海人は圧倒されていた。
僧侶は大きく振りかぶった拳を海人に振るう。海人は避け、避け、避け、カウンターで爪を打ち込む。
だが、切れない。さっきから同じ展開の繰り返しだった。僧侶の攻撃を凌ぎながら殴って、蹴って、爪を立てた。しかし、どれをとっても上手くいかない。全く効いていない。海人の攻撃は通じないが、十発に一発程度、僧侶の拳が海人を捉える。その一撃が重い。ゆっくりと、だが着実に海人の体力を奪っていく。それが続き、だんだんと動きが鈍くなるのを海人自身感じていた。それに比例し、攻撃を受ける頻度も上がっている。
「ワレワセイチクリンノイッソクケイ!」
僧侶は叫び、飛び掛かる。海人はなんとなく法則性を掴んでいた。僧侶が叫ぶと一時的に力が増す。速度、力、タフネス、全てが向上する。時間経過と共に下がっていき、叫ぶことでまた力が増す。そのループを繰り返している。
一定時間ごとに呪文のようなものを叫ぶことで身体能力を上げているとしたら、叫んでから時間が経っているタイミングで攻撃すれば通じるかもしれない。今のところ、呪文を叫ぶタイミングを見計らう術は無いが。
僧侶が手ではなく足を振るった。その攻撃の変化だけで、海人にヒットする。体をくの字に曲げて耐える。せめて倒れないように、足に力を入れる。
まずいまずいまずい。攻撃が通じないなんて聞いていない。このままじゃ、ただ時間を稼ぐことしかできない。
海人の周囲の空気がざわめく。パチパチと音が鳴り、海人の目に光が宿る。
無遠慮に突っ込んできた僧侶の首目がけ、念動力を使って掴みかかった。僧侶の動きが止まり、首を掻きむしる。
念動力は力そのものであるため、僧侶が触れることはできない。だが、出せる出力にも限りがある。だいたい、海人の腕1.5本分の力が、念動力で出せる力の限界だ。しかも、継続時間は一分にも満たない。念動力だけで戦闘に勝つことは難しい。
海人も決め手にならないことはわかっている。それでも、使わなければこのまま押し込まれて倒される。歯を食いしばり、僧侶の首を締め上げる。一分間じゃ人の意識は奪えない。それでも、余裕を奪うことはできる。
海人は踏み込み、僧侶の鳩尾に拳を叩き込んだ。念動力と打撃の同時使用なんて滅多にやらない。卑怯にも思えるほど強すぎる、海人の切札。
だが、僧侶は首を絞められたまま腕を振り回す。飛び退いた海人は集中を欠き、念動力が緩んだ。それを機に一気に力が抜けていく。
「ワレワセイチクリンノイッソクケイ」
海人は舌打ちし、両手を構える。これも通じないとなると、いよいよ打つ手がない。目でも潰すか、と爪に力を込めたとき、一瞬眩暈がした。念動力で無茶をしてしまった反動。そして折悪しく、僧侶が踏み込んできた。単調でまっすぐな拳に反応することができず、海人の胸に僧侶の拳が食い込み、体を弾き飛ばした。
二度、三度と体が回転し、床に転がる。ろくろ首の体に感謝した。今のを顔面に受けていたら意識を持って行かれていたに違いない。顔に当てにくい構造で助かった。
手をつき、急いで立ち上がる。追撃は来なかった。今追われたら、マウントを取られてそのまま殴り殺されていたかもしれない。
顔を上げて敵を見ると、意外なことに、 僧侶は海人の方を見ていなかった。視線を追うと、奥の通路に目を遣っている。そして、そこには、ふらつく桜子がいた。
桜子と目が合う。どうして、桜子がここにいる。わからない。わからないが、自分たちは桜子を助けるために乗り込んできた。鈴木たちが上手くやったのだろうと思って考えるしかない。よく見ると、桜子の足元には般若もいる。
「海人君!」
