「和田
「俺は三ツ矢
和田は黒と茶色の膝上スカートのワンピースで、やけに緊張した様子で現れた。三ツ矢は無地の、僅かに光沢がある白いTシャツにゆったりとしたチノパンと、綺麗にまとまった服装をしている。清隆は、ユニクロのTシャツにジーンズという普段着を少し反省し、すぐに打ち消した。大学生の経済事情でそんないい服が着られるか。
「とりあえず、中に入って何か冷たいものでも飲みましょう」
一方で、義彰は生地の良いシャツと涼し気なクロップドパンツの組み合わせで洒落ている。
会社の顔は、俺なんだっけ。今度服の買い方でも聞いてみようか。
席に落ち着くと、義彰はメモ帳とペンを取り出した。安倍霊障相談サービスの仕事を請けるときの愛用セットである。
「酒は無いのか」
突然割り込んできた声を無視する。
また、いつの間にか近くにいる。テーブルの下を覗き込むと、この世ならざる三毛猫が座って見上げていた。
敵意を込めて睨み、それで終わらせる。今は依頼を請けている最中だ。
最近、付き纏ってくる一匹の猫がいる。二十歳になって、義彰と居酒屋で酒を飲んでいるとき、不意に現れた。おそらく猫又の妖怪にあたるのだろうが、本人(本猫?)はそう自称しない。
「サカグラシと名乗っている。お前、私と契約しないか。私単体じゃあ、飲める酒が限られるんだ。見たところ、お前は酒にかなり強い。そして霊力も強い。話を聞いていたが、陰陽師なのだろう。どうだ、私を式神にしないか」
「式神なら事足りている」
「とても相性がいいと思うんだよ、私たちは。魂を見ればわかる。お前の酒の強さは天才の域だ。私は酒の妖でな。酒を飲みたいんだが、生身の体が無いとどうしても上手く飲めない。お前が契約したら、お前の体越しに酒を飲める。代わりに力を貸してやるぞ」
こんな具合で、気づけば近くに来て口説いてくるようになった。式神をつくる術は知っているが、どこの馬の骨ともわからない猫をわざわざ式神にするほど困ってはいない。契約するということはメリットだけとは限らない。こちらから払うものが存在するから契約なのだ。
不用意に式神を作るな、と父親から教わっていた。父親も、式神を新たに作ったことは無い。安倍家では何代も、術だけが伝わり、式神は相伝されてきた。コストとリターンのバランスが取れた霊や妖だけを、式神として活用する。それが絶対条件なのだ。
だから、どれだけ頼まれたって式神にしてやることはない。祓った方が早いだろうかと思いながら、清隆は何となく見逃している。
「清隆」
義彰と和田、そして三ツ矢がこっちを見ていた。
「話を始めていいか」
「ああ、頼む」
いかんいかん。集中しないと。
「部屋の中の物が動くんです」
和田は眉根を寄せてそう言った。
「出かけている間に、玄関に置いていたゴミ袋とか、テーブルに置いていた化粧品とか、そういうものが動いているんです」
義彰のペンが走る。
「大学に行って帰ってくると、何だか違和感があって、よく見ると家を出たときと微妙に違うんです。移動しているというより、倒れているとか、ずれているとか、そういう感じなんです。これってお化けの仕業じゃないでしょうか」
「物が動く。それは怖いですね。地震で倒れた、動いた、そういう可能性はありませんか」
義彰が現実的な仮説を挙げる。
「そういうのじゃありません。調べたけど地震は起きていませんでしたし、何というか、動き方に一貫性が無いというか。地震でずれた感じじゃないんです」
清隆は思いついたことを口に出した。
「誰かが部屋の中を動き回った、みたいな?」
「そう、まさにそんな感じなんです!」
思いのほか勢いのあるリアクションが返ってきて驚く。
「そんなことが何日も、何回もあって、昨日も帰ったら……」
和田がぶるりと震えて体を抱いた。
義彰は顎を擦った。
「誰かが本当に侵入している可能性はありませんか」
「でも、何も盗られていませんよ」
「盗聴器を仕掛けにきたストーカーかも。盗撮されている可能性もありますね」
和田の顔が青ざめた。盗撮されていると聞いていい気持ちはしないだろう。
「ど、どうしたら」
「まあまあ、落ち着いて」
義彰は真面目な表情で、でも余裕を感じさせながら話す。
「清隆、どう思う」
「ん、そうだな」
話を振られ、じっと和田を見る。何も憑いていない。先祖の守護くらいはあってもいいのだが、それすらない寂しい背中だ。だとすると、部屋に憑いているか、生きた人間の仕業か。
「陰陽師なんでしょ」
それまで黙っていた三ツ矢が口を開いた。
「占いとかで、わかるもんじゃないんすか」
「占いはそんなに万能じゃないよ。というか、君は和田さんとどういう関係?」
「彼氏っす」
ふうん、と生返事をしながら三ツ矢を視る。
こいつも背中に何も憑けていない。似た者夫婦か。恋人だけど。
これだけ空白な二人に、霊現象か。
「とりあえず、現場に来てくださいよ。こんな所で話していてもわからないでしょ」
三ツ矢が少し苛ついた様子で言う。何か憑いている場合、対面で話すだけでもわかることは多いのだが、たしかに今回はそういうケースではないらしい。
「行ってみよう。多分、行けばわかる。追加で訊きたいことも出るだろうけど、その場で訊いた方が効率的だと思う」
義彰が鞄を探った。
「そうだね。じゃあ、和田さん、先に料金の話をしたいんですが、いいですか。ここから先は実働となりますので、料金が発生します」
義彰がテンプレートの説明をする間、鞄から和綴じの本を取り出した。一ページ捲って、狼の絵が刻まれているページを開く。式神、蓮牙が封じられているページだ。三ツ矢の視線を感じる。
安倍家はこうして、和綴じの本に式神を宿し、適時開いて力を借りる。召喚することもあれば、能力を借りることもある。今回は嗅覚を借りた。途端にコーヒーの臭いが強く感じられる。
失礼を承知で、和田の臭いを探る。生理が来ていると、それを察知できてしまうこともあるが仕方ない。黙っていればバレない。
三ツ矢と目が合った。気まずそうに目を逸らされる。意外とナイーブな性格なのかもしれない。普段は清隆の方が目を逸らすことが多いのだけれど。
息を深く吸う。匂いが、何種類もあるな。
和田本人の匂いに混ざって、三ツ矢の匂いがある。そして、これは、何だ?
