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【第十五章】夜伽の意味

 所謂、朝チュンだ。否、朝チュンというより朝コケコッコーと言うのが正しいだろうか。

 秦景楓は鶏共の「飯を寄越せー! 水を変えろー! 寝床の掃除をしろー!」と言う意味合いであろう鳴き声に叩き起こされ、目をこする。

「あぁ、朝か……」

 寝起きのほんのり擦れた声を漏らし、寝返りを打つ。

 ここは、簫司羽の部屋だ。しかし部屋の主はもう仕事へと戻ったのだろう、寝返りを打った先に人の姿はなく、微かに残った温もりだけがシーツに存在の余韻を残していた。

(あれ。僕、どうして簫司羽の部屋で寝たんだっけ……)

 まだ寝ぼけたような頭で必死に思いだそうとしてみた。

(あ、思いだした……)

 たった数時間前の事だから、案外すんなりと記憶は蘇った。これは、昨晩の事。明日帰らなければならないと告げた簫司羽を、次遊びに来たときには好物を作って待っていると励ました後の事だ。

「杏仁豆腐と、あと他に食べたい物ない? 用意して待っているからね。またいつでも遊びに来てね」

「辛すぎたり苦すぎなければ何でもいい」

 お喋りもそこそこに、もう部屋に戻って寝ようかなと思っていた頃合いだった。

「秦景楓。夜伽の相手をしろ」

 簫司羽が、突拍子もなくそう告げた。

 この時、フリーズした秦景楓の脳内辞書がパラパラとめくられていた。


夜伽―[ヨトギ]

壱・病人を夜通しで看病する事。

弐・寝ないで一晩中故人に付き添う事。お通夜。

参・お子様には到底お話出来ないオトナのアレ。


 この計三つがヨトギという発音に該当する言葉だ。さて、簫司羽の口から出されたヨトギは、このうちのどれだろうか。

 秦景楓の脳内には、自分の、と言うより「秦景楓」の持つ肩書の文字まではっきりと浮かび、同時に簫司羽の肩書と並べた際にどう称される関係になるかまで把握出来たが、とりあえず一旦見ない事にしようと流した。

「え、あ、あー。いや、司雲はもう病人でもないし、死んでもないから、夜伽はできなんじゃないかなー? アハハ……」

 如何にも作りました感のある笑みを浮かべ、立ち去ろうとする秦景楓。しかしそれを易々見逃してくれるような人間なら、若くして皇帝様を熟す事は出来ないだろう。何せ皇帝様には、一種の強情さが必須なのだから。

 立ち上がるその前に手首を掴まれ、秦景楓はなんとなくこの先の展開を察しながらも、ぎこちなく振り返る。

「まさか、お前の立場を忘れたと言うか?」

 ジッと美しい瞳に見据えられながらそう言われてしまえば、効果的な言葉なんて思いつかなかった。

 今の言葉がもう答えだ。夜伽の意味はその参だ。

 男妃は性別が男なだけで、紛れもない「妃」だ。そして誰の妃かと言えば、他でもないこの美男、簫司羽こと皇帝様の妃となる。簫司羽が後宮に触れて無さすぎるだけで、そういう事をしても何ら可笑しくないし、なんであればしない方が可笑しいという節まであるのだ。

 しかし、まさか簫司羽がそんな申し出をしてくるとは思わないだろう。これっぽっちも思っていなかったが、今お誘いを受けた事には変わりない。こういった場合、君たちは妃の立場に拒否権はあると思うだろうか? 恐らく、無い。この状況で「イヤだ!」と言える者はかなりの猛者だ、誇っていいだろう。

「えっとぉ……あ、あの、その……初めてだから、や、優しくしてくれたら、嬉しいです……」

 だから秦景楓は、極力彼の顔を見ないようにしながら、そっとそう答えたのだ。


 それから数時間後、一夜を明かした秦景楓がその事を思いだし、羞恥を主成分とした何かしらの感情に悶えて枕に顔を埋めた。

 後片付けはしてくれたようで、シーツも体も綺麗な状態で、服もしっかりと着ている。しかし、体の視界に映る範囲のあちこちに赤っぽい色が付いていたが、なんとなく見なかったフリをした。

