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第69話

 桜子はステージに立っていた。

 客席400ほどのこぢんまりとしたホールに、今は清隆と桜子の二人だけがいる。それでも、ステージに立つとそれなりに気持ちが引き締まる。足元の木材すら家と異なる物に思えてきて、浮足立ってしまう。

 こういう場というと、昔は吹奏楽のコンクールやコンサートで使ったっけ。

 当時の印象が残っているせいだろう。ステージに立つと反射的に緊張してしまう。高校最後のコンクールの記憶が蘇るようで、心拍数が上がる。そんな自分に苦笑し、心を宥めた。

 今は、緊張すべきときではない。だいたい、誰もいないホールで緊張する意味がわからない。

 ステージをぶらぶらと歩いている清隆を見ると、桜子のような葛藤は全く無さそうで、実にリラックスしている。除霊の仕事で来ているのだからリラックスされても困るのだが、とにかく余裕がある。

 さっき、ホールの館長から説明を受けるときはガチガチに固まっていたのに。

 今回、清隆に舞い込んだ除霊の依頼は、ここ、「ベルホール」に現れる幽霊を祓ってほしいというものだった。正確には、何を訴えているのか探り、できれば成仏させてあげてほしいという穏便な言い方だった。

 ひとまず、今日はホールの使用予定もなく、自由に調査していいと言われている。

「清隆さん、どうですか」

「どうって?」

「だから、幽霊がいるのか、いたら何を訴えているのかってことですよ」

「そう簡単にわからないって、そろそろ桜子さんもわかっているんじゃない?」

「まあ、そうですけど。訊いてみただけじゃないですか」

「答えるだけ答えておくと、何かはいるんだろう。でも、それが職員に憑いているのか、この建物についているのか、それはまだわからない」

「職員に憑いているってこと、あります? 今回はかなり事情がはっきりしているじゃないですか」

「それを信じすぎると、痛い目見るかもしれないよ」

「そうですかね」

 清隆はステージ上に設置されているピアノの前の椅子に座った。人差し指で鍵盤を押す。ファの音がガランとしたホールに響く。

「出てこないか」

「何か試したんですか?」

「ピアノを弾いたら姿を現すかと思って」

「現しましたか?」

 清隆は首を振って立ち上がった。

「どうも、これが条件ではないらしい」

 清隆について回るうち、知ったことがある。幽霊には、条件を満たすことで会える種類のモノがいるということだ。水泳選手の川木達人のケースは、かぶらぎ運動公園のプールに入ることだった。今回も同じ要領で、ベルホールのピアノを鳴らしたら姿を現すかと思ったのだろう。

 清隆は肩を落とすこともなく、舞台袖に入っていく。その後をついていきながら、館長から聞いた話を思い返した。


 長澤ゆりかという高校生の少女がいた。ピアノに打ち込み、通っていたピアノ教室では断トツの実力で、将来的には音大への進学も確実と言われるほどの子だった。

 親、特に母親のみどりはサポートを惜しまず、献身的にゆりかを育てていた。

 ベルホールでは、ゆりかが通っていたピアノ教室の発表会を毎年行っていて、館長はゆりかの成長を見るのが楽しみだったという。

 教室の講師はもう十年以上継続して発表会を開いているので、館長や職員とも親しくなり、「またこの季節が来ましたね」などと話す仲だ。その講師に、今の有望株は誰かと問えば、必ずゆりかの名前を挙げていたという。

 だが、期待をかけられていたゆりかは死んだ。原因不明の心不全。自室で倒れ、誰に助けられることもなくいつの間にか息を引き取っていた。夕方、部屋から出てこないゆりかを訝しんだ母親が部屋を覗くと、倒れたゆりかの姿があった。そのときには既に死亡していたらしい。

「服装が、亡くなる直前に出た発表会そのままなんですよ」

 館長はそう証言している。出る幽霊は少女で、真っ黒の髪が長く、それよりさらに黒いノースリーブのワンピースドレスを着ている。

 その服装と雰囲気が、長澤ゆりかと酷似していた。

 館長も何度か見かけている。夜の廊下ですれ違ったり、閉館作業をしているときに人影を見たりと月に数度見かけるそうだ。

「館長さんがたまに見えたってことは、何かの拍子に偶然見えるタイプなのかもしれない」

 舞台袖を見て回っているとき、清隆が独り言のようにぼやいた。

「だとすると、根気強く探していれば会える可能性はある。でも、そんなに時間をかけていられないんだよなあ」

 清隆は反対側の舞台袖に移動する。元よりたいして見る物もない。調査自体はすぐに行き詰ってしまうだろうと思われた。

 だが、ステージの中央付近で清隆が目を客席にやると、唐突に足を止めた。

 目線は客席に注がれている。

「どうしました」

「客席での目撃証言が一番多かったな、と思ってさ」

「ああ、まあ、一番人がいる場所でしょうからね。見ている頻度で言えば、館長さんや職員さんが多いですけど」

「いや、頻度じゃなくて、状況の話でさ」

 清隆の言いたいことがうまく掴めず、少し考えてしまう。それをわかったのか、清隆が言葉を繋いだ。

「来館者が目撃しているケースもたくさんあったよね」

「ありましたね。まあ、館長さんからの又聞きですけど」

 館長から聞いた話では、ピアノの発表会を開くと、毎回と言っていいほど長澤ゆりかの霊が目撃されているのだという。

「いかにも怪談って感じでしたね。演奏をして舞台袖に戻ったら、次の出番の子とは別の子がいた。客席に座っていたら、隣にワンピースドレスを着た知らない子が座っていて、いつの間にか消えた。当然、その子の出番はなかった。演奏中に客席の間を歩き回る女の子がいたけれど、後になって周囲に訊いても、そんな子はいなかったと証言される。でしたっけ」

「聞いただけでもそれだけあるんだから、実際はもっと沢山目撃されているってことだと思う。あとは、気づかれていないケースも多々あるだろうね」

 かぶらぎ運動公園の川木のケースを思い出す。左足が無いことを除けば、ごく自然な人間に見えた。見えても生きている人間だと思われた可能性は多分にあるだろう。

「そういう、来館者が目撃している状況が、客席付近に集まっている気がするんだよ」

「舞台袖は客席ですか?」

「微妙かな。ちょっと強引だったかも」

「正確には、ホール内を動き回っているって感じじゃないですかね」

「それはそうだと思う。俺が考えているのは、どうすれば接触できるかってことなんだ。長くいれば目にすることができる相手だと思うんだけど、俺たちにそんな時間は無い。だとすると、来館者が条件を満たして会えた状況を参考にするべきだ。偶然か必然かは置いておくとして」

 状況ねえ、と桜子は天井を向いて考える。

「せめて、もう少し詳細な話を聞けたらいいんですけど」

「幽霊話なんて、真面目にデータ収集できるものじゃないからな。風聞、噂、なんとなく。そういうものの集まりがいつの間にか怖い話として成立していくものだから」

「ぱぱっと呼び出す術とか、無いんですか」

「あったらこんな調査はしていないよ」

「妹さんならともかく?」

 清隆が顔の左半分だけで愉快そうに笑った。

「そうだな。志穂ならともかく。才能の無い俺は、地道に体と頭を使うしかないんだよ」

 相変わらず、自分を下げるときに楽しそうな男だ。

 自信が無いことに自信がある。不健全だ。自信があり過ぎるのも困りものだけど、逆よりはマシな気がする。

 サカグラシと契約することになった経緯といい、自信に満ち溢れていた幼少期から今の性格となった理由といい、安倍清隆という人間に何があったのか、桜子はまだ聞き出せていない。


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