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そして彼は夢を諦めた

第74話

 目の前には砕け散った自動ドアがある。その奥には闇が広がり、光の一筋も届いていない。外には街灯も月もあるのにだ。

 手を伸ばせば触れられそうな濃密な闇を前にして、清隆はショッピングモールの建物を見上げる。

「静かすぎるな。こういう店ってBGMの一つくらいかかっているものじゃないのか」

 義彰よしあきは腕時計を見た。

「この時間帯なら、かかっていても蛍の光だろうけどね。ぎりぎり営業時間は終了している」

 両手をポケットに突っ込んだ状態で、清隆は肩を竦めた。

「こんなドアで、店員は帰っていいのかよ。警備上の問題あるだろ」

「まさにその警備上の問題が起こっている最中ってことじゃないの」

「あいつがこんな派手なことできると思うか」

「僕は専門家じゃないからわからないけど、できない気がする。それとも、妖怪っていうのは、皆こんなことを引き起こせるものなの?」

 問われた清隆は三歩下がった。

「影響の度合いはわからないけど、このモール全体が支配下にあるとしたら、それは格が違う」

「つまり?」

「何か裏があるってこと」

 突然、自動ドアの内側で照明が点いた。一箇所だけ、入口付近を照らすように貧弱な明かりが灯る。

 誘われているな、と清隆は体を解す。

「これ以上ここで話していても仕方ない。俺は行く。おまえはどうする」

「僕も行くよ。いつも通り、面白そうな方に一票」

 清隆は鼻で笑い、義彰は不敵に笑みを浮かべた。

「私もいるぞ」

 背後から聞こえた猫の声を、清隆は無視して一歩踏み出す。

 闇に体を浸して、和田から請けた仕事を思い返した。どこかに、何かのヒントがあるはずだと思いながら。


 安倍霊障相談サービスを始めたのは大学二年の夏のことだった。

 清隆は文学部で民俗学を専攻している。民俗学には、各地の妖怪譚の蒐集も含まれるため、将来陰陽師として活動するにあたって役立つと思って専攻した。それほど熱心な学生というわけではないが、単位を落とすほどでもなく、淡々と日々を過ごしていた。サークルには所属せず、持ち前の人見知りが災いして友人もごく僅か、その付き合いはさらに希薄という有様だった。

 そんな清隆に声を掛けてきたのが、鷹野義彰という男だった。

「安倍君さあ、見えているでしょ」

 講義後、帰ろうとした清隆の隣に座っていきなり話しかけてきた鷹野に、清隆は怪訝な目を向けた。

 たっぷり五秒考え、思い当たる顔がいないことを確信した。どうしたものかとさらに五秒考え、仕方なくへらりと笑う。

「ごめん、誰だっけ」

「あ、僕は鷹野義彰。地理学科。初対面だから知らなくても気に病まないで」

「あ、そう。なんで俺のこと知っているの」

「気になっていたから。一年のときに名前を覚えた」

「何が気になったの。俺、失礼なことでもした?」

「いや、そういうのじゃなくて。ううん、挙動、みたいな?」

「挙動?」

「そう。見えている人間の挙動をしていたから」

「何が見えているって」

「幽霊」

 鷹野は得意そうに笑顔をつくった。清隆は心臓が大きく鳴っていることを自覚しながら、努めて冷静に喋る。

「勘違いだよ」

「安倍君、嘘が下手だね。顔に出すぎ」

 返すことができなくて、清隆は黙らざるを得なかった。もっと人と話す経験を積めば嘘も上手くなるのかもしれないが、如何せん、孤独を愛する人間である。上手くなりようがない。

 講義室から人がいなくなっていく。そこで鷹野は笑顔を引っ込め、深刻な顔になった。

「相談があるんだ。彼女の家に何か出る」

「何かって、虫でも出るのか?」

「それが、よくわからない」

 清隆は冗談を言ったつもりだったのだが、鷹野は首を振った。

「僕には、多分霊感がある。そんなに強いものじゃないけど、何かいるな、くらいはわかる。だから、彼女の家に人間じゃないモノがいることはわかるんだけど、それ以上のことは何もできないんだ」

