「お帰りなさいませ、アルフォンソ様」
少し年配の男性の声がフード越しに聞こえてくる。
「あぁ、そちらがパトリシア様でございますね」
きっと、お屋敷の執事だろう。
「ただいま。このままティールームにお連れするよ」
「かしこまりました」
そして足音がいくつか遠ざかっていくのがわかる。
あぁ、これってアルフォンソさんが気を遣ってくれたって事なのかな。
今の私の顔、きっとひどいことになっているから、人の目に触れないようにしてくれたんだろう。
「では参りましょうか、パトリシア」
「はい」
そう返事するのが精いっぱいで、私は下を俯いたままアルフォンソさんの案内でお屋敷の中に入った。
靴を脱いでスリッパに履き替えて、廊下を進む。
うちの屋敷よりもずっと広そうだな。
何度か角を曲がり、たどり着いたのは小さな部屋だ。
この国の大抵のお屋敷にはティールームと呼ばれるお茶を飲むための部屋がある。たいていは応接室を兼ねているけれど。
そこは庭の景色が良く見える部屋であることが多い。
なので窓は大きく外がよく見える。
中央にテーブルを挟むようにソファーが置かれ、壁には小さな貝がが飾られている。
窓の向こうは広いテラスになっている様で、そのまま外に出られるようになっているみたいだ。
「パトリシア、お茶を用意してくるので少しお待ちください。そちらの扉の向こうに化粧室がございますからよろしければご利用ください」
そう声をかけられてアルフォンソさんは部屋を出ていった。
私はそそくさとアルフォンソさんに教えていただいた扉の向こうに向かう。
そこはアルフォンソさんの言う通りお手洗いがあり、大きな鏡があった。
私は鏡の前に立ち、マントのフードをとる。
思った通り、ファンデーションやアイラインが流れて酷い顔をしていた。こんな顔、人には見せられないわね。
私はバッグからハンカチを出して涙を抑え、ファンデーションなどを出して化粧を直す。
これは確かに気をつかわれるわね。
だって彼がお茶の用意をするわけがないもの。
きっと私に化粧を直す時間をくれたのね。
そんなことされたらなおさら心ひかれるじゃないの。
私、本当にこのままアルフォンソ様と……?
おかしいな、私、一度婚約して結婚、ってところまでいったのになんでアルフォンソさんとそういうことになるかも、ってなると恥ずかしくなってくるのよ。
おかしいでしょう。
私は化粧を直し、鏡をじっと見つめる。
心なしか、私の顔、紅くないかな。大丈夫かな。
鏡に近づいたり離れたりして、私は自分の顔を何度も確認する。
そして私は、
「よし」
と気合を入れて、化粧品などをバッグにしまってティールームへと戻った。
すると、ちょうど廊下側の扉が開いてアルフォンソさんが入ってくるのが見えた。
彼は本当に、お菓子やお茶などがのったワゴンを押してきている。
嘘でしょ? なんで彼が用意してるのよ。
驚いた私は慌ててマントを脱いでバッグと一緒にソファーの上に置き、アルフォンソさんに近づいた。
「お手伝いすることはありますか?」
そう声をかけると彼は頷き、
「ありがとうございます。では、このお菓子のお皿をそちらに運んでいただけますか?」
「わかりました」
ケーキやクッキーなどがのった三段のケーキスタンドの持ち手を持ち、私はそれをテーブルへと運ぶ。
どのお菓子もおいしそうだなぁ。
そこにアルフォンソさんがティーカップを置き、ティーウォーマーを置いてろうそくに火をつける。そしてそこにティーポットを置いた。
「ではいただきましょうか、パトリシア」
「はい、ありがとうございます」
礼を伝え、私はマントとバッグをポールスタンドにかけたあと、ソファーに腰かけた。
てっきり向かいのソファーに座ると思ったアルフォンソさんは、私の隣に座ってくる。
ちょっと驚き隣を見ると、彼は微笑み言った。
「今日のお洋服も可愛らしいですね」
思いもよらない言葉に、私は顔が燃えるように熱くなるのを感じた。
「え、あ、あのえーと……その、ありがとう、ございます……」
言いながら私は下を俯いてしまう。
いつだってアルフォンソさんのペースで私は振り回されてしまう。私が振り回す方になりたいのになんでだろうか。
私は気持ちを落ち着かせるためティーソーサーを手にしてカップを持ちお茶に口をつけた。
あぁ、お茶、美味しいなぁ。
私はソーサーをテーブルに戻すとアルフォンソさんの方に視線を向けて尋ねた。
「あの、モンターナでの事をお聞きしてもよろしいですか?」
「あぁ、そのことですか」
そう言ったアルフォンソさんの表情は、少し硬い気がした。これ、聞いても大丈夫なのかな。たくさんの人が亡くなったと言っていたし、怪我をされているから、あまり聞くことじゃないのかな。