嗅いだことのない匂いが混ざっている。
「妙な匂いがするな」
サカグラシが和田の肩に乗って匂いを嗅いでいた。
「私も知らない匂いがいくつかある。化粧品の匂いだけじゃないぞ」
役立つアピールをしても式神にはしない。だいたい、同じことが蓮牙でもできる。清隆は黙殺した。
義彰の話が終わって、料金の話がついた。四人は地下鉄に乗って和田の家を目指す。
和田の家は大学から三十分ほどで着いた。義彰が予め訪問する流れになるかもしれないと言っておいたので、片付けられており、家の前で待たされることもなかった。
「何も無い部屋ですけど」
そう言って和田に通されたワンルームは、小奇麗に整えられ、いっそ生活感が無いくらいだった。
そして、例の匂いが強まった。
これ、何の匂いだよ。
「とりあえず、盗聴、盗撮の類から探すか」
義彰が提案し、ひとまず清隆もそれに頷いた。匂いの元を探すのは後でもいい。関係あることかもわからない。
和綴じ本のページを開き、梟の絵が刻まれたページをめくる。宵目と名付けられた梟の式神は目がいい。人間には見えない波長の光が見える。集中すれば磁場すら視ることができる。
「WiFiと、全員スマートフォンの電源を切ってください」
余計な磁場が視界に充満するとノイズになる。家電から出る電磁波がこれでクリアに視えるし、盗聴しているならその通信している電波が見えるはずだ。
梟の視力で部屋を見て回る。クローゼットも開けさせてもらって隅々まで。
無い。何も。
観葉植物や本棚なんかに盗撮用カメラが仕込まれている現場は見たことがあるが(そのときは霊でも妖でもなく生きた人間の仕業だった)、和田の部屋はそもそも物が少ない。盗撮するには不向きだ。
コンセントに近寄って見るが、おかしな電磁波は出ていない。コンセントから給電を受けて稼働するタイプの盗聴器であれば、見てわかる。
見れば見るほど、調べれば調べるほど、結論は固まっていく。
この部屋には誰も侵入していない。
清隆は身を翻して玄関に向かった。狭い三和土に傘が二本立てかけられている。その玄関を開け、外に出る。
「清隆、どうした」
「鍵を見る」
「ピッキングか」
「そう」
鍵穴を覗き込む。夜行性の梟の目だけあって、ライトがなくても超高精細だ。
ピッキングをすると、鍵穴の内部に傷が残ると聞いたことがある。だからと思って見てみたのだが。
「外れだ。綺麗なものだよ」
「じゃあ」
「うん」
清隆はここまでの結論を述べる。
「この部屋にはストーカーも泥棒も不法侵入していない」
「じゃあ、やっぱり」
和田の声が震える。三ツ矢の顔が険しくなる。清隆は部屋に戻るよう促した。そして、部屋の真ん中に立ってページを切り替える。
「これは、人の仕業じゃない。心霊現象か、自然現象だ」
「自然現象の説は否定しただろう。地震は無かった」
義彰の言葉に頷いてみせ、床に手を着く。
「床が傾いているってこともない。放置しておいて物が動くとしたら、やっぱり心霊現象かな。だけど、それなら不思議なんだ。有名なのはポルターガイスト現象、つまり霊が物を動かす現象のことだけど、それは人目の有無なんて気にしない。出かけている間限定のポルターガイストなんて聞いたことがない」
「そもそもこの部屋、霊がいなくないか」
義彰が首を捻る。
「そうだな。霊はいない」
「おいおい。心霊現象でもなくなっちゃったじゃないか」
「いや、これはやっぱり心霊現象だ。霊じゃないものがいるんだよ」
「そんなもの、どこにいるんだ」
「それを今、探している」