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第79話

 エルモール。それが和田から聞いた、唐傘お化けの立て籠もったショッピングモールの名前だった。

 義彰と自転車を漕いでエルモールに向かう。大学から自転車で二十分程度。和田の家からは五分もかからない位置にある三階建ての、大型ショッピングモールだ。義彰と清隆が着いたとき、時刻は午後九時半になろうとしているところだった。

 まだモール全体に明かりが灯っていて然るべき時刻だが、全ての窓が真っ黒に塗りつぶされたように暗い。

「ここ、何時まで開店だっけ」

 清隆が訊くと、すぐに返事が返ってくる。

「だいたい十時くらいだろ」

「じゃあなんで暗いんだ」

「さあ。僕に聞かれても」

 周囲を歩き回ると、同じように困惑した客たちがドアの前に集まっていた。その位置がドアに近くて不思議に思う。

「義彰、自動ドアが作動していない」

「入ろうにも入れないってことか」

「無理やり入ることもできなくはないと思うが。自動ドアって電源が落ちれば手動で動くし」

「これ、電源が落ちているから暗いんだな」

「ああ、でも、そうとも限らないか。照明だけ落としてドアをロックした可能性もある」

「そんな面倒なことをしたのか? 唐傘お化けが?」

「無いな。文明の利器の操作なんて、奴らが最も苦手とするところだろうから」

 義彰はスマートフォンを操作して、和田に連絡を取ろうとする。清隆は耳だけでそれを聞きながら、建物の観察を続けた。

「あ、和田さん。今エルモールに来たんだけど、どこにいますか。……え、中? 中はどうなっていますか。……出られない? 暗くて、ドアがロックされている、と。……店員も客もまとめて?……そうですか。わかりました。唐傘は?……はい。見失ってわかりませんか。なるほど」

 義彰がちらちらと清隆を見ながら喋る。清隆が話について来られるよう配慮した話し方だ。スピーカーにしないのは、周囲の人間に直接聞かれるのを嫌ったからだろう。

「状況わかりました。助けますので、お待ちください。また連絡するかもしれませんので、電源は入れておいてください」

 義彰の通話が終わる。

「だそうだ」

「わかりやすく結界の一種だな。モールまとめて結界の中に入れられたんだ。安倍家では、それを腹の中に入れられた状態と呼ぶ。霊、妖、神、そういうものの領域に閉じ込められた状態のことだ」