桜子が叫び、駆け寄ってくる。その声に反応したのは海人だけではなかった。
「はあ? なんでここおんねん」
清隆と向かい合っていた狐塚が頓狂な声を出す。
続いて、桜子の背後から手足が二セット、顔が三つの悪霊が這い出してきた。海人は咄嗟に状況を把握する。
悪霊に追われている桜子。そして般若。とにかく、悪霊を殺さないといけない。
「ワレワセイチクリンノイッソクケイ」
僧侶が殴りかかってくる。
「邪魔だ」
反撃に顔を殴るが、相変わらず効いている様子はない。
「セイチクリンノ、イッソクケイ? セイチクリンノイッソクケイって言ったの?」
桜子が呟く。
「それが何ですか」
海人は桜子を庇うように位置取りし、左に僧侶、右に悪霊を見る形になった。
「海人君、あの悪霊を祓える?」
「あの僧侶がいなければ」
「わかった。そっちは私が抑えるから、悪霊の方を速攻で祓ってきて」
「いや、無茶でしょ。あの僧侶、呪文を唱えると滅茶苦茶強くなるんです。俺でもきついのに」
「呪文? いや、違うよ。あれは呪文じゃない」
「じゃあ、何ですか」
答えを聞く間もなく、両側から迫ってきた。海人はじりじりと下がりながら桜子を背負い、頭を回転させる。だが、打開策が浮かばない。僧侶に手一杯なのに、悪霊まで対処できない。
「いいから。行って」
「大丈夫なんですね」
「うん。あれは知っている」
言葉の意味を聞かず、海人は弾かれたように悪霊に突っ込んだ。もう信用するしかない。完全に追い込まれる前に攻めに転じないとジリ貧だった。
「ワレワセイチクリンノイッソクケイ」
「近寄んな、鶏野郎」
鶏? チキン? 臆病者?
耳だけで背後の戦況を推測しながら、海人は悪霊の懐に飛び込んだ。四本の腕をかいくぐって、伸ばした爪を突き立てる。
海人は霊にも触れられる強い力を持っている。霊同士が戦っても決着はつかないが、海人が霊を攻撃すればちゃんと傷つく。爪で切れば殺せる。
爪を引き抜き、蹴り飛ばす。霊が声なき絶叫を上げる様子を見ながら、次の攻撃を打ち込んでいく。爪を立てた手で悪霊の首を引き裂きながら、自分の強さを確認する。
やっぱり、俺は大抵の怪異よりずっと強い。あの僧侶が異常なのか。というか、桜子さんは大丈夫なのかよ。
振り向く余裕が無いが、激しい音は聞こえてこない。
悪霊はもはや虫の息だった。力は強いが、海人の敵ではない。全ての首をもぎ取ると、霧散して消えていった。
「桜子さん」
気持ちを切り替えて桜子の方を見たとき、海人は目を疑った。桜子は無事だった。それどころか、僧侶は固まって、震えているように見える。
「どうしたの。来ないの?」
桜子の挑発めいた言葉にも、僧侶は震えるばかりで動かない。桜子が横目で海人を見た。海人が駆け寄るのを見て、頷く。
「あんたの妖怪譚は知っているよ。西の竹林の一本足の鶏、
僧侶の震えが大きくなる。震度八くらいで揺れ始めたかと思うと、体が急激に萎み始める。海人からも見上げる大男から、膝より低い白い物体へと姿を変えていく。
やがて、完全に鶏になった。足が一本しかない、妖怪の鶏に。
「妖怪の中には、正体を看破されると力を失うものがいる。あんたも例に漏れず、正体がバレたらただの鶏に戻るってわけね。力のリスクは、常に弱点である正体を晒し続けること。それをしないと力は弱まり、戦えない」
鶏の体が宙に浮いた。
海人は念動力で鶏を持ち上げ、荒くなった息を整える。
「こんな奴に、俺は散々殴られたのか。人を絞め殺すほどの力は無いけど、鶏一匹殺すくらいの力はあるんだよ」
鶏がもがく。一本しかない足をバタつかせ、羽を開こうと身をよじる。海人の目は冷たく、冷静に手の内のか弱い妖怪を縊り殺した。