「あらら、死んでもうたやん」
狐塚は海人と一足鶏の戦いを見て、呆れたように自分の頭を叩いた。
「あれ、ろくろ首やんな。珍しい。ろくろ首君だけならともかく、桜子さんも解放されたんは想定外やったわ。正体看破されてもうたし。というか、なんで解放されたんや。物理的な拘束やないのに」
桜子が出て来た通路から、ぞろぞろと浅田、鈴木、巾木が出てくる。それを見て、ああ、と狐塚は唸った。
「あんたらのとこの悪霊たちやん。なるほど、ウチの悪霊を倒すことはできんでも、剥がすくらいならできたっちゅうわけか。ワイとしたことが、物理的にも拘束しておくべきやったな。そしたら、霊にはどうにもできんかったやろに。ま、ええわ。全員消滅させたろ。手間が省けたわ」
一方で、清隆は訝しんでいた。
さっき飲んだ「酔象」が効かない。
海人と分担して別れた後、「酔象」を飲んだ。強烈な酒気を発し、近くにいる者を泥酔させる、サカグラシの能力と清隆の術を組み合わせた対人用の術。
象だって酔わせる、っていう言霊を使って、効果が無い人間なんているのか。どんな酒の強さだよ。
海人相手に使ったときは手加減していた。今は全力で能力を使っている。三十秒も向き合っていれば、普通は意識を保てない。それなのに、狐塚は数分経っても全く足取りが怪しくならない。
ここは狐塚のホーム。こっちの術を跳ね返す仕掛けを打っていると考えるべきか。
清隆は周囲に目を遣る。先に仕掛けを破壊しないと酔象が通じない。だが、どこにどんな方法で仕掛けられているのか、それがさっぱりわからない。
「あんたも、もうちょっとやる気出したらどうや。さっきから、のらりくらりと一定の距離を保って何がしたいねん。ろくろ首君が加勢に来るの待っとるんか。あと、やけに酒臭いのはどういうこっちゃ。しこたま飲んできたんかいな」
酒気自体は届いているようだ。だが、酔わせられない。
酒が入ったリュックは部屋の隅に置いている。清隆の能力は発動に隙が生じる。一対一で格闘戦をしている最中に酒を飲んで、能力を再発動することはできない。桜子がつくってくれた、能力を発動するチャンスを活かせなかったら、「後ろの真実」での小競り合いの二の舞になる。いや、仕掛けが無い分、今度の体術戦は完全に負ける。
逃げるか?
桜子を取り戻したことで、狐塚を倒す意味は薄れている。また強襲を受ける可能性はある、というか間違いなく受けるだろうが、今日のところは撤収しても構わない。態勢を立て直して、改めて対決することもできる。
逃げさせてくれれば、だけど。
この空間が狐塚のテリトリーだというのが問題だ。逃がさないように手を打っている可能性は高い。桜子をここに閉じ込めていたことから、万が一脱走されても逃げられないように入口を閉じておくくらいはしていておかしくない。清隆なら間違いなくそうする。
じゃあ、やっぱり倒すしかないか。
「小難しいこと考えとるな」
狐塚は余裕のある力の抜けた姿勢で清隆に近づく。清隆は両手を構えたまま同じだけ遠ざかる。
「先に言っておいたると、このままあんたがやる気見せんようなら、悪霊たちを消しにかかるで。そんで、次は桜子さんやな。こうなったら殺してしまった方がええやろ。あんたらは、目的を失ってワイになぶり殺される。どうや、やる気になったか」
そこに海人と桜子が来た。海人は動きがぎこちない。どこかダメージを受けているようだった。
「お待たせしました、清隆さん」
「海人君、大丈夫?」
「問題無いっす。もう一戦くらい余裕ですよ」
あからさまな強がりだったが、今の清隆には心強い。代わりに「酔象」の酒気は収めなければならなくなったが。
桜子が清隆の耳に口を寄せる。
「清隆さん、人間扱いしちゃ駄目です」
「どういうこと」
「狐塚は霊を操っていました。それも悪霊を。さっきの鶏も、妖怪でした。そしてこの少し奇妙な空間。これは、腹の中ですよね。私たちは呑まれている」
腹の中。神や怪異が支配する空間。人間を呑み込むことで、外界から見えなくなる。
これまで桜子は、巾木や花の神の腹に呑まれてきた。
それと同じだと?
