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第86話

 海人は僧侶の正面に立つ。清隆は回り込むように狐塚に近づいていった。

 僧侶は、海人から見ると頭一つ半大きい。だが、それで負けるつもりはなかった。体を変化させ、首を伸ばす。爪も最初から出しておく。これで、ろくろ首の身体能力をフルに使える。

「ワレワセイチクリンノイッソクケイ!」

 僧侶が叫んだ。

「みょうちきりんの何だって?」

「ワレワセイチクリンノイッソクケイ!」

 僧侶が殴りかかり、海人は軽く息を吸って迎え撃つ。

 拳を躱す。速いが対応できないほどじゃない。二発、三発、振るわれる拳を躱す。

 いい仲間連れてんな。だけど、単調じゃないか。

 僧侶の動きに合わせてステップバックする。拳が通り抜けた瞬間を見計らって間合いを詰める。簡単だ。動きが読めすぎる。

 ワニを思わせる爪を伸ばし、貫き手を僧侶の胸に突き立てた。

 しかし、刺さらなかった。

 堅い、だと。

 爪が跳ね返され、体勢が崩れそうになる。そこに、拳が飛んできた。

 脇腹に衝撃を感じながら間合いを取る。見た目通り、打撃は重い。何発も喰らったら足に来そうだ。首を伸ばしているため顔や頭には喰らわないが、胴体は普通に僧侶の手が届く範囲にある。

 何だよ、今の感触は。

 金属の感触ではなかった。鎧やくさり帷子かたびらの類を着ているわけではない。とんでもなく頑丈な筋肉と皮膚に遮られたような感覚だった。

 海人は自分の爪を見る。欠けていない。硬度では勝っていた。でも刺さらない。そんなことがあるのか。

 僧侶は大股で近づき、足を地面すれすれに振るう。ジャンプして避け、今度は拳を握って横面に叩き込んだ。僧侶の首が僅かに傾ぐ。

 直感的にわかった。効いていない。すぐに飛び退く。寸前まで海人の体が合った場所を僧侶の拳が通って行った。

「ワレワセイチクリンノイッソクケイ」

 舌打ちする。こいつは強い。下手をしたら清隆よりも。

「ワレワセイチクリンノイッソクケイ!」

「うるせえ!」

 だけど、相手が強いからといって退くわけにはいかない。ここで退いたら桜子はどうなる。無事に帰ってくる保証はないし、何をされるかわからない。それをむざむざ見過ごすことなんてできやしない。

