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第80話

「俺を喰う? どういう意味だ」

「文字通りの意味だよ、南海大学の陰陽師。邪魔で邪魔で仕方なかった」

「こう聞くべきだったか。お前は何者だ」

「三ツ矢薪人。前にも言ったが南海大学経済学部の二年」

 三ツ矢は酷薄な笑みを口元に湛えて、清隆に向かって歩き始める。

「その先は自分で考えてくれ」

 清隆は体勢を立て直し、蓮牙の背に触れた。いつも通りの、柔らかい体毛の感触が返ってくる。

「吐かせてやるよ。蓮牙!」

 一言命じるだけで式神が三ツ矢に襲い掛かる。声に出す必要もないくらいに糸は繋がっているが、思わず叫んでいた。

 蓮牙の動きは速い。散乱した障害物を目にも止まらぬ速度で躱し、回り込み、三ツ矢の背後を取った。

 宵目。

 蓮牙の動きに並行してページを捲り、宵目を呼び出す。形をとると同時に無言で命じ、追撃に放った。

 飛び掛かる蓮牙、僅かに遅れて宵目。両方向からの高速攻撃。

 三ツ矢は人間じゃない。この結界はおそらく三ツ矢の仕業だし、義彰を襲った悪霊も三ツ矢の意思に従っているように見えた。悪霊が連携するケースは見たことがないし、三ツ矢も実体がある。どういう理屈かはわからないが、まともな人間にできることだとは思えない。手掛かりがあるとしたら、「お前を喰うこと」という発言。人間を喰う存在、つまり、妖の類の可能性が高い。

 ならば唐傘と同じだ。殺せる。

 蓮牙の爪と牙が首筋に刺さるかに見えた。清隆の目には少なくとも、刺さったように見えた。

 だが、蓮牙の体は横に弾かれた。そこに立っているのは拳を振り抜いた三ツ矢。いつの間に振り返ったのか、構えたのか、そして攻撃したのか。一連の動作が見えなかった。

 宵目の爪が三ツ矢の目を狙う。その爪も、届くかと思われた。だが、あり得ないタイミングで伸びた手が宵目の足を掴み、爪を阻んだ。

 三ツ矢が唇を舐める。

 清隆が宵目の召喚を解くと同時に、三ツ矢が宵目を床に叩きつけた。潰れるような音は鳴らず、空振りした三ツ矢が体幹をぶらすことなく空になった手を確かめる。

「下げたか。いい判断だな」

 宵目はそもそも戦闘向きの式神ではない。視力の共有、空からの探知といったサポート役の式神だ。だから、攻撃が通じなかったことは不思議ではない。

 だが、蓮牙は別だ。父親から貸し与えられた安倍家相伝の戦闘用の式神。その能力は充分に実績がある。清隆自身もこれまで蓮牙の能力を疑ったことなんて無い。その蓮牙が、今はよろめきながら三ツ矢から距離を置いて周回するように歩いている。

 警戒している。怯えている。清隆が命じれば蓮牙は向かって行くだろう。だが、さっきの攻撃が通じなかったのだ。そのまま突っ込めば二の舞になる。

 やるしかない。

 清隆は踏み出した。蓮牙と宵目との間に通っている糸を意識する。大丈夫。目も身体能力も借りられている。

「あんた自身がやんのか。陰陽師は式神で戦うものだと思っていた」

「俺だってやりたくない」

 式神の力を借りているとはいえ肉弾戦なんて、まともな陰陽師がやることじゃない。けど、蓮牙単体で勝てないなら、戦力は自分自身しか他にない。

「まあ、陰陽師さんが直接来るなら望むところだけど、一つアドバイスしておいてやるよ。鷹野義彰に憑いた霊は早く祓わないと、命に関わるぞ」

 挑発。義彰には悪いが、耐えてもらうほかない。こっちにそんな余裕はない。蓮牙を向かわせるわけにもいかない。宵目単体では強い霊の除霊はできない。

 最速で三ツ矢を倒す。それしかない。

 拳を上げ、構えを取る。間合いの一歩外に立ち、自然体で立つ三ツ矢を見る。

 三ツ矢が笑った。その犬歯がやけに大きいことに清隆は気付いた。三ツ矢の額が盛り上がり、赤い角が生えてくる。

 清隆は目を見張りながら、その変貌を分析した。

 牙、角、高い身体能力。人間のような姿と匂い。

「鬼……」

「正解」

 三ツ矢は楽しそうに言い、次の瞬間清隆の懐に踏み込んだ。

 右の拳が向かってくることを、手ではなく体の動きで予測し、上体を反らす。風を切って拳が耳すれすれを通り抜けていった。

 すぐに左の拳が来る。今度は清隆の重心めがけた、回避が難しい箇所だ。両手を重ねて受け止める。鈍器で殴られたかのような衝撃が伝わり、体ごとガードが押し込まれる。背中に棚がぶつかった。障害物が多すぎて、フットワークは使えない。力のぶつかり合いをせざるを得ない。

 意を決してガードを緩め、反撃に転じる。空手でいう中段突き。からの上段突き。さらに足を狙って回し蹴り。

 それら全てがクリーンヒットした。手ごたえあり。だが、三ツ矢の体は揺らがない。

 触れ合ったことでわかってしまった。

 実力差が大きすぎる。

 蓮牙に攻撃を命じる。いつの間にか、清隆の右わき腹に三ツ矢の左拳が刺さっていた。

 反応できなかった。だが俺が攻撃を食らうこの一瞬、三ツ矢は無防備になる。

 三ツ矢の腕を掴む。力が抜けそうになる体を必死に動かし、片腕を制する。片手の三ツ矢と蓮牙、どっちが強い。

 三ツ矢は清隆を蹴り飛ばした。拘束を抜けられる。蓮牙がその隙に三ツ矢の首筋に食らいつく。

 いてえ、と三ツ矢の声がした。

 清隆は目線が床と同じ高さになっていることに気付き、体を起こす。それだけで痛みと眩暈が襲ってきた。

 糸を通じて戦況が伝わってくる。蓮牙は手傷を負わせたものの、振り解かれた。絶対に傷は浅くない。だがしかし。

「負けるぞ」

 清隆の前に、座ったサカグラシがいた。

「お前の式神、負けるぞ」

「だったら何だ。逃げろっていうのか。義彰を置いて」

「いや、私と契約しろ」

 断る。そう何度も言ってきた。契約するリスクとリターンが見合わない。

「お前なら勝てるって? ふざけるな。蓮牙が無理で、お前ごときが勝てるかよ」

「たしかに私では勝てない。あの鬼は強い。というか鬼は強い。妖の中でも最上位の力を持っている。私のような猫が勝てる相手ではない」

「狼より強い猫なんていないからな」

「だが、お前と組めば話は別だ。お前の術と私の性質を掛け合わせれば、鬼にも勝てる。勝てなければお前は食われ、友人も食われる」

 糸を伝わって蓮牙が攻撃を受けたことがわかる。蓮牙も、もうもたない。

「選択肢は無いってか」

 簡単な論理だった。決断を迷う理由もない。

「正式な儀式をする時間はないな」

 清隆は本を閉じた。

「簡潔に行こう。契約自体は形式を選ばない」

「何をするんだ」

「私は酒の妖だ。酒らしく乾杯といこう」

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