人間が他者を腹に呑む現象は例が無いわけではない。
航空機の中で突如失踪した乗客。鍾乳洞に閉じ込められた子供たちが、救助されたときたった一人しかいなかった事件。不可解な集団失踪は世界中で何件も起きている。それが怪異によるものか、生きた人間によるものかは定かではないが、状況的に生きた人間が引き起こしたものではないかと考えられている事件もある。
共通しているのは、神隠しめいた事件であるということ。つまり、人も、怪異と同じく腹に呑むことができる可能性がある。詳細未確認のあくまでも可能性の話だが。
ここが、狐塚の腹の中? だとすると、人間が他者を腹に呑めるという画期的な証拠だ。
桜子は続ける。
「狐塚はもう、人間じゃない領域にいると思います。あんなのもう、怪異ですよ。怪異化した、元人間といった方が正しいかもしれません」
だから、と声を一層潜める。
「殺す気でやりましょう」
清隆は表情を変えないことに苦労した。
「生きた人間相手だから、手加減が生じるんです。殺さないように急所を外し、力を抜いて、ふんわり倒さないといけない。そんな状態で勝てる相手じゃありません。殺す気でやらないと」
そりゃあ、桜子さんは特殊だから、人を殺しても平気だろうけど、俺はそんなに割り切れないんだよ。
内心で慄きながら、でもそれを表に出すわけにもいかなくて、清隆は葛藤を抑え込む。
元人間、か。元、人間?
清隆の脳が一瞬明るくなった。
シナプスがスパークする。過去の出来事が一気に脳裏を駆け巡る。
「え、あ……」
意味の無い言葉が口から漏れ、呆然と狐塚を見つめてしまう。その様子をおかしく思ったのか、狐塚も首を捻った。
「どうしたんや、その陰陽師は」
「お前は……。海人君、二十秒持ちこたえて」
「え、二十秒?」
「酒を切り替える」
言うが早いか、清隆は身を翻して背を向け、走り出した。
「待てや」
狐塚が追い、そこに海人の拳が割り込む。
「まあまあ、俺と遊びましょうよ。何か、清隆さんに考えがあるみたいですから」
破裂に似た打撃音が清隆の耳に届く。狐塚か海人、どちらかの攻撃が当たった音だ。振り向かない。今は一秒でも早くリュックを拾わないといけない。
部屋の片隅に置いていたリュックを拾い上げ、中を開ける。目当ての酒はどこにある。ずっと、ずっと持っていたのに。今日こそ必要なのに。
その小瓶を見つけたとき、思わず安堵で膝を着きそうになった。一気に
飲みながら海人と狐塚の姿を探すと、海人が崩れ落ちるところだった。首が縮み、人間と変わらない姿になっている。意識を失ったときの状態だ。
サカグラシに呼びかけ、酒の能力を引き出す。同時に、猫の身体能力で加速する。一気に間合いを詰め、狐塚に殴りかかった。
真っすぐすぎる攻撃。狐塚は無造作に片手を上げてそれを捌く。返す刀で膝蹴りが清隆の腹に刺さった。清隆は狐塚の足を抱え、転がるように床を這う。
狐塚は踏ん張り、膝を壊されることを防いだ。拳を垂直に振り下ろし、清隆は跳ね起きてそれを避ける。ゴツリ、と狐塚の拳と床がぶつかる音が鳴る。
一気に攻防し、清隆の息が荒くなる。その一方で、狐塚は表情を変えていた。
「思った通りだ」
狐塚の手からは血が滴り、抱き着かれた足からは血が滲み出て、服を濡らしていた。狐塚自身も、痛みに表情を歪めている。
再度、清隆が飛び掛かる。足を負傷した狐塚は避けられず、両手を使って清隆の連続攻撃をいなしていく。そしてその度、血が飛び散った。
我慢しきれなかった狐塚が、両手を振り回して清隆を引き剥がす。清隆は、顔に体重が乗っていない一撃を受けながら、間合いを取る。狐塚は、それすらも耐えられないかのように、拳を掴んで歯ぎしりする。
「何を飲んだ、陰陽師」
「騙された。マジで騙された。こんなの、俺が真っ先に気付くべきことだったんだ」
あ、という声が背中から聞こえた。桜子が清隆のリュックを漁ったらしい。清隆が飲んだ酒を見れば、どういうことか一発でわかる。
「そういうことだったんですね」
「桜子さん、言ってやりなよ。こいつの正体を」