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【第十四章】朝のぬくもり

 秦景楓は、己の心に向き合って瞑想した。絵を描いて、木を彫って、亭の作業を進めたいなと頭の片隅で思いながらも、今日曜大工なんてやろうものなら指を切る自信があって、ずっと設計図完成の先に進めていなかった。

 その日も目を覚ました。鶏共の「飯を寄越せ!」の催促でぱっちりと意識を覚醒させ、のそのそと起き上がる。

「わかったわかったよぉ、うっさいなもうぅ……」

 昨日は少々寝つきが悪るく、比例して目覚めも悪い。彼にしては珍しい話だろう、しかし、朝の作業をしていれば過ぐ目は冷める。

 欠伸をお供に寝巻を雑に放り、いつもの作業着に身を包む。もやしは、周期的には今日丁度収収穫出来る日だ。こちらも後で確認しておくことにしよう。とりあえず、声のデカい鶏共の世話からだ。

「ほいほーい、ご飯持ってきましたよー。ほら、お食べー」

 餌と水の更新をしてやると、鶏共は憎たらしくも可愛らしく、心なしか「そうそう、これだよこれ」と言いたげに鳴く。ついでに表情もそんな感じに見えてしまったモノだ、感情移入をしている証拠だろうか。

「えーっと、鶏舎に異常はなしっと。ヒヨコ達も……うん、元気そうだね。お前等も、大分おっきくなったねぇ。まぁそうだよなぁ、ここに来てからもう五週間は経つもんなぁ」

 やって来た頃のヒヨコは、まだ明るい黄色の羽毛を持っていて、まだ手のひらに収まる程の大きさだった。それがどうだ、今となっては色素が薄くなって来て、体も大きくなってくる。段々と鶏らしさを体に現し始める、所謂中雛期というヤツだ。

(育てていたら愛着わいちゃったんだよなぁ。肉にするのは勿体ないし、このまま成鳥になっても育てようかな……)

 なんて、そんな事を考えながらも、声の低くなったヒヨコの頭をひょいと突く。

 本来、鶏とヒヨコは卵と後は鶏肉の為に仕入れた。勿論卵は毎日ないか確かめて、あったらありがたく頂戴しているが、今だこの鶏舎から鶏肉を取り出したことは無い。

(全国の養鶏農家は凄いよなぁ。育てていたら愛着も湧くだろうに、肉にして出荷できるんだから。肉を食べないのは耐えられないけど、ヴィーガンの人の言う事も分からなくはないよなぁ)

「だけど、肉は食べたいしなぁ……」

 思わず本音が漏れ出てしまった。その時、鶏二羽が「コケっ!」っと叫んで突いて来る。

「いたいいたいっ! 別にお前等は食べないよっ、本気で突くなって!」

「ケー!」

「食べないっての! お前に頼らなくたって美味しい鶏肉なんてすぐ入手できんだからな!」

 畜生相手に真面目に会話をしているかのように見えるが、現在彼はインスピレーションのみで話している。

 そうして鶏舎内の用事は終え、外に出る。

 次は畑仕事だ。比較的成長の早い奴等を選んで埋めたこの畑は、全体通して大分立派になって来ている。

「そうだ、葉物達がそろそろ収穫じゃなぁーい? お、いいじゃんいいじゃん。立派に育った! ベビーリーフって言うくらいだし、ちょっと間引いて使おうかな」

 サラダに仕上げるのもいいが、本命はこれをスペースで換算した時に何ポイントになるかだ。

 現実的な問題、そう簡単に自家製栽培で稼げるのであれば全国の農家は喘いでいないが、それとこれは別の話。ここは、ある種ゲームの世界みたいなモノだから。タスクを任務と称している時点で、かなりゲームくさいだろう?

 大根も間引く頃合いだろう。ちまちまと白さが土から垣間見え始め、「実は僕大根なんですよー」と笑っている。ジャガイモの本体は恥ずかしがって完全に地面に埋まっているが、見事な緑に茂った葉が付き、茎も順調に伸びている。それぞれに虫がついていないかや病気になっているような気配がないかのチェックを行い、各々に合った量の水を与えてやる。どの野菜も健康に育っていると言えるだろう。

 葉物達は間引き兼収穫を行い、一部は今夜のサラダの材料として使い、それ以外はスペースに売りさばく事にしよう。いつもの朝作業を行う事、累計一時間程。改めて整えた畑を目に、ふうと一息ついて、腰に手を当てる。