 霊が見える、聞こえる、という人間は多い。清隆の体感だと、だいたい数パーセントの人間が大なり小なり霊感を持っている。鷹野がそうであったとしても驚かない。

「どうして俺に?」

「安倍君、相当強いでしょ」

 鷹野が清隆の胸を指さした。人を指さすな、と言おうかと思ったが、邪気の無い笑顔に、言う気を失くした。

「僕は昔から、なんとなく他人の霊感の大小がわかるんだ。安倍君は、今まで見た中で一番強い。本物の霊能力者がいたらこんな感じかな、って思うくらい」

「俺は陰陽師見習いだ」

 大っぴらに言うことでもないが、隠すことでもない。日本一の陰陽師を目指す人間がこそこそするべきでもない。清隆は端的に、事実を述べた。

「親が陰陽師で、俺は修行中の身ってやつ。もっとも、大学を卒業したら正式に陰陽師を名乗ることになっているけど」

「やっぱり。本物だと思ったんだ。頼む。彼女の家にいる何かを祓ってくれないか」

 少しだけ考えた。今まで、父親伝いでしか仕事を請けたことはない。自分一人の判断で除霊をしていいのか、どうか。

 逡巡する時間は短かった。後を継ぐとしても、自分で仕事を取って来られるようにならなければ一人前とは言えないだろう。ならば今のうちからその経験を積むのは悪いことではないはずだ。だいたい、そろそろ二十歳になろうという人間が親の言うことを気にしているようではたかがしれるというものだ。

「いいよ。有料だけど」

「お金取るの? いや、無償とは思わなかったけどさ」

「無償でやっちゃいけないんだよ。助けを求める人に手を貸すのは美徳だけど、それはアマチュアの世界の話だ。俺はプロになるんだ。だったら対価を貰わないといけない。無償でやるなら責任が伴わない。俺は責任を感じながらやりたいんだ。できてもできなくてもいいだなんて仕事は、したくない」

 鷹野は、ほう、と息を吐いた。

「凄いね。もうプロ意識があるんだ」

「皮肉?」

「まさか。この大学にそんな意識を持っている学生が何人いるのかな、と思ってさ。いいよ、バイト代なら貯めてある。多少は出せるから。いくらで請け負ってくれる?」

「初回サービスってことで三万円にしといてやるよ」

「本当はもっと高い?」

「見習い価格としても倍は下らないかな」

 う、と鷹野が息を呑んだ。家賃一か月分強といえばそれまでだが、大学生には少々重い金額だ。だが、法外なほどではない。

「とりあえず、その彼女さんに話を聞かせてもらおうか」

 依頼そのものは簡単な除霊で、部屋に憑いていた地縛霊を祓うことで怪現象は収まり、清隆は報酬を得た。そして、この一件をきっかけに清隆と義彰はなんとなくつるむようになった。霊感がある者同士の連帯感もあったし、義彰の程よい距離感が心地よかったせいもある。

「安倍君の能力はさ、もっと広く皆の力になれると思うんだ」

 ある日、食堂で夕食を共にしているとき、思いついたように義彰が言った。

「安倍君も覚えがあると思うんだけど、この人何かに憑かれているな、って思うこと、ない?」

「あるな」

 はっきり背中におぶさる女性を見たこともあるし、女子学生につきまとう生霊とすれ違ったこともある。なぜかいつも首から上だけの霊を連れている教授の講義だって取っている。

「そういう人たちって、誰に相談したらいいか、わからないと思うんだ。霊能力者なんて調べてもわからないし、詐欺師かもしれない」

「だからこそ、信頼できる霊能力者の伝手ってのは重要なんだよな。父親は占いもできるから、あちこちの有力者から頼られている」

「気持ちはすごくわかる。何かに縋りたい人は絶対にいるだろうしね。もしかしたら、何も憑いていないことを確かめたい人だっているかもしれない」

 夕食のラーメンを啜り終わって、清隆は箸を置いた。

「何か、遠回しに言おうとしていないか」

「うん。ずっと考えていたんだ。安倍君、相談所を開いたらいいんじゃないかな」

「相談所?」

「霊障、怪現象、そういったものに悩む人たちの相談に、有料でのる仕事をやるつもりはない? 僕のときみたいに」

 清隆の頭の中で計算が働いた。陰陽師として独立する。親の脛をかじるだけではなく、自分の力で依頼を請け、こなす。

 日本一の陰陽師になるために、俺はいずれ親の庇護から抜け出さなくてはならない。

「できれば、僕に手伝わせてほしい。ホームページを作ったり仕事を受け付けたり、雑用くらいはできる」

「霊に関わりたいのか?」

「君に関わりたいんだよ。あと、今のところ、僕にしかできないことだと思うからね」

 少しむっとした。が、それが正しい評価であることも否めない。清隆一人では宣伝活動なんてできやしない。伝手も友人も、何もない。

「まずはホームページと名刺を作って配ることからだと思う。大学内に広めて、依頼を募ろう」

 どんどん話を進めていく義彰に、清隆は頭を掻いた。どうしてこいつがこんなに乗り気なのかわからないが、事務員として使えるなら悪くない。清隆だって、気の合わない人間よりは気の合う人間と仕事をしたい。

「わかった。大枠は義彰に任せる。細かいところは詰めていこう。まずは決起の乾杯だ」

 水が入ったプラスチックのコップを掲げると、義彰も嬉しそうにコップを上げた。

 その一か月後、二人は安倍霊障相談サービスを開業する。

 奇しくも、清隆が二十歳になる日のことだった。



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