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第70話

 ベルホールには写真が沢山ある。ホールで何かの催しごとを開くたび、できるだけ写真を撮らせてもらうか、記念写真を分けてもらうことにしているそうだ。それはそのまま館の歴史であり、地域に密着している証左でもある。

 その中から、長澤ゆりかが映っている集合写真を探してもらい、桜子と清隆のスマートフォンに送ってもらった。拡大すると、黒髪ロング、そして漆黒のワンピースドレスを着た少女が、カメラに厳しい目線を送っていた。

「眩しかったんですかね」

 桜子は思いついたことを言ってみる。清隆は曖昧に首を傾げた。

「他の子たちはそうでもないみたいだけど。でも、写真を撮るときって逆光にならないように太陽が正面に来るようにして撮るし。眩しがりの子だったのかもしれない」

 館長の女性は、しんみりと画面上のその写真を見つめる。

「これが、ゆりかちゃんの最後の写真になるだなんて、このときは思いもしませんでした」

「この服装で、ゆりかちゃんらしき霊は現れるんですか」

 桜子は画面上の長澤ゆりかを指さす。

「そうです。まさにこの格好で現れます。お母さまが大変こだわって仕立てた服だそうで見るからに上質な生地なんです」

「よくご存知ですね」

「この辺りでは、ゆりかちゃんは有名人でしたから。お母さまも」

「お母さまも?」

「はい。元々、ピアニスト志望だったとかで、大変に打ち込んでいられたそうです。ですが、夢半ばで挫折し、普通の会社に就職されました。そこで旦那さんと出会い、結婚。ゆりかちゃんと、その下の子を授かり、今に至ります」

 詳しい。ゆりかが有名人だとしても、その母親についてまでそこまで知っているものか?

 桜子の疑念を感じ取ったのか、館長は慌てて続ける。

「全部、みどりさん、あ、ゆりかちゃんのお母さまの名前です。長澤みどりさんがご自分で仰ったことなんですよ」

 変に詮索したわけではないと言い訳するようで、その必死さを桜子は微笑んで受け流す。どっちでもいいことだ。

「ゆりかちゃんは、どんな子でした?」

 館長は、そうですねえ、と宙を見た。

「ちゃんと話したことは多くありませんが、真面目そうな印象を受けました。発表会を聞かせてもらったことが何度かあるんですが、譜面通りに弾く子で、でも、堅物って感じはしませんでしたね」

「もしかして、昔ピアノをされていたんですか?」

「いえいえ、私はサックスを少々していただけです。でも、こういう場所で働いていると、沢山の人の演奏を聞くことができます。そうしているうちに、なんとなくわかるようになるんです」

 桜子は頷き、先を促す。

「音大を目指そうと思ったら、楽譜通り弾くことは最低限の技術ですからね。その技術は備えていました。でも、それだけじゃなくて、かなり繊細なところもある子だろうな、と思いました」

「どうしてですか」

「人見知りをする子だったんですよね。話しかけてもなかなか応えてくれなくて。まあ、発表会前のナーバスなタイミングだったという事情もあるでしょうけど」

「ただの発表会でしょう? 言っちゃなんですけど、それで競うわけでもない、将来が決まるわけでもない、お金を取っているわけでもない。そんな会でそんなに緊張しますか」

「桜子さん、何言っているの。緊張するに決まっているじゃん」

 話を聞いていた清隆が呆れたように入ってきた。

「どうしてです? 緊張しなければならない要素、無くないですか?」

「人前で弾かなきゃならないんだよ。俺ならそれだけで充分に緊張するね。このホールは400人くらい入る。半分埋まっても200人だ。200人の前で演奏するなんて、想像するだけで胃が痛いよ」