「うん、順調順調ぉ。特段大きな問題も起きていないし、こういう所は割と都合のいいゲームな感じもあるよな、この世界」

 これは秦景楓がスペースからいい肥料を仕入れていたり、そもそもの彼の技術と元々の経験も大きいだろうが、それでもここまですべてが順調なのはゲームのご都合主義に思えてくる。まぁそっちの方がありがたいから良いのだが。

 今日の畑仕事を終え、これで日課は果たせた。さて、今日は少し気持ちも落ち着いたし、亭に手を付け始める事にしようか。その前に、朝ごはんを作らないとだが。

(司雲はまだ寝てるかな? まだ起こすのには早いし、ご飯作って六時くらいに声をかけるかな)

 考えながら、台所に向かう。育てているもやしは丁度収穫出来る周期だから、ありがたく収穫してこれを朝食に使う事にする。もやしが収穫出来る今日は、もやしデーだ。

「朝ごはんは、まぁ軽くでいいか。目玉焼きにしよ」

 鶏舎の掃除の合間に鶏共の隙をみて拝借した二つの卵がある、これで目玉焼きを作ってホカホカごかんに乗せるのだ。朝食なんてものはこれだけで十二分にご馳走だ。ついでに、収穫した青菜ともやしを使ってサラダを作れば健康的にも良い。朝ご飯なんてこんなモンで大丈夫だ。

「あ、ドレッシング切らしてる。買いに行こ。ついでにソーセージでもやこっかな、タコさんウィンナーにしたら、司雲どんな反応するかなぁ」

 想像して小さく笑う。「俺を子ども扱いしているのか?」と訝し気に眉を潜めるだろうか、それとも案外喜んでくれたりするだろうか。どちらにせよ、反応が見てみたい。

「あ、そうだ。昨日の桃のシロップ煮、まだちょっと余っているし、ヨーグルトに入れてみよっかな。朝ごはんらしいんじゃない?」

 とりあえず、見つからないように注意しながらスペースに行く事にしよう。幸い、台所はほぼ秦景楓の城だ。司雲が立ち入ってくる事はない。そういう所は、据え膳下げ繕が普通の皇帝様らしいのだ。

 翡翠の首飾りを軽く握り、お馴染み相変わらず何もない真っ白空間のスペースに入る。

「スペース。ヨーグルトといつもの胡麻ドレッシング、あとウィンナー頂戴」

 一声かければそれだけでご用入りの品とそれぞれの値札が召喚される。それらを確認して、買うと宣言すればポイントと引き換えだ。ネットショップよりも便利だ。

「うん、ありがとね。それじゃあ」

 特に相手から返答はないと分かっているが、意味もなく挨拶をして購入品を持って帰る。そうしてから、ささっと朝ご飯を作った。

 さて、簫司羽を起こす事にしよう。食事は一旦二人での食事に使っている客間に起き、虫よけのネットをかけておく。ちなみにこれもスペースで購入した品だ。あって損はないかなと思って買ったが、あまり出番はない。

 簫司羽の使っている部屋、および元秦景楓の寝室の戸を叩く。

「しうーん。朝ごはん出来たよー」

 しかし、部屋の中は静まり返って返事がない。

「司雲? まだ寝てる?」

 彼は仕事柄もあってか朝は早い方だし、大体この時間には起きているのだが。いつもなら直ぐに「今行く」とかで返ってくる言葉がない。

 まだ寝ているだけだろうが。意識を失っていたりの万が一あったらマズいと、秦景楓は鍵のかかっていない戸を開く。

 布団は膨らんでいる、という事はこの中にはいるようだ。

「司雲。大丈夫? 寝ているだけ?」

 近くに寄って声をかけるが、返事がない。

(寝ている……? だけど、簫司羽ってかなり眠りが浅いよな。なのに、この距離で声をかけて気付かないのか……?)

