守りましょう」

「ええ、ルウルウ」


 涙を流し終えたタージュが、ルウルウの手を握り返す。


「幸いにも、私は聖杯の魔力を自由に使えます。これを使えば、魔王を倒せるかもしれない」

「ええ、お師匠様」

「まずはルウルウ、あなたの仲間たちを助けましょう」

「はい!」


 強い絆で結ばれた師弟――親子は、決意を新たにした。

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