「狐塚、あなたの正体は、鬼ですね」
桜子の言葉に、狐塚は無言で応える。
「悪霊や妖怪を使役すること、結界をつくって他者を呑み込むこと、人間への擬態能力、そして、清隆さんたちを圧倒するほどの身体能力。これは、清隆さんがかつて遭遇した鬼と似ています。そして、そうだとすると、今あなたが受けている傷も説明ができます」
「説明?」
「清隆さんが飲んだお酒は、焼酎「鬼ごろし」です。日本中で売られている有名なお酒ですよ。清隆さんが使っているのは言霊。人が信じ、その言葉を使うことで力が増す。「鬼ごろし」なんて有名なお酒の言霊です。日本全国を敵に回しているようなものですから、そりゃあ、強烈な効果が出て然るべきです」
清隆が引き継ぐ。
「俺は二十歳になった頃、鬼相手に痛い目に遭った。そのとき使っていた式神全て失うくらいの痛手だ。だけど、得るものもあったよ。鬼は強いという事実、そして、俺とサカグラシはそれを倒せるという根拠だ。そのとき、契約したばかりのサカグラシと、「鬼ごろし」の能力で鬼を討伐した。今の俺は、あんたが触れてくるだけで滅ぼせる、鬼の天敵なんだよ」
「そんな酒もあったなあ、縁起悪い名前やと常々思うとったけど、まさかこんなときに伏線回収されるとはな」
「勝手に伏線張っておいてくれてどうも」
狐塚の額の真ん中が盛り上がり、一本の角が顔を出した。そのまま伸び、天を衝くように反り返って止まる。
「もう隠す必要もないやろ」
「そうだな。ろくろ首が首を伸ばすのと同じで、変化することで鬼の能力をフルに発揮できるんだろ」
それでも、と清隆は両手を構える。
「勝負は決まっている」
二人が交差する。清隆は腰を落とし、両手で狐塚の打撃をガードする。ただそれだけで、狐塚の拳から血が飛び散った。
狐塚が痛みに耐えきれず間合いを取る。攻守が交代し、清隆が踏み込む。清隆は無造作にも見える動作で狐塚に回し蹴りを打ち込んだ。足を負傷している狐塚は回避できず、手足で受けるしかない。だが、ガードしてもそこから出血する。清隆の拳、蹴り、ときには頭突きが振るわれる度、狐塚は新たに血を流し、服が赤く染まっていく。狐塚も反撃するが、攻撃が届いても防がれても、触れた部位が溶けるかのごとく抉られていくのだから、ままならない。
そして、とうとう膝をついた。
「小間がいないのは、万が一にもこんな光景を見せないためだったんだろ」
清隆が見下ろす。
「自分が死ぬところなんて見せたら、未成年の成長に悪影響だもんな」
狐塚が鼻で笑った。
「意趣返しか」
「まったくもって、迷惑だったよ。小間を送り込んできたときからさ。これくらいじゃ何も返って来ない。全然足りない。でも、鬼だからな。討伐されてくれれば良しとする」
清隆が手を伸ばし、狐塚の顔を掴んだ。
狐塚の絶叫が響き、清隆の指が食い込む。清隆の腕を剥がそうと掴むが、掴んだ端から指の肉が抉れ、溶け、骨を剥き出しにしていく。
あまりに凄絶で、桜子は目を逸らした。
「見なくてもいいですけど、見ておくべきですよ。あなたを殺そうとした奴の最期です」
いつの間に意識が戻ったのか、海人が傍に立っていた。
「最後まで油断しない方がいいですしね」
狐塚を見ると、もう手首から先が無くなっていた。顔は溶け、あり得ない位置まで清隆の指が食い込み、ジュワジュワという音が聞こえてくる。
清隆が手を離す。狐塚だった物体は、床に倒れた。
「妖とはいえ、人の形をした者が死ぬのは、楽しいものではありませんな」
浅田が刀を納める。その後ろでは、巾木が般若を抱きしめ、見せないようにしていた。
狐塚の体が蒸発するように消えていく。鈴木が清隆に近寄った。
「鬼の最期は、こういう風に消えるのですか」
「俺が殺すとね、こうなる。普通に死んだら普通に肉体も残ると思うよ。「鬼殺し」は強すぎるんだ」
「アルコールが乾くみたいですね」
「酒だけに?」
「そんなつまらないことを言ったつもりはありませんが」
「わかっているよ」
蒸発は末端部分から進み、やがて全てが消えた。
「これは、木の札ですか?」
鈴木が指さす。狐塚の体があった場所に、一枚の札が残されていた。清隆が慎重に拾い上げる。
「なんだ、これ」
呟くと同時に、地震が起きた。清隆が札を放り投げる。
「全員脱出しろ。この空間が消える」
一番早く状況を理解し、動き出したのは海人だった。
「出口こっち!」
海人が先導し、桜子たちが続く。階段を駆け上がり、飛び出すと、庭に出た。後ろを振り向くとそこは玄関だった。
わらわらと巾木たちが上がってくる。最後に清隆が飛び出てくると、玄関が水道の排水口に吸い込まれるように、地下の空間に消えた。そのまま家屋全体、庭の木々まで地下空間に吸い込まれて行き、最後に家屋を囲む塀が飲み込まれた。
後に残ったのは、雑草一つ生えていない空き地だった。桜子たちは声一つ出せないまま、顔を合わせてこれが現実であることを確認する。
「この家自体が、狐塚の力で作り出されたものだったってことか。桁違いだな」
清隆は力が抜けたように座り込み、海人も呆然と立ち尽くしていた。桜子は、浅田たちの姿が見えなくなっていることに気付いた。一時的な霊感は、狐塚から付与されたものだった。狐塚が消えたことで、その力も消えたのだろう。
涼しい夜風が吹き抜ける。ここには何も無かったかのごとく、侘しい風だった。
時計を見ると、深夜二時。
「狐塚は、本当にいたんでしょうか」
桜子は何もなくなった空き地に何かの気配を探すが、その目は何も捉えなかった。
「いたよ」
清隆は地面に胡坐をかいて、桜子と同じ方向を向く。
「でもまあ、妖だから。この世とあの世の境にいるような連中だ。いなくなるときも霞のように消えるんだよ」
「適当言っていません?」
「言っていないよ。海人君なら、その感覚はわかるだろ」
「はい。俺たち人外の妖は、決して人間に正体を悟られてはならないんです。害為すものも、そうでないものも、理外の存在は駆除されてしまう。俺たちが生き残っているのは、綱渡りなんですよ。いつ俺が狐塚のように消えてなくなっても、おかしくない」
「海人君はいい人じゃん。殺される理由なんてないよ」
「狐塚も多分、世間的にはいい人でした。悪霊を祓い、人を守る、そんな霊媒師だったんだと思います」
「私たちの方が悪だってこと?」
「正義なんて立場によって変わる、という話です。俺たちろくろ首の正義と、人間の正義は違うんですよ」
でも、と海人は空を見上げた。満点の星空だった。
「あれは、鬼の正義だったんでしょうかね。俺にはまるで、人の正義みたいに思えました」
発するべき言葉が見当たらなくて、桜子は海人と清隆を交互に見た。でも、二人とも何も言わない。
質問した方がいいのだろうか、とまごついていると、清隆が立ち上がった。
「帰ろう」
服に付いた土を払う。
「俺たちは正義だった」