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第77話

 清隆は蓮牙の嗅覚を頼りに、今一度部屋の中の物を検め始めた。

「現象はいつからですか?」

「ええと」

 和田が上を向いて考える。

「たしか、一か月くらい前だったと思います」

 清隆は蓮牙の嗅覚を借りたまま、部屋をうろうろと歩き回る。

「その頃に手に入れた物、新しく出会った人、行った場所。何でもいいです、変わったことはありませんでしたか」

「変わったこと……」

 和田が腕を組んで考え込む。一か月前のことを思い出すのは意外と難しい。時間感覚は伸び縮みするので、一か月前のことかと思ったら三か月も前のことだった、なんてことはざらだ。

 案の定、和田は思いつくことがないようで、苦しそうに眉間に皺を寄せている。

「あれは? 瀬戸さんが留学に行ったの、それくらいじゃなかったっけ」

 三ツ矢がスマートフォンの電源を入れ、画面を見ながら言った。和田の顔に光が差す。

「たしかに。出会いじゃなくて別れですけど」

「瀬戸さんというのは?」

 義彰が手帳を取り出して尋ねる。

「サークルで仲が良かった先輩です。この秋からアメリカに留学に行っていて。そっか、もう一か月も経つんだ」

「アメリカに持って行けない物、色々貰っていただろ」

「本当だ。何で気づかなかったんだろ。瀬戸さんの部屋にあった物、何でも持って行っていいよって言われて、小物とか本とか、貰ったんです」

「あと傘な」

「あ、そうだね。あれも貰ったものだった」

「傘?」

 清隆は玄関に立てかけられている傘を指さした。

「あれですか?」

「そうです。たしか、お祖母さんから貰った傘だから捨てられなくて、私に引き取って、使い続けてほしいって言われたんです。凄く丈夫で、手に馴染むっていうか、使いやすいんですよ。職人の手作りなんだとか」

 義彰が二本の傘を手に取った。

「これがねえ。ああ、持っただけでわかる。こっちだ。そんで、これはいい傘だ。持ち手が木製なんだな。握りやすいように削られているわけだ」

 義彰は右手に持っていた傘を戻し、左手に持っていた傘を撫でた。そのとき、匂いが強まった。和田から匂っていた、正体不明の匂いが。

「義彰、それ、見せてくれ」

「ん? ほい」

 手渡され、握ってみる。たしかに握りやすい、いい傘だ。だが持ってみて確信した。

「わかった。これが怪現象の原因だ」


 義彰が首を傾げる。

「それが? ただの傘だろ。特に嫌な念が籠っているようにも思えなかったけど」

 義彰の霊感は、この傘に何も感じなかったらしい。当然だ。清隆だって何も感じなかった。持って触れて、初めてわかった。

 さて、とはいえどうしたものか。和田に納得してもらいながら、この傘を処分しなければならない。

「香、その傘、いつ使った?」

 三ツ矢が訊いている。

「ええと……いや、勿体なくて使っていないんだよね。たしかまだ一回も開いていないと思う」

 ピンと来るものがあった。

「じゃあ使ってみましょう」

「はあ? 今日は晴れだぞ。ピーカンだ」

 義彰が窓の外を指さす。

「わかっているよ。晴れの日に傘を持って出かけたら罪に問われるわけでもないだろ」

「そりゃそうだけど」

 傘を持ったままアパートを出る。ぞろぞろと連れだって、駐輪場まで来た。

 清隆は義彰に笑ってみせる。

「さて、開けゴマ」

 右手に傘を持ったまま、蓮牙のページを開く。糸が繋がっていることを意識して、呼び出す。

 一瞬で、清隆の傍らに狼が現れた。茶色の毛をしたニホンオオカミの式神。死して時間が経ったことで力を増し、生きていた頃よりも大きくなっている。

 義彰が目を見開く。義彰は気配しか感じられないが、それでも式神の存在感は圧倒的らしい。実際、霊体、実体問わず蓮牙の牙と爪は攻撃できる。霊感の無い人間を襲えば、それだけで完全犯罪が成立するくらい強力なものだ。

 蓮牙に意図を伝える。主従関係で結ばれている限り、基本的には式神は勝手な行動を取らない。躾けられた犬よりも従順で、そして一度命を受ければ何よりも凶暴に襲い掛かる。今は威嚇するように唸り、傘に視線を合わせている。

