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第89話

「狐塚、あなたの正体は、鬼ですね」

 桜子の言葉に、狐塚は無言で応える。

「悪霊や妖怪を使役すること、結界をつくって他者を呑み込むこと、人間への擬態能力、そして、清隆さんたちを圧倒するほどの身体能力。これは、清隆さんがかつて遭遇した鬼と似ています。そして、そうだとすると、今あなたが受けている傷も説明ができます」

「説明?」

「清隆さんが飲んだお酒は、焼酎「鬼ごろし」です。日本中で売られている有名なお酒ですよ。清隆さんが使っているのは言霊。人が信じ、その言葉を使うことで力が増す。「鬼ごろし」なんて有名なお酒の言霊です。日本全国を敵に回しているようなものですから、そりゃあ、強烈な効果が出て然るべきです」

 清隆が引き継ぐ。

「俺は二十歳になった頃、鬼相手に痛い目に遭った。そのとき使っていた式神全て失うくらいの痛手だ。だけど、得るものもあったよ。鬼は強いという事実、そして、俺とサカグラシはそれを倒せるという根拠だ。そのとき、契約したばかりのサカグラシと、「鬼ごろし」の能力で鬼を討伐した。今の俺は、あんたが触れてくるだけで滅ぼせる、鬼の天敵なんだよ」

「そんな酒もあったなあ、縁起悪い名前やと常々思うとったけど、まさかこんなときに伏線回収されるとはな」

「勝手に伏線張っておいてくれてどうも」

 狐塚の額の真ん中が盛り上がり、一本の角が顔を出した。そのまま伸び、天を衝くように反り返って止まる。

「もう隠す必要もないやろ」

「そうだな。ろくろ首が首を伸ばすのと同じで、変化することで鬼の能力をフルに発揮できるんだろ」

 それでも、と清隆は両手を構える。

「勝負は決まっている」

 二人が交差する。清隆は腰を落とし、両手で狐塚の打撃をガードする。ただそれだけで、狐塚の拳から血が飛び散った。

 狐塚が痛みに耐えきれず間合いを取る。攻守が交代し、清隆が踏み込む。清隆は無造作にも見える動作で狐塚に回し蹴りを打ち込んだ。足を負傷している狐塚は回避できず、手足で受けるしかない。だが、ガードしてもそこから出血する。清隆の拳、蹴り、ときには頭突きが振るわれる度、狐塚は新たに血を流し、服が赤く染まっていく。狐塚も反撃するが、攻撃が届いても防がれても、触れた部位が溶けるかのごとく抉られていくのだから、ままならない。

 そして、とうとう膝をついた。

「小間がいないのは、万が一にもこんな光景を見せないためだったんだろ」

 清隆が見下ろす。

「自分が死ぬところなんて見せたら、未成年の成長に悪影響だもんな」

 狐塚が鼻で笑った。

「意趣返しか」

「まったくもって、迷惑だったよ。小間を送り込んできたときからさ。これくらいじゃ何も返って来ない。全然足りない。でも、鬼だからな。討伐されてくれれば良しとする」

 清隆が手を伸ばし、狐塚の顔を掴んだ。

 狐塚の絶叫が響き、清隆の指が食い込む。清隆の腕を剥がそうと掴むが、掴んだ端から指の肉が抉れ、溶け、骨を剥き出しにしていく。

 あまりに凄絶で、桜子は目を逸らした。

「見なくてもいいですけど、見ておくべきですよ。あなたを殺そうとした奴の最期です」

 いつの間に意識が戻ったのか、海人が傍に立っていた。

「最後まで油断しない方がいいですしね」

 狐塚を見ると、もう手首から先が無くなっていた。顔は溶け、あり得ない位置まで清隆の指が食い込み、ジュワジュワという音が聞こえてくる。

 清隆が手を離す。狐塚だった物体は、床に倒れた。

「妖とはいえ、人の形をした者が死ぬのは、楽しいものではありませんな」

 浅田が刀を納める。その後ろでは、巾木が般若を抱きしめ、見せないようにしていた。

 狐塚の体が蒸発するように消えていく。鈴木が清隆に近寄った。

「鬼の最期は、こういう風に消えるのですか」

「俺が殺すとね、こうなる。普通に死んだら普通に肉体も残ると思うよ。「鬼殺し」は強すぎるんだ」

「アルコールが乾くみたいですね」

「酒だけに?」

「そんなつまらないことを言ったつもりはありませんが」

「わかっているよ」

 蒸発は末端部分から進み、やがて全てが消えた。

「これは、木の札ですか?」

 鈴木が指さす。狐塚の体があった場所に、一枚の札が残されていた。清隆が慎重に拾い上げる。

「なんだ、これ」

 呟くと同時に、地震が起きた。清隆が札を放り投げる。

「全員脱出しろ。この空間が消える」

 一番早く状況を理解し、動き出したのは海人だった。

「出口こっち!」

 海人が先導し、桜子たちが続く。階段を駆け上がり、飛び出すと、庭に出た。後ろを振り向くとそこは玄関だった。

 わらわらと巾木たちが上がってくる。最後に清隆が飛び出てくると、玄関が水道の排水口に吸い込まれるように、地下の空間に消えた。そのまま家屋全体、庭の木々まで地下空間に吸い込まれて行き、最後に家屋を囲む塀が飲み込まれた。

 後に残ったのは、雑草一つ生えていない空き地だった。桜子たちは声一つ出せないまま、顔を合わせてこれが現実であることを確認する。

「この家自体が、狐塚の力で作り出されたものだったってことか。桁違いだな」

 清隆は力が抜けたように座り込み、海人も呆然と立ち尽くしていた。桜子は、浅田たちの姿が見えなくなっていることに気付いた。一時的な霊感は、狐塚から付与されたものだった。狐塚が消えたことで、その力も消えたのだろう。

 涼しい夜風が吹き抜ける。ここには何も無かったかのごとく、侘しい風だった。

 時計を見ると、深夜二時。

「狐塚は、本当にいたんでしょうか」

 桜子は何もなくなった空き地に何かの気配を探すが、その目は何も捉えなかった。

「いたよ」

 清隆は地面に胡坐をかいて、桜子と同じ方向を向く。

「でもまあ、妖だから。この世とあの世の境にいるような連中だ。いなくなるときも霞のように消えるんだよ」

「適当言っていません?」

「言っていないよ。海人君なら、その感覚はわかるだろ」

「はい。俺たち人外の妖は、決して人間に正体を悟られてはならないんです。害為すものも、そうでないものも、理外の存在は駆除されてしまう。俺たちが生き残っているのは、綱渡りなんですよ。いつ俺が狐塚のように消えてなくなっても、おかしくない」

「海人君はいい人じゃん。殺される理由なんてないよ」

「狐塚も多分、世間的にはいい人でした。悪霊を祓い、人を守る、そんな霊媒師だったんだと思います」

「私たちの方が悪だってこと?」

「正義なんて立場によって変わる、という話です。俺たちろくろ首の正義と、人間の正義は違うんですよ」

 でも、と海人は空を見上げた。満点の星空だった。

「あれは、鬼の正義だったんでしょうかね。俺にはまるで、人の正義みたいに思えました」

 発するべき言葉が見当たらなくて、桜子は海人と清隆を交互に見た。でも、二人とも何も言わない。

 質問した方がいいのだろうか、とまごついていると、清隆が立ち上がった。

「帰ろう」

 服に付いた土を払う。

「俺たちは正義だった」


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