 首を傾げて考える。ただ単に今日は疲れていて深い睡眠を取れているという説もあるが。寧ろ、それであってくれと願う。

 ただ、言葉による返答が無かっただけなのに。秦景楓の脳裡に過った、ボロボロの寝台で最期の眠りについた母の姿――二十年くらい前のそれを思いだしてしまったのは、彼があまりにも静かに眠っていたからだろう。

(違う、簫司羽は、寝ているだけだ……そうに違いない……)

 微かに震えた手が、彼に伸びる。その体温を感じて安心する為に、脳は秦景楓の意思を無視して体に指令をだしていた。

 秦景楓の指先が彼の首筋に触れようとした時、目にも止まらぬ反応速度で伸びて来た簫司羽の手がそれを掴み、そのまま己に向かって引っ張る。

 必然と彼のいる寝台に倒れ込むような形になり、突然の事に脳が処理落ちを起こした。

 次意識がはっきりとした瞬間、視界の直ぐ前に映ったのは、簫司羽の作り物のように整った綺麗な顔だった。

 安い上に必要最小限なこの寝台の上で、距離感。添い寝と同じではないか。

「ひょっ……」

 そう気付いた瞬間、よく分からない声が漏れた秦景楓。ヒョッとか言う聞かない擬音に、簫司羽は思わず一笑を零した。

「お前も、共犯だ」

 そう呟いて、彼はまた目を閉じた。

 要するに、起きてはいたのか今起きたのか、とにかく起きたのだがそのまま起きる気にはなれず、丁度よく起こしに来た秦景楓を共犯者にして二度寝をしようという事だろう。

 腕の中に収められ、思考回路に急激な熱が上がる。

「ちょ、簫司羽っ。朝ごはん出来てるんだって、冷めちゃうし……っぐ、意外と力強いな。ねぇ、起きてよぉ!」

 押し返して脱出しようとしたが、腕に物凄い逃がさんと言う意思を感じる。こんなに細いというのに……そう思って彼の腕を目に映して、気が付いた。

(と、いうか……細くない……! 筋肉ある、筋肉あるんだけどぉ!?)

 人の腕などまじまじと見ないから分からなかったが、しっかりと筋肉が付いていた。なんなら、職業柄重い物を持つ事が多い秦景楓よりも。秦景楓は筋肉が付きづらい体質というのもあるのだが、それにしたってだ。

(細マッチョか……! チクショウ、僕の方が重いの担げると思ってたのに……!)

 こう見えて実は僕の方が力あるんだよねーとか、密かなマウントを心の中で取っていたというのに、振り払う事も出来ないとは。地味にプライドへの傷が入った。

 いや、そんな事はどうでも良くてだ。朝ごはんが冷めてしまう。

「簫司羽、簫司羽さーん? ちょ、ちょっと。二度寝してもいいから、僕だけ放してくれないかな?」

 しかし、彼はうんともすんとも言わない。困った、本当に困った。

 秦景楓の事などお構いなしに、簫司羽は彼の頭に手を伸ばし髪を結んでいた紐を器用に解いてひょいと投げた。

(あっ、解きやがった。これマジで二度寝の共犯にする気満々だ……!)

 髪を解いたら、それはもうほぼ寝る合図だ。簫司羽は本気で、秦景楓を道連れにして二度寝しようとしている。

 どうしようかと考えてみるが、人肌のぬくもりを感じているとそんな気も徐々に失せてくる。

(まぁ、虫よけネットはかけてきたし……なんか、あったかくて。眠くなってくるな……)

(思えば、こんなに人肌に触れるのなんて、いつぶりだろ)

 瞼が重くなっていく最中、彼の頭にふと浮かんだ思考。

 関わる相手は多くとも、その中で友人と呼べる間側の人間はいなかった。当然、同じ寝台で夜を過ごすような仲の相手もいない。

 思いだしたのは、遠い昔。なけなしの寝台は掛け布団も薄く、冬の夜は寒さに凍えていた。しかし、狭い寝台で家族三人詰め寄って眠れば、その温もりで十分に温かった。あの時は、寒さの魔の手から守られるように両親の間にすっぽりと隠れて、穏やかな眠りの中にいた。

(あったかい……すごい、落ち着くな)

 気付けば起きる気力はなくなり、導かれるまま二度目の眠りに落ちる。

 そうして、秦景楓から穏やかな寝息が漏れる。意図も簡単に眠った彼を、簫司羽は開いた眼に映す。

 重力で垂れた彼の髪を上げ、小さな子どものような寝顔を見る。

 秦景楓は決して小さくはないが、体格がいいとも言えない肉体だ。そんな彼を、こんなにも簡単に腕の中に収め、閉じ込める事が出来てしまった。その事実に湧き立ったのは、何とも言えない高揚感に似たナニか。簫司羽はこの感情の名を知らない。

「ははっ……」

 思わず口から漏れ出る笑い。彼自身、何故かは理解していない。したいと思う程の興味もない。ただ一つ言えるのは、秦景楓は、己の腕の中に閉じ込める事の出来るという事実があると言う事だ。


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