「つまり、その傘が私に引き継がれることを拒んで、瀬戸さんの元に帰ろうとしたことが、部屋を荒らした理由だったということですか」
壊れた、何の変哲も無くなった傘を拾い上げた清隆は、和田の問いに頷いた。
「そういうことだと思う。妖の姿に変化しなくても、傘はそのまま存在し続けることができたはずだ。人間に見つかればどうなるか、わからなかったはずはないのに、わざわざ姿を現した。本来、妖は人間から隠れるものでもあるし、そうしたい理由があったってことになる」
「それが、瀬戸さんの所に行くことだったんですか?」
「多分」
「どこにいるかもわからないのに? わかったとしても、アメリカなんて行けるわけがないじゃないですか」
「俺に聞かれてもわからないよ。どんな困難があっても辿り着く覚悟だったのかもしれない。荷物に紛れて密航するとかなんとか考えていたのかもしれないし、そこまで深く考えてのことではなかったのかもしれない」
「でも、だったら行けばよくないですか。私が家にいない間に出て行って、瀬戸さんの所でもどこにでも行けばいいじゃないですか。どうして家を荒らすなんて中途半端なことをしたんですか」
「それは僕にもわかるかも」
義彰が手を挙げる。
「あの傘、足はあっても手はなかった。家の鍵を開けられなかったんじゃないかな」
「そういうことだろうな。なんとか手の無い自分でも開けられないかと道具になるものを探した結果、荒らされているように見えたのがことの真相だろう」
「そんな……そんなことが。そんなことのために私はこんなに怖い思いをしたんですか」
「持っている傘が怪異化していたというだけで、充分、そんなこと、の範疇を越えているよ」
和田は呆れるように、恐怖を吐き出すように、大きなため息を吐いた。
「そんなに、私に持たれていることが嫌だったんですか、あの傘は」
「怪異のことを理解しようとするなんて、魚と分かり合うくらい難しい。でも、想像することができなくもない。もしかしたら、あの傘はしまわれているのが我慢ならなかったのかもしれない」
「しまわれていること?」
「言っていたでしょう。瀬戸さんから貰ってから、もったいなくて一度も使っていないと。道具にとって、用途のために使われることが何よりの幸せなんだ。それがなくなったことに、あの傘は耐えられず、家出しようとしたのかもしれない」
「命懸けで?」
「命を捨てることになろうとも」
清隆は手の上の傘を見る。無残に壊された傘は哀愁が漂い、まだ微かに残る怪異としての匂いが清隆の胸に刺さる。
殺すしか、なかった。
人間に敵意を向けない怪異だったならば、共生できる道はあった。その道のコレクターだっている。怪異化した傘なんてレア物、喜んで高値を出すだろう。だがそれは、人間が管理しきれるとき限定だ。火を噴き、人間を傷つけてまで目的を果たそうとする怪異を、コレクターに預けるわけにはいかない。火事にでもなって誰かが死んだとき、責任を取れない。
蓮牙の威嚇に、降参と恭順を示すモノしか、生かしてやることはできなかった。
俺の判断は間違っていない。
清隆は繰り返し自分へと語りかけながら、傘を強く握る。
これが、陰陽師である俺の限界。
横から傘が奪われた。
三ツ矢が清隆から傘を取り、しげしげと眺める。
「もう今は、ただの壊れた傘なんですよね」
「ああ」
「じゃあ、燃えないゴミに出しておけばいいんですね。瀬戸さんも、さすがに妖となった傘を捨てたって文句は言わないだろ」
淡白な奴がいた。三ツ矢には、傘の最後の言葉が聞こえなかったのだろうか。
そりゃあ、後生大事に保存しておけとは言わないけれど、もう少し余韻を感じてもいいと思う。
パン、と義彰が手を叩いた。
「何にせよ、これで一件落着。もう家を荒らすモノはいません。和田さんに何かが憑いているってこともありませんし、安心して過ごしてください。また何かありましたら、安倍霊障相談サービスにご連絡を。今回の件は、ぜひ口コミで広めてくださいね」
「まだ猫の妖怪はついてくるの?」