頭の中でごちゃごちゃと色んな考えが浮かんでは消えていく。
こんな経験ないから私には判断がつかない。
「モンターナは、美しい山脈がある所です。ただ国境沿いであり深い森に面しているため、要塞となっています。モンスターの侵入を防ぐ為です」
昔は町を壁で囲うのが当たり前だった、とは聞いたことがある。
アルフォンソさんはティーソーサーを持ち、カップを見つめて話を続けた。
「以前にも話をしたと思いますが、モンスターは今でも存在しますし、特に国境沿いの森の中は原生林と呼ばれていて、様々なモンスターが生息していると言われています」
「原生林……ですか?」
耳慣れない言葉だった。
「えぇ。人の手がまだ入っていない森のことですよ。人のすみかがひろがりモンスターたちは深い森へと追いやられていったと聞きます。中には迷宮もあると言われていますが、真実はわかりません」
迷宮、いわゆるダンジョンよね。なにそれ心惹かれるけれど、現実のダンジョンは人は死ぬし、生き返れないわよね。
そう思うと心が痛くなる。
「ドラゴンが今もいるなんて思いもよらなかったです」
「そうですね。長らく目撃されていませんでしたから。それがモンターナ近辺に現れ家畜や人を襲うようになってしまい、それで騎士が派遣されることになったんですけれど」
そこでアルフォンソさんは言葉を切り、カップに口をつけた。
「さほど大きいドラゴンではなかったそうですが、一緒に行った騎士がふたり、死んでしまいました」
知らない人たちの話だけれど私の心はズン、と重くなった。
「そういう危険な任務って多いんですか?」
尋ねるとアルフォンソさんは肩をすくめる。
「どうなのでしょうね。俺が騎士になって浅いので詳しくは知りませんが、父の兄弟の騎士は戦死していると聞いています。それに一年に一度その年に亡くなった騎士の魂を追悼する式典があります。なので危険な任務はそれなりにあるのかとは思います」
そうなんだ……やだ、想像するだけで私の身体は震えてしまう。
私は思わずアルフォンソさんの肩に手を置き、顔を近づけた。するとアルフォンソさんはカップをテーブルに置いてこちらを向く。
彼の話を聞いて私は、どこにもいかないでほしいって、心から思った。でもお仕事はお仕事だし、なんて言えばいいんだろう。
「私は……待つことしかできませんが、いつでも貴方の無事を祈っているので生きて、私の所に帰ってきてほしいです」
考えて絞り出した言葉に、アルフォンソさんは一瞬驚いた顔をした後、ふっと笑い言った。
「まるでプロポーズですね」
……プロポーズってなんでしたっけ?
私は彼の肩に手を置いたまま完全に固まってしまった。
プロポーズってプロポーズですよね?
いや、何考えてるんだ私。
「え、あ、あの、いや、結婚とかそういう意味で言ったわけじゃなくってその……」
アルフォンソさんの肩から手を離し、私は胸の前で両手を振り、一緒に頭も横に振って彼の言葉を否定する。
そんなつもりで言ったんじゃないんだけど……そうか、聞きようによってはそうも聞こえるのね。
あぁ、何言ってるの私。どうかしたの、私。
会えなかった期間が心配で仕方なくって、怪我を見て私は不安を大きくさせてしまったからかな。
恋におちるってこういう事なのかな。
最初は本当に何を考えているのか全然分かんなかんなくって、戸惑うばかりだったのにな。
アルフォンソさんの手が私に触れたかと思うと、ぐっと力が込められて引き寄せられてしまう。
え、な、なに?
目を大きく開いてアルフォンソさんの顔を見上げる。当たり前だけどすぐ目の前に彼の顔があり、私は顔が熱くなるのを感じた。
アルフォンソさんの顔……包帯で隠された左目が痛々しくて、心が痛い。私が怪我したわけでもないのに。
怪我、どういう怪我なんだろう。ドラゴンの尻尾で攻撃されたって言っていたけれどどういうことなのかな。痕、残ってしまうのかな。ただでさえアルフォンソさんの容貌は目立つのに、顔に怪我なんてしたらもっと人目をひいてしまうんじゃないかな。
そんなことをぐるぐると考えていると、
「パトリシア」
と、顔を近づけながらアルフォンソさんが私の名前を呼ぶ。
背中に手が回り、ぎゅうっと抱きしめる腕に力がこめられて、いっそう私と彼の身体が密着してしまう。
「あ……アル、フォンソ……」
恥ずかしさからか別の理由かわからないけれど、唇が震え心臓が賑やかに鼓動を繰り返していることに気が付く。
「ドラゴンの攻撃を受けたとき、もう貴方に会えないのかと思いました。でもまたこうして貴方と会い、その身体を抱きしめることができて嬉しいです」
切なげに右目を細めたアルフォンソさんはそう言った後、さらに顔を近づけてきてそして、唇を重ねてきた。