 清隆は傘を閉じているボタンを外し、晴れた空に傘を開いた。深緑の傘が日光を遮り、影ができる。その影がぐにゃりと曲がるのを見て、清隆は命じる。

「蓮牙、壊せ」

 その言葉を発した瞬間、傘が回転した。清隆の手から弾け飛ぶように飛び出し、地面に落ちる。

 義彰と和田が、声を上げたのを片耳で聞きながら、清隆は一歩下がった。次の瞬間、清隆の頭があった位置を、傘が回転しながら通り過ぎた。さっきまで地面に落ちそうになっていた傘が。

「なんだこれ」

 義彰が叫ぶ。

 傘は、地面に着地し、垂直に立っていた。本来ならば倒れるはずの形状からは想像できない、安定した体勢。

「よく見ろ、義彰。それに和田さんも。あれは柄じゃない。足だ」

 傘の柄だった部分、そこの形状が変わっていた。

 一本の足となって、地面を掴むようにして立っていた。つま先、かかと、足首と膝。一本しかないことを除けば、人の足として遜色ないパーツが一揃い、そこにあった。

「お化けはお化けでも、こいつは霊が憑いた傘じゃない。妖怪、いわゆる唐傘お化けだ」

「唐傘って、傘に手足が生えたあれか」

「そう、有名なあれだ」

 唐傘お化け。長年使い込まれた物品が怪異化することで生まれる付喪神の一種。多くは和傘に手足、口、目が生えた姿で語られる。日本では古くから語られてきた、歴史ある怪異である。

「現代じゃ和傘なんて使われることは少ないけど、代わりに洋傘が付喪神になるんだな。けどまあ、大量生産、大量消費の時代じゃレアな存在に間違いない。よっぽど歴代の使用者に大切に使われてきたとみえる」

 唐傘は一本足で立っていると思えないほど安定した姿で立っている。ゆらゆらと僅かに揺れながらも、倒れる気配は全くない。

 清隆は、ピリピリとした痺れるような感覚を顔に覚える。

 威嚇されているな。

「大人しく傘に徹していればよかったものを。家を荒らし、主を怖がらせてしまった。お前は対処せざるをえない」

 傘が半開きになる。そこには牙が並んだ口と、一つの目が付いていた。

「伝承通りの姿だな、唐傘。大人しくしろ。今なら……」

 傘の縁に火が点いた。くるりと回って火の粉を撒き散らす。

「ああ、これは駄目だな。人間に敵対している。そして、人を傷つける力を持っている。特に火は駄目だ。管理しきれない」

 傘が火を点けた状態で回転しながら清隆を襲う。清隆は後ろに飛び退いて距離を取り、蓮牙に命じた。

 殺せ。

 命じた瞬間、蓮牙が傘と清隆の間に割って入った。飛び散る火の粉を受け止めながら傘の足に噛みつく。ゴキリという嫌な音が鳴り、傘の足が曲がった。回転する体と、止められた局所が繋がっていれば、自然とそうなる。

 そして、それを離さず殺しきるくらいの力は、蓮牙には充分に備わっている。

 甲高い悲鳴が傘の口から溢れ出る。高い人間の声にしか聞こえないその悲鳴に、清隆は眉をひそめた。

 罪悪感煽るような声してんじゃねえよ。

 蓮牙の攻撃は緩まない。爪を目に刺し、中棒に噛みつき、ボキボキと親骨、受骨を折っていく。唐傘は霊体ではなく実体があるタイプの妖なので、義彰たちにも視えて、聞こえているはずだった。彼らの目には、視えない獣に襲われる傘が壊れていくように見えているはずで、清隆がやっていることが理解できているかは、怪しい。

 傘は悲鳴を上げるのをやめ、ぜえぜえと息をするようになった。妖はこの世ならざるモノだが、殺せば死ぬ。知識さえあれば、和田にだって殺せた。

 小間の布を噛みちぎられながら、だんだんと生気を失っていく。

「帰りたい」

 その中で、傘の口から零れた言葉を、清隆は聞いてしまった。

「帰りたい。帰りたい」

 蓮牙、とどめを刺せ。

 どこへ帰ろうというのだろう。瀬戸さんとやらの元へか。その人はもうアメリカで、お前は受け継がれたんだ。そこに傘の意思は関係無い。所詮は傘。所有者の意思以上のことは許されない。

 大層な望みを抱えないで今の暮らしに満足しておけば、祓われることもなかったのに。

 これじゃあ、俺が悪いみたいじゃないか。

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