「ワレワセイチクリンノイッソクケイ!」

 叫び、僧侶が突撃してくる。それに合わせて蹴りを放った。狙いは僧侶の左足。

 重い音が鳴る。ヒットした。僧侶の足が止まり、その隙に距離を取る。末端から削っていく作戦だ。

 ごめん、清隆さん。さっさと終わりそうにはない。

「ワレワセイチクリンノイッソクケイ!」

 僧侶が再び突撃し、海人のローキックが左足を捉える。だが、僧侶は止まらなかった。間合いを詰め切り、海人の腹に拳が撃ち込まれる。

 体が浮き、海人の体が飛んだ。


 般若が顔を出し、すぐに消えた。

 桜子は何となく状況を察する。清隆と海人だけではなく、「後ろの真実」のキャストも来たのだ。もちろん、動かない烏丸はあり得ないが。

 また般若が顔を出したかと思うと、後ろからぞろぞろと浅田、巾木、鈴木が現れた。

 潜めた声で浅田が駆け寄ってくる。

「桜子殿、今お助けおうう!」

 桜子に乗っている霊が浅田に向かって手を伸ばした。人の手としてはあり得ないほど長く伸び、浅田は部屋の入口付近まで後退する。

「なるほど。ただ拘束するのではなく、悪霊を使うとは、狐塚という男、なんとあくどい」

 浅田はスラリと刀を抜いた。

「桜子殿をお助けする。巾木殿、鈴木殿、力を貸してくだされ。我が悪霊を引き剥がしまする。桜子殿を連れて逃げるのだ」

「浅田さんは?」

「我は武士。主のためなら命すら惜しまん。なに、この体は簡単には死なぬよ」

 浅田は刀を構えた状態でじりじりと近づく。桜子の背に乗った悪霊は、四本の手のうち、一本だけで桜子を押さえ、三本を浅田に向けた。

 三本の手が伸びる。

 浅田は刀を振るい、手を払っていく。だが、切れない。清隆を切れなかったように、浅田のイメージで作られた刀は殺傷能力に乏しい。桜子は思い出す。かつて浅田が悪霊だったときも、切られた人間はいなかった。襲われて気分が悪くなるくらいの症状が出る程度だった。逆に言えば、悪霊だった時の浅田でさえ、出せる被害はその程度。今の浅田は強い力を持たないただの浮遊霊だ。

 対して、桜子の上に乗っている悪霊は、下手をすれば命だってとれるレベルの悪霊だ。格が違う。

早く桜子が逃れないと、浅田も逃げられない。

 自由になった片手と両足でなんとか体を動かそうとするが、重い。乗られているせいで動けない。少なくとも上からどいてくれないと逃げようがない。

 浅田に顔を向けると、次々襲ってくる手を振り払うのに精一杯の様相だった。全く近づけない。だけど、その裏で動いている者がいた。

 鈴木が、壁沿いに回り込んで桜子に近づいていた。桜子と目が合う。頷かれた。何?

 鈴木が走り出す。助走をつけて、跳んだ。そのまま悪霊に突っ込んでいく。

 ドロップキック。

 テレビの中でしか見たことのない技を、鈴木は悪霊にかました。悪霊が桜子の上から転がるように落ちた。急に体が軽くなる。そして、今度は鈴木が桜子の上に落ちて来た。

 うわ、と思わず声が漏れる。鈴木の体と桜子の体が重なる。重さどころか衝撃も感じなかった。慌てて起きた鈴木が桜子の手を取り、立ち上がらせようとするが、すり抜ける。

「早く起きて」

 悪霊の手が伸びてくるが、そこに浅田が割って入った。刀が悪霊の三つある顔の一つを叩いていた。

「さあ逃げよ、我が主よ」

 ふらつく足で這うように部屋の入口へ向かう。巾木が明るい方を指さしていた。

「あっちは通路が無いの。幽霊だからすり抜けられたけど、桜子さんが逃げるならあっち」

 頷く余裕もなく、壁に手をつきながら数十分ぶりの自由を感じて歩を進める。頭だけは冴えているが、体がついて来ない。じれったくなるほど手足が痺れている。

「桜子さん、早く早く」

 巾木が先導して手招きするが、そう言われても早く歩けない。幽霊たちに触れられないことがもどかしかった。肩でも支えてもらえたらいいのに。

 背後から大きな音がして振り返ると、悪霊と、それに抱き着くようにしがみついている鈴木が目に入った。悪霊は四本の手で鈴木を掴み上げ、放り投げる。そして、向かってきた。

「桜子さん、行って」

 巾木が叫ぶと同時に、悪霊の姿が消えた。さっきまでいた場所に、代わりに井戸が現れている。

「私が時間を稼ぐから」

「ありがとう」

 ようやく出た声を絞り出し、力が戻り始めた手足を動かし、桜子は通路を走り出した。浅田と鈴木がどうなったのかわからない。幽霊同士が戦えばどうなるのか、消滅するのか、しないのか、桜子には知識が無かった。

 短い悲鳴が後ろから上がる。悪霊が井戸を登ってきたのだと推測するだけに留め、振り返るのも惜しく、走り続けた。

 もう少し、もう少しで通路を抜ける。

 走り抜けたその先にあったのは、広い空間だった。清隆、海人、狐塚、そして知らない袈裟を着た大男が戦っている。

 思考が停止した。

 これ、私はどうすればいいの? こっちに逃げて、どうすればいいの?

 巾木に聞こうとして振り返ると、悪霊が井戸から這い出て巾木を押し倒していた。般若が全速力で逃げてくる。

「桜子さん、清隆さんに祓ってもらおう」

 般若が叫び、停止していた思考が動き出す。つまりこれは、彼らにとっても予想外。助け出してどうするのか、決まっていないか、予定が狂ったということだろう。

 状況を分析しろ。最適な判断を下せ。私がやるべきことは何だ。


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