「そうですかね」

「桜子さんって、人数は関係無いってタイプ?」

「まあ、はい。何かが懸かっているかどうか。それが重要じゃないですか?」

「さすが規格外の度胸」

「あれ。それ、言いましたっけ?」

「聞いたよ。友達からそう言われていたんだろ。話を戻しましょう。ゆりかちゃんが繊細だったというエピソードでしたね」

 館長が少し悲しそうに微笑んだ。

「発表会の日、ゆりかちゃんはずっと廊下やトイレをうろうろしていたんですよ。声を掛けてみたら、——あ、何回も会って、会話してもらえるようになってからですが——他の人の演奏を聞きたくないって言うんです」

「聞きたくない? それ、本当ですか?」

 桜子はつい質問を挟んでしまった。館長も困ったように頷く。

「普通、他の人の演奏って気になるものだと、私も思います。でも、ゆりかちゃんはそうではありませんでした。自分より上手かったら、自分より綺麗に弾く人がいたら、もしもそれを知ってしまったら、自分は弾けない。そう言っていました」

「ピアノ教室には、年上も、それこそ大人だっていたでしょう。自分より上手い人がいたって仕方ない」

「そうですよね。でも、ゆりかちゃんはそう思えなかったんです」

「そんな。自分より上手い人を認められないなんて……」

「私も、極端だな、と思いました。でも、彼女が目指していたのはそういう世界だったんです。こんな田舎のピアノ教室くらいで一番になれない人間が、プロのピアノ奏者になれるわけがない、と。本気でそう思い詰めていたんですよ」


 桜子が運転する車で、清隆と二人、長澤家に向かっていた。渋る館長に頼み込んで、長澤家の住所を教えてもらったのだ。

「さっきの話だけどさ、俺には、長澤ゆりかさんの気持ちが、ちょっとわかるよ」

「緊張するタイミングの話ですか?」

「それもだし、一番にならないといけないって思いつめていた話も。俺は、日本一の陰陽師になるって意気込んでいたイタい子どもだったからさ。身近に、自分より才能が上の人間がいるなんて、認められなかった。なんとしても自分の方が上なんだと主張して、認めさせて、屈服させないとならなかった」

「負けを認められなかったんですね」

「そう。負けを認めたら、その時点で日本一じゃなくなる。そして、ある程度成長したら、年齢を言い訳にできる歳でもなくなるんだ。プロっていうのは、そういうことだ」

「でも、自分より上手い人の演奏を聞いて勉強するのは大事だと思いますよ」

「そういう心の強さが必要なんだ。打ちのめされて、立ち上がる、そんな心の強さがトップに立とうとする人間には必要だ。でも、それは繊細さと真逆の神経なんだよ。音楽家や芸術家というのは、皮肉な世界だよね。繊細で、なおかつ図太くないといけない。世界を誰より細かく感じ取り、一方で、ダメージには誰より疎くないといけない。そんな都合のいい精神をした人が、どれだけいるんだろうね」

「適性なんか無くても、やるしかないんですよ」

 桜子はフィアットのアクセルを踏み込む。

「欲しい才能全てを持って生まれた人なんて、ほぼいません。足りないものを努力で補って、経験でカバーして、血を吐くような思いで耐えてなんとか身につけるんです。多分、世の中で活動している天才と呼ばれる人たちは、全員が、自分には才能が足りていないと思っているはずです。もっと上がいる。あの人のような才能があったなら。あの人が羨ましい。でも、そんな憧れられる人たちの才能に見える部分だって、実際は努力で塗り固められた泥臭いものなんだと思います。

 完璧な適性なんて求めていたら、何もできませんよ。必要なものは、向いていなくてもやり抜く覚悟です。それが無いのなら、遅かれ早かれ行き詰ります」

「それ、桜子さんの話?」

 清隆の問いに、桜子は苦笑いする。

「別に。私は吹奏楽が好きでしたけど、それを生業にできるほどの才能がなかったというだけの話ですよ」

「やっぱり桜子さんの話なんじゃないか」

「私みたいな半端者とゆりかさんを一緒にしちゃ、向こうもいい迷惑ですよ」

「ま、そうかもね。ゆりかさん、俺に憑いてきたし」

「え?」

「夢に破れた仲間だと思ってもらえたのかな」

 この車に乗っているよ。

 清隆は後部座席を親指で指した。


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