和田の件を解決した翌日、学食で遅めの夕食を摂りながら、義彰と清隆は反省会ともつかない振り返り会をしていた。毎度完璧に依頼をこなせるわけではない。義彰が先走って無茶な約束をしてしまうことも最初の頃はあった。それから、仕事の後のミーティングが恒例となっている。
今回は依頼を受けてから解決まで非常にスムーズに運んだ。話を聞いた時点で家の中に原因があることがわかったし、移動してからも唐傘に辿り着くまで早かった。もっと漠然とした原因が重なり合っていることだってあるし、生まれや血統に原因がある場合、こじれて依頼人の実家まで行くこともある。
相手が妖の類の場合、義彰の霊感は反応しない。清隆も霊ならぬ妖を相手にした経験は浅い。二人の弱点とも言えるだろう。
そんな振り返りをしていた話の流れで、サカグラシに話が及んだ。
「ついてくる。今は近くにいないみたいだけど、気づいたら近くに来ている。猫は足音がしないっていうし、気配を消す能力でもあるのかもな」
「式神にする気は、相変わらず無い?」
「無いな。安倍家の陰陽師は複数の式神を使う関係上、直接契約を結ぶことはないんだ。俺が持っている本、あるだろ」
「和綴じのあれか」
「そう。あれと式神を契約させるんだ」
「本と?」
「そう、厳密には本を仲介して安倍家と契約させる。そうすることで、一体との糸が太くなりすぎることを防いで、複数の式神を行使できる」
「あの猫は、そういうわけにいかないのか」
「いかないんだ。あの猫は俺を介して酒を飲みたがっている。本との契約の場合、そういう肉体的な接続は無い。あくまで力の受け渡しだけの関係になる」
「契約の条件を満たして望みを叶えてやろうと思ったら、他の式神が使えなくなるってことか」
「その可能性がある。絶対じゃない。というかむしろそこまで糸が太くなる可能性は低いくらいだ。だけど、そんなリスクを負う理由が俺にはない」
「宵目の能力、便利だしね」
「義彰にも霊を見せてやれるしな」
「夜目も利くし、物を観察するときも使える。探偵作業には必須の能力だ」
「俺ら、探偵じゃないけどな」
「それっぽい依頼もあるけどね」
何かに憑かれている、と訴える依頼人についていたのは実は生きたストーカーだった、という依頼も何件かあった。蓮牙で取り押さえて警察に突き出すのだが、そのせいで最近、警察と顔なじみになりつつある。学生探偵だと思われているかもしれない。
「安倍家の式神って他にどんなのがいるの」
「狐とか、蛇とか、亀とか、いろいろ。それぞれに能力があって、使い分けているんだよな」
「亀って。何ができるの」
「占術。高性能な占いだ。実は一番の稼ぎ頭は亀だったりする。政治家とか実業家とかが、父親に占ってもらいに来るんだ」
「へえ、僕も占ってもらいたいな」
「何を占ってもらうんだよ」
「そりゃあ、僕の前途がどうなっているか。どんな困難があって、何をしたら回避できるか」
「アドバイスだけど、そういう漠然とした目的で占ってもらうのはやめとけ。占う側も、はっきりした目的がある方が占いやすいんだよ。商売とか、恋愛とかな」
「そういうもん?」
「そういうもん」
ブウン、と振動音が鳴って会話が途切れた。義彰がスマートフォンを抜いて画面を見る。
「知らない番号から電話だ」
「出ないでおいたら?」
「依頼かもしれないから出るよ。もしもし?」
清隆は手持無沙汰になって水をおかわりしに席を立った。ウォーターサーバーから水を汲んでいると、低い位置から声がする。
「早く席に戻った方がいいぞ」
目を落とすと、サカグラシが見上げていた。返事をせず、目をウォーターサーバーに戻す。
「何か起きたらしい」
いつだって何かは起きている。だから俺みたいなのに依頼が来る。
こんな人が大勢いる場所で声を掛けられても返事ができない。変な目で見られるのはごめんなのだ。
あえてゆっくりと席に戻ると、義彰が腰を浮かせていた。
「清隆、それ早く飲んで」
「どうした」
「昨日の傘が、死んでいなかった」
耳を疑った。壊れた傘を持ったときの感触が蘇る。妖としての命は絶ったはずだった。
「逃げ出して、立て籠もったらしい。すぐに行こう。場所は近い」
唐傘お化けの立て籠もり事件かよ、と呟いたが、義彰は反応してくれなかった。