「そうなったら出られないのか」

「普通はな。いわゆる神隠しもこの現象だと言われている。神の領域に招かれた子どもが消息を絶つんだ」

「これも神隠しの一種だっていうのか?」

 清隆は腕を組んで考える。

「普通は、認識できない別位相の世界に連れ込まれるんだけど、同じ位相で空間的に遮断されるタイプは初めて見るな」

「中に和田さんと、店員やスタッフ、巻き込まれた客がいる。助けないと」

「唐傘の目的は何かわからないが、最悪、干渉できない空間で皆殺しって可能性もある。腹の中で火事なんて起こされたら、逃げられる可能性は0だからな」

 義彰がモールを指さす。

「どうやったらこれを解除できる」

「腹の主をぶちのめす。物理的にでも、精神的にでも、論理で屈させるでも、とにかく追い詰めて結界を維持できなくさせることだな」

「清隆ならできるか」

「当然」

 清隆は歩き出し、義彰は後を追った。

「腹の中にさえ入れれば、あんな小物の妖、どうとでもなる。前回はなぜか殺し損ねたけど、次は逃さない。バラバラの粉々にして封印して、絶対に復活できなくしてやる」

 清隆が足を止めた。そこには、粉々に砕け散った自動ドアがあった。周囲には不思議と誰もいない。意図的に人払いされたかのようだった。

「おいでください、てことかな」

 義彰が楽しそうに言い、清隆が鼻で笑った。


 内部に入った二人を待ち受けていたのは、暗い店内だった。外から見たときは入口付近に明かりが点いていたのに、入った瞬間、それは見えなくなった。

 清隆は宵目のページを開く。梟の目があれば、こんな暗闇はどうってことない。

「義彰、ちょっと動くな」

 義彰の額に触れる。二人の間に糸を通し、宵目の力を流し込む。こうすることで、宵目の視力を義彰にも付与できる。

「おお、久しぶりだな。霊が見えるようにもなるやつだ。うわ、良く見える」

「もう腹の中だ。俺たちの侵入は気づかれている。いつ何が起きてもおかしくないぞ」

「奇襲するわけにはいかないってことだね」

「どちらかというと奇襲される側だな」

 店内を歩き回ると、途方に暮れた人たちがあちらこちらに座り込んでいた。店の制服を着た店員もいれば、子連れの主婦もいる。どこからか子どもの鳴き声も聞こえてきた。

「すいません、傘の化け物を見ませんでしたか」

「傘ですか? いや、見ていませんけど。日用品売り場にあるんじゃないですか」

「いや、自分で動き回る傘の化け物です」

 義彰が手当たり次第に座り込んでいる人間に聞きこむ。だが、まともな目撃証言は得られない。

「上の階かも。唐傘お化けなんて目立つモノがいたら絶対に騒ぎになるし。目撃されていないのは不自然だ」

 義彰が数人聞き込んだところでまとめた。

 付喪神は実体があるタイプの怪異だ。一般人でも視認できる。広いモールだから確実に一階にいないとは言い切れないが。

「まあ、俺たちを誘い込んだってことは、向こうから何か仕掛けてくるってことだから、歩き回っていた方が早く片付きそうだな。一階を一周して、何も無ければ上へ行こう」

 方針が固まり、聞き込みよりも探索を優先する。食料品売り場に差し掛かった時、二人は足を止めた。

 見覚えのある女性が俯いて泣き声を上げている。

「和田さん」

 義彰が駆け寄る。少し遅れて清隆も続いた。

「どうしたんですか。唐傘は」

「ごめんなさい。ごめんなさい」

「何を謝っているんですか」

 義彰が和田の背中をさすりながら訊く。異常事態の最中とはいえ、女性の体にあっさり触れられるのはすごいな、と清隆はどこか冷めた頭でその光景を眺めていた。

「ごめんなさい。安倍さん」

「え、俺?」

「逃げてください」

「逃げるって。俺たちは唐傘を捕まえに来たんだ。今逃げたらこの現象は終わらない」

「違うんです。そうじゃないんです」

 何が、と言おうとしたとき、違和感に気付いた。和田に、何かが重なって見える。奥深くに潜んでいたのか、水面に浮き上がる気泡のようにそれが見え始めた。そして、和田から出てきた。

 顔の無い、女。セミロングの黒髪の下に、あるべき目も鼻も無い。ただ、口だけが開き、血のように真っ赤な口腔内が見えている。

 霊? 悪霊か。

 まずい。

「義彰、離れろ」

 清隆が叫んだが、義彰の動き出しは間に合わなかった。顔の無い女が和田から抜け出し、その手を義彰の顔に伸ばした。

 義彰は元々霊感がある。実体が無いタイプの怪異は、霊感が無い者に干渉することを酷く苦手としている。霊感がある義彰は比較的干渉しやすい。さらに今は、宵目の能力を貸し与えて霊感を増幅している状態だ。

 義彰の目がぐるりと回った。

「義彰、気をしっかり持て」

 清隆の言葉も空しく、義彰が膝から崩れ落ちる。そのまま力なく顔面から倒れ込んだ。義彰に覆いかぶさるように顔の無い女が重なり、笑い声が響く。

 式神の本を取り出し、蓮牙のページを開く。

「引き剥がして消滅させろ、蓮牙」

 清隆の横で狼が形をとる。宵目の視力は糸を通じて蓮牙にも流れ込んでいる。暗闇なんて関係ない。

「逃げてください」

 まだ何かを言っている和田を無視して義彰を助けようとした。

 妨害は、予想外の方向から来た。

「逃げてくださいじゃねえよ」

 背後からした声に振り返る間もなく、清隆の体が真横に飛んだ。パンが並んだ棚に背中から突っ込み、痛みで息が止まる。

 意識が遠のきそうになりながら、蓮牙の身体能力を借りて体を強化する。痛みが遠のき、呼吸が少し楽になった。

 パン、と音がして清隆が視線を向けると、和田が頬を押さえてしゃがみこんでいた。

「逃がすなって言っただろうが」

「ごめんなさい」

「ここに招き入れられたから良かったけどよ、そうじゃなかったらただ目立っただけの大損だったんだぞ、おい」

 和田が蹴られ、床に転がる。

「やめろ」

 手足に力を込める。体が動いたことに安心する。蓮牙は召喚を解いてしまった。もう一度、傍らに呼び出し直す。

 そして、和田の前に立つ人間に向き合った。

「三ツ矢薪人、だったな。彼氏ってのは嘘か」

「嘘じゃないぞ」

「だったらどうして」

「だったらどうして? お子様だな。関係性に名前が付いているだけじゃねえか。つか、聞きたいことはそれなのかよ」

「いや、お前が和田さんと一緒にいることに不思議はない。問題は、何のつもりかってことだ」

「何だと思う?」

「唐傘が逃げ込んだっていうのは嘘だな。和田さんに嘘を吐かせ、俺たちを誘い込んだんだ」

「正確にはあんた一人だ。鷹野義彰はついでというか、むしろ邪魔者だな」

「目的は何だ」

 三ツ矢は凄惨に笑う。目も口も真っ黒に暗闇に染まっていた。

「お前を喰うこと」



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