大体一時間程だっただろう。二度寝から起きた秦景楓は、ハッと目を開けて体を起こそうとした。しかし、相変わらず簫司羽の腕力に負け、寝台に戻される。
だが、今の一連の流れで確信した。此奴、普通に起きている。起きようとした途端にグイッと引いて来たのだ、確信犯だろう。
「ねーぇ、簫司羽ぅ。そろそろ起きようよ、もう八時だよー? 君、そんな朝にダラける人間じゃなかったじゃん。どうしたの今日?」
問いかけると、簫司羽から一笑が漏れ出た。何がそんなに面白いんだと不服げに頬を膨らませた秦景楓に、彼は言う。
「何、他意はないちょっとした悪戯だ」
腕を放すと、彼は起き上がり秦景楓をまたいで寝台から降りる。
「秦景楓、飯」
「もー冷めちゃってるよっ! あっため直すから待っててね、簫司羽が悪いんだからね! 全くっ」
正しくプンスコといった効果音が聞こえてきそうだ。秦景楓は腕を組んで一つ息を突くと、すっかり冷めたであろう朝ご飯を温め直す為に客間に行く。
そんな彼の背を見届ける簫司羽は愉快そうに口角を上げ、笑っていた。
幸い、スープや揚げ物の類が無かったのが良かっただろう。揚げ物は冷めてからレンチンしてもあまり美味しくないのだ。揚げたての美味を取り戻せない。
温め直してから、客間で待っていた簫司羽と朝ご飯を食べた。
「僕今日、亭の作業進めるから。昼間好きにしててね。手伝ってくれるのならそれはそれでありがたいけど」
「まぁ、気が向いたら手伝ってやる」
「うん、ありがとね司雲」
食べ終わった秦景楓は、ごちそうさまと手を合わせて食器をまとめる。既に簫司羽の方は完食していたため、二人分の食器を台所まで運んで、ちゃちゃっと洗っておいた。
養鶏に農業に朝食、簫司羽の我儘のせいでいつもより時間は食ったが、これで朝のノルマは達成だ。秦景楓は、木材を集め、亭の制作準備に取り掛かる。
「よし、張り切って行こー!」
えいえいおーと拳を上げる秦景楓の大きな独り言を、簫司羽はいつものように回廊に腰を掛けて観察していた。このような視線ももう慣れたモノだから、気にせず作業に取り掛かったのだ。
そうして、昼の数時間をかけて基礎の骨組みまで出来上がった。相変わらずの手際は順調に木材を加工し、空が橙色になった頃には既にここまでやったのだ。これに関しては流石と言えるだろう。袖で汗を拭う彼は、ほんのりと達成感を滲ませながらふうと息を吐く。
「司雲、ずっとそこで見てたね。そんなに面白い?」
「あぁ、面白い」
「そうなんだ。まぁ、それなら良いんだけど」
気持ちが分からなくもないが。
秦景楓はぱっぱっと手と手で砂埃を払い、井戸まで歩く。なぜか簫司羽もついてきていたが、気にする事はないだろう。
そう思ったが、ワンチャン良くない事に気が付く。
「あ、一応言っておくけど、僕今から水浴びるから、脱ぐよ?」
今日は大型の物を作ったから、ここは一つ冷たい井戸水を浴びて身を引き締めようと思っているのだ。汗をかいているというのもそうだが、体がそれを求めているような気がする。
流石に、下までは脱がないが。無駄な洗い物を増やしたくないから上は脱ぐ。念の為注意をしておいてから、脱いだ服を籠にいれ、井戸から少し離れた所に置く。そうして、井戸から水を汲んだら、そのまま頭から被さった。
「ふぅ、これこれぇ。やっぱ大型作業後は水浴びだよね」
仕事の後のビールと同じようなものだ。
タオルで水気を取ろうと回廊の方に体を向けると、簫司羽が今の水浴びの瞬間を普通に見ていた事に気が付く。
(まぁ、同じ男だし別にいいけど。意外だな、簫司羽ってそういうの気にするタイプな気がしてたんだけど)
そんな事を思いながらも、タオルで髪の毛と体を拭き、水気が無くなってから先程と同じ服を着直す。
「夕飯なにがいい? 特にリクエストないなら、あるモノでちゃちゃっと作っちゃうけど」
簫司羽が何も思っていなさそうだったから、彼も気にせずに問いかける。まぁ、答えは大体「なんでもいい」なのだが。それも致し方が無いだろう、確かになんでもいいという答えは困るが、自分だって普段の生活で毎日三食何食べたいかなんて思いつかないのだ。
リクエストがあるにせよないにせよ、いつもなら即答なのだが、今日は考えてくれているのか答えは直ぐには返って来なかった。待っていると、簫司羽は思ってもいなかった事で口を開く。
「お前は、そんな何気なく人に肌を見せられるのか」
「ぅえ?」
見れば、簫司羽は訝し気そうに……いや、それとはまた少し違うニュアンスを持っているような表情で言った。
断りを入れた時に何も言わなかったから気にしないんだろうと思ったのだが、どうやら違ったのかもしれない。とぼけたような間抜けな一音を漏らすと、簫司羽は「分からないならいい」と目を逸らして屋敷の中に引き込んでいく。そんな様子の彼が、どうしてか少し怒っているような気がした。
「そういえば、返事待たないで脱いじゃったな……」
訊くだけ訊いて、返事が来る前に水浴びをしてしまったのだ。本当は嫌でただ即答できなかっただけかもしれないのに、きっとそれで不機嫌なのだろう。秦景楓はなんだか申し訳ない気持ちになりつつ、今夜は簫司羽の好きそうなのを作ってやろうと決めた。
だから彼は、その日の晩はデザートに杏仁豆腐~見るからにお高い桃を添えて~を作った。ご機嫌取りと言えば響きは悪いが、不愉快にさせた可能性がある詫びだ。
そうして今日も一日を終え、後は寝るまでの時間をゆっくりするだけとなった、そんな時だった。
「簫司羽様」
闇に紛れるような黒装束の男が、音もなく現れたのだ。簫司羽の寝室で、二人で駄弁っていた時だった。
「え、え? どこから出たの、今……」
なんなく室内に入り込んで来た男に、困惑していたのは秦景楓だけだった。
「なんだ、騒々しい。早く要件を言え」
「はい。簫司羽様、お耳を」
どうやら、他人に聞かせるような内容ではないようだ。秦景楓は、意味はないと分かっていながらも興味ありませんからお好きにどうぞーとアピールするように体を背ける。しかし、皇帝様への秘密のご報告、しかも緊急性があると見えるこの要件、気にならない訳がないだろう。こっそり耳を澄ませて声を聞き取ろうとしてみる。
「――が、和念様を――で、政権を――」
しっかりは聞き取れず、いくつかの単語が聞こえただけだった。しかし、「政権」というワードが靄は答えだ。
(あーこれ、政権争いのそういうのだ。僕が一切首突っ込めないやつね。大変だなぁ、皇帝様も)
湧いた思考はどこまでも他人事で、同情こそしていたがそれ以上の何かは抱けなかった。
そもそも、何か意見を出来る立場ではないし。ここは空気を読んで自室に戻ろう、そう思って立ち上がり、そっと部屋から出ようとした時だ。
「お待ちください、お妃様」