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【第十五章】望まぬ政権争い

 権力についての争いが起こるのは、この国、星月国だけの問題ではないだろう。どんな世界のどんな国、いつの時代にもそう言った争い事は付いて回る。何故なら、人間には業があるからだ。

 では、本人が争いを望んでいなければ、争いは起こらないか?

 答えは否だ。何故なら、本人同士が決して望んでいなくとも、周りがわざわざ焚き付ける場合があるからだ。

 それは、己が欲求の為の愚行であろう。

「和念。お前の兄が病気で席を外しているのは知っておろう? それが回復する気配がまるでなくてな。このままでは国務も滞ろう。そこでだ、兄が帰ってくる間、お前が代わりを務めるというのはどうだろうか?」

 簫凌は、酌み交わした茶を揺らし、正面に座った息子に問いかけた。その眼はゆったりと細められ、持ち上げられた口角はどこか意味ありげに思えてしまう。

 彼の思惑はよく分かった。現皇帝が不在の今、彼の一味が付け入るには最適な隙なのだ。

 手紙が来た時点で頭の片隅には過っていた。きっと、母は己を使う為に皇都に呼び戻そうとしているのだと。しかし、何より頑丈は兄が公務を休まねばならない程の容体だという事に対しての心配が勝ってしまった。何が出来る訳でもないのに。まんまと思惑通りに動いてしまったと気付いた時には、既に遅い。

 簫和念は固唾を飲み、「ですがっ」と反論を言いかける。

「何、心配する必要はない。書類仕事など誰が捌けど同じだ」

 それより先に、言葉を遮るように簫凌は笑う。

 分かっていた。拒否権など、最初からないのだ。

「で、では……李