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第83話

 清隆の動きは俊敏だった。一瞬で狐塚の懐に入り、爪を伸ばした手を振るう。狙いは胴体、重心のど真ん中。最も避けにくい場所に爪を閃かせる。

 狐塚の対応はシンプルだった。清隆の手首を裏拳で殴りつける。それだけで清隆の爪は撥ねつけられた。そして、もう片方の手の掌底で清隆の顔面を突き飛ばす。清隆の体は吹き飛び、壁に激突した。

 桜子には、辛うじて何が起きたか把握するのが精一杯だった。素人目に見ても、狐塚が格上だということがはっきりわかる。狐塚の体幹は全くブレていない。僅かに重心を落としただけで、堂々と立っている。

 清隆は一度床に崩れ落ちたが、すぐに跳ね起きた。両手を構え直し、飛び掛かりそうなほどに腰を落とす。その体には力が籠っており、ダメージは感じられない。

「あん? 元気やな」

「効かないね」

「なるほど」

 狐塚は楽しそうに言って、桜子を見た。

「どうする? あんたがワイと来てくれるならこれ以上手は出さんといてやるけど」

「え、私?」

「そう、用があるのはあんたや」

 桜子は狐塚からチラリと清隆を見た。清隆は険しい表情で狐塚を凝視している。

 余裕はない。酒の能力も、飲む隙が無いと発動できない。さっきの交差では明らかに狐塚が上回っていた。

「桜子さん、駄目だ」

 清隆が鋭く言う。と同時に狐塚に飛び掛かった。猫の身体能力で両手を振るう。狐塚は上体を反らし、フットワークを駆使し、爪を器用に避けていく。

 駄目だ、これは当たらない。

 桜子が直感的に悟ったとき、狐塚が清隆の両手を掴んで止めた。そのまま清隆の腹に膝が入る。手は離さない。続いて額をぶつけ合う。清隆の頭が後ろに逸れる。そしてまた足が入る。

「待って」

 桜子が叫び、狐塚は清隆の手を離した。回し蹴りで清隆の側頭部を蹴り飛ばす。

「気が変わったか?」

 狐塚は息一つ切らさず、余裕の姿勢で振り向いた。

「変わりました。一緒に行くから、もうやめて」

「ええやろ」

 来い、と言って狐塚は手で外を指す。桜子は清隆の方を伺いながら外に出る。清隆は立ち上がって眉間に皺を刻んで二人を見ていた。良かった、重傷じゃなさそうだ。

 外に出た瞬間、お化け屋敷エリアの出口が開いた。

「さっきから何バタバタしてんだ」

 海人が顔を出し、狐塚を視界に捉え、表情を変えた。

「お前……」

 海人が走り出す。

 そのとき、既に狐塚と桜子は「後ろの真実」の建物から出ていた。海人も続こうとしたが、エントランスを出ようとしたところで見えない壁に阻まれた。柔らかい壁にぶつかったように、跳ね返されて尻もちをつく。

「なんだ?」

「結界か。俺の結界を上書きしたな」

 清隆も壁に触れ、悔しそうに呟く。

「この前のときからアップデートしたみたいやけど、まだチャチやな。書き換えるのは簡単やったで」

 狐塚は指をクルクルと回し、嘲るように笑って桜子の肩に触れた。

「じゃ、お姫様は貰っていくで」

「待てコラ!」

 海人が叫んで見えない壁を叩く。狐塚は黒いセダンタイプの車の助手席のドアを開けて桜子を招き入れる。

「あなたの車?」

「もちろん。免許も持ってるで」

「事故らないでくださいね」

 狐塚も乗り込み、口笛を吹きそうなほどご機嫌な様子でアクセルを踏み込む。後ろでは、海人が叫んでいた。

「どうして私なんですか」

「あんたが核やから」

「前にもそう言っていた気がしますね。どういう意味ですか」

「あんたがおらんと、あのお化け屋敷は成り立たんねん。ダウジングで見たとき、幾つもの縁があんたに絡まっとるのを感じたんや」

「あなたも大したことないですね。「後ろの真実」の核は清隆さんですよ。あの人がいないと成立しないし、あの人がいれば維持でき、建て直せます」

 狐塚は吹き出すように笑う。

「それは謙遜が過ぎるやろ。いや、それとも自覚が無いんかな。ワイは直接見たわけやないけど、あの安倍清隆って男は人との繋がりに積極的なタイプやあらへん。本物の霊をキャストにするのは斬新なアイデアやけど、霊かて元人間で、人格のある存在や。それに寄り添って口説いて引き留めるんは、あの男には難しいんとちゃうかな。どちらかと言わんでも、それはあんたの方が得意そうに見える。そういう意味で、核はあんたや。キャストにしとる霊たちも、あんたありきであの場所におるんとちゃうか」

「それは、褒められているんですか?」

「どうやろなあ。霊なんて、本来この世に留まるべきものやあらへんからな。別におってもええけど、無目的にふらふらしとるんは、ちょっと立場的に認めづらいもんがあるわな」

「無目的じゃありません。ちゃんと目的があって「後ろの真実」に留まっています」

「悪霊やなかったら、ワイも目くじら立てんのやけど、あれはあかんな。悪霊じみたやつが三体もおる」

「三体?」

 元悪霊は、浅田と巾木はばきの二人だ。烏丸と鈴木、般若は違う。

「ま、悪霊とそうでない霊の境界なんて曖昧やから、なんとも言えんけど」

「私からも聞きたいことがあるんですけど」

「どうぞ」

「どうして退いたんですか。あのまま清隆さんと戦えば、勝てたでしょ」

 狐塚は、んん、と愉快気に唸る。

「ちょっと面倒やった。なんていうか、あの青年もおるのわかっとったしな。まあ、なんとかなったと思うけど、リスクが大きかった。多分、あの場で二対一なら互角やったと思うで。あの陰陽師、建物に特殊な術をかけとった。自分のタフネスを上げる、というより、ダメージを減少させる術といった方が正しいか。とにかく、めちゃくちゃ頑強になる術を使っとったんや。せやから、殴っても蹴ってもピンピンしとったやろ。あのまま戦えば、体力的にワイが不利。後から来た青年にもその術が適用されとったら、相当に面倒なことになったやろうな。それに、悪霊共も黙っとらんかったやろし、うん、あんたを攫った方が確実や」

「確実って、何が?」

「あの男どもが、このまま黙っとるわけないやろ。あんたを取り返そうと躍起になって乗り込んでくるに決まっとる。今度はこっちのホームで迎え撃てるっちゅうわけや」

「清隆さんが来るとは限りません」

「来るよ。どんなに情けない男でも、庇われて身代わりに連れて行かれて、何もせんことなんてできん」

 桜子は、ふん、と鼻を鳴らして窓の外を見た。どこに連れて行かれるのかくらいは覚えておかないといけない。

「あんたも、暴れられると困るな」

「え?」

 視界が薄暗くなる。清隆の、幽霊を目視できるようにする水を飲んだときの感覚だ。

 足を掴まれる感触に、小さく悲鳴を上げる。座席の下から、決して収まらないはずの人間一人プラスアルファの大きさを持つ、手足が二セットずつ、頭が三つある、見るからに悪霊が這い上がってきた。

 悲鳴も出せないほど体が重くなる。掴まれたその箇所が鉛のように重い。

「ちょっと、大人しくしといてや」

 悪霊に圧し掛かられ、息が詰まる。外の景色を覚える余裕はなくなっていた。


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