「え、待って。ポイントどうなってる……? 誘われたって事は、そういう事じゃん? 簫司羽みたいな人間が、好いてない人夜伽に誘う訳ないじゃん?」

 簫司羽はもういないから、ぶつくさと独り言を口にしながら、遠慮なしに履歴を開いた。

 履歴の中にちらほら見える進捗報酬の文字と、平均二桁ほどの数字。そうして一番下に表示された合計値は――

「五千、百……!」

 五千百十七ポイントだ。

 それを目にした時、秦景楓は飛び起きてスペースに入り込む。いつもなら言葉の発さない「スペース」に話しかける所だが、今日の要件は違う。

「システム! ヘイっ、システム!」

 咄嗟に放った大きな声は若干上ずっていた。そんな呼び掛けに答えて、いつものお決まりの声がなり始める。

『システム作動――ご無沙汰しております、秦景楓。ご用件をお伺いいたします』

 相変わらずの業務的な態度だ。しかし、そんなのはどうだっていい。

「五千ポイント溜まったんだけど! これ今帰らないとダメなやつ!?」

 混乱か何か、秦景楓は履歴を出して声の聞こえる方向に見せた。

『質問を検知――回答、いいえ。五千ポイントを溜める事により、貴方は「帰る」という選択肢を得ます。ですので、強制ではありません』

「そ、そっか。そうなんだ……」

 無機質な答えに、ごく自然とホッとしている自分がいた事に気が付き、秦景楓の困惑は自分自身に向いた。しかし、それも突かぬ間の事。

『ですが、この場合の五千ポイントと言うのは、進捗報酬のみのポイントで計算されます』

 何故なら、その矢先にシステムがそんな事を平然と告げたからだ。

 このシステム、今なんと言った。五千ポイントは進捗報酬のみで計算する、と言ったか?

 脳に聞こえた言葉が処理された時、色々とあった感情は一気に一つになった。

「は? ちょっと待って、聞いてないんだけど。それじゃあ、他で稼いだ分は任務には関係ないって事?」

 最初の一音から既に、その声には怒りが含まれていた。

『はい、その通りです。貴方がポイントを稼ぐのに使用されるシステムは飽く迄も貴方の生活費等を賄うためのシステムであり、任務に直接の関係はありません』

 言った。此奴、今はっきりと言った。しかし、そんな説明はされていない。秦景楓はただ、「五千ポイントを集めろ」としか言われてないのだ。

 秦景楓は、システムの穴を突こうと農業をしたし、雑草を編んだり木を彫ったりしてポイントを稼いだ。全てそう、穴を突くためにやろうと決心した事なのだ。まぁこれらは趣味でもあるし、結果が供なかったとしても後悔はしない。それに、元より穴を突こうとするその行動がダメな事なのだから文句は強く言えないかもしれない。だが、何であろうと、それはそれこれはこれだ。

「はぁ……? 待って、そりゃないでしょ。説明されてないんだけど。ちょっと詐欺に片足突っこんでない?」

 不機嫌さを帯びた声は、隠さずに彼がイラっとした事を主張していた。

『説明が不足していたようですね、申し訳ございません』

「まぁ、別に良いけどさぁ。僕もまだ帰るつもりなかったし」

『左様でございますか。それは良かったです』

「だけどそれとこれは別問題だよ。システム、重要な事の後出しはクライアントとしてはかなり嫌われるから、絶対他の人にはやるなよ。まぁ、機械だから重要な事が何かとかも分からないのかもしれないけどさ。そこはさ、天帝が上手い事調整してよねー。まぁ、君のご主人が天帝かは知らないけどさ」

 彼が若干不貞腐れているように見えるのは致し方がないだろう。確かに文脈が省略されていただけで嘘は言われていないが、そんなのまるで詐欺師のような手法だし、絶対に納得がいかない。

 文句は程々にしておいて、じゃあ進捗報酬のみで換算したポイントは計何ポイントになっているかが重要になってくる。

「それじゃあ、もしかして進捗報酬だけの合計値とか見れるの?」

『はい。履歴画面をスワイプしてみてください。それにより切り替えが可能です』

 システムの言う通りに指を動かせば、履歴は進捗報酬だけの表示となり、合計値もそれらのみで計算されたものが表示された。

 こんな機能があったなんて初めて知った。説明不足を恨みながらも、

「あ、それでも五百ポイントは溜まっているのねぇ……ふーん……」

 ずらりと並ぶ進捗報酬の文字は、それだけになると中々に圧巻だ。正に塵も積もれば山となる、小さな数字の積み重ねで五百までは行っていた。

『ところで、昨晩はお楽しみだったようですが、体感進捗はいかがでしょうか』

「まぁ、それなりにいい線言ってるんじゃない? というか、止めろその昨晩はお楽しみでしたねとか。旅館の女将か。どうして分かるんだよ」

 本当に優しくしてくれたのか、こっちが寝ている最中に清めて貰っていたおかげで体はそんなに痛くない。態度にも出ていなかったはずだが。特に気になった訳ではないが、何となく訊いて見る。

 システムは、まるで人間のような間を開けた。

『後で、ご自身のお体を見ればよいと思います。では、引き続きよろしくお願いいたします』

「あっ、逃げた。体……?」

 あんな人間臭い反応をするシステムだったか。そんな疑問はあれど、それよりなにより、言われた内容が気になる。

(あぁ、あれ見えちゃってたか? よく見ないと分からないくらいだったはずなんだけど。どっちにしろ、お風呂入ろうと思っていたし……ついでに確認してみるか)

(っと、そのまえに鶏共の世話はしておかないとな)

 この後する事を考えながら、スペースから退出する。その瞬間けたたましい鶏共の催促が耳を劈くモノだ。

「はいはい! 今行くからちょっと待ってろー!」

 秦景楓は先にお風呂を沸かすよう給湯器のスイッチをいれてから、寝巻のまま鶏舎に向かう。掃除や餌をやり、畑の方もやる事を済ませてしまった。そして日課を済ませた後、少し汚れたかというのを名分に、スッキリする為にお風呂に向かった。

 その頃にはお風呂も沸いていた、さてあったかいお湯で朝風呂と行こう。ついでに、己の体も確認しておいて。

「……って、やっばぁコレ」

 服を脱いだ状態で姿見に視線を向けると、何という事だろうか。体の至る所に色々な痕が、思っていた以上につけられていた。

 確かに、朝起きた時に手首とかになんとなく赤いの出来ているなとは思っていた。他人が見ても多分気付かれない程度のヤツだ。しかし実際脱いでみたらどうだ、服で見えない所は特に念入りに刻まれている赤い痕。これは俗に言う、キスマというヤツだろうか。

 と言うか、もろ噛み痕もつけられている。道理でバレる訳だ。そりゃ、お楽しみだったと分かるだろう。基本的にはしっかりと着込めば見えない位置に付けられているが、ちょっとはだけると直ぐに見える。

「全く記憶ないんだが、いつの間に……」

 鎖骨の辺りにある痕をなぞり、どうしたモノかと考える。だが考えた所で痕を消す方法はないし、とりあえずしっかりと服を着れば問題はないだろう。

 それよりもだ。己の体を見た秦景楓の頭にふと過った、あの時の夢の記憶。ドラマ本編はまさか監禁エンドとか言う衝撃的事実が、どうしてもこの赤い痕と結びついてしまった。

(と言うか。待てよ。これ独占欲か……? ヤバくね。監禁エンドに向かってる訳じゃないよな……だけど、顧軒は登場してないし、まだ大丈夫だとは思うけど……)

 少々心配になるが、あれは秦景楓が顧軒を選んだ事による暴走だ。恐らく今回のこれは、しばらく離れるが故のマーキングだ。悪い虫が付かないようにと言う、まぁよくあるヤツ。

(まぁ、悪い虫もなにも冷宮だからないけど……そもそもマーキングするって発想に至る時点でちょっと危ない橋だけどねぇ! ままま、まだ可愛らしい範疇だよな、この程度なら)

 この赤い痕たちをこの程度と言っていいのかは不明だが、とりあえずそう言う事にしておこう。秦景楓は風呂に入り、昨晩割と酷使した体を温める。

(それにしても、入れようと思えば、入るモンなんだなぁ……)

 なんとなく昨夜の事を思いだしながら、肩まで浸かった湯をすくう。

 穴というのは案外広がった。非現実的な感覚だったが、これはドラマ補正だろうか?

 何を言っているのか分からないのであれば、出来ればそのままで生きた方が良い。決して親御さんに聞いてはいけない。

 生生しい事を考えている自覚はありながらも、思考を逸らす事は出来なかった。

(はぁ……僕、まだ女の子ともシたことなかったのに。まぁ、そりゃ、恋愛対象は男ですわ。とは言えじゃないか)

 あまり誇示する事でもないし、日常的に恋愛を意識している訳ではない為、自分でも忘れがちなのだが。秦景楓の恋愛対象は間違いなく男だった。とは言え、全国の女子が必ずしも男相手に恋愛感情を抱く訳ではないのと同じように、秦景楓にとって九点九割の知人男性は友達止まりだ。だから、滅多に意識はしない。

 しかし、それは同時に、全国の女子が男相手に恋愛感情を抱く可能性が一パーセントでもあるのと同じだ。秦景楓には、同じ男性に数パーセントの確率でそういった心が湧いて出てくる。

(簫司羽、早くまた来ないかなぁ……)

 湯船に深く沈み、ブクブクと泡を立てる。無意識的に浮かべられたその思考が、もう答えだろう。

 秦景楓は、その数パーセントを見事引き当てた。と言うより、簫司羽が引き上げたと言うべきだろうか。

 彼は気付いていなかった。その時、ポイント履歴に「進捗報酬 +10」という文字が増えた事を。それは自分が増やした分であるという事を、知る由もなかった。

 任務達成の為の五千ポイントに換算されるのは進捗報酬だけとか言う事実が言葉に隠されていたのと同じように、誰も進捗報酬は簫司羽の好感度変動にのみ発生するとは言っていない。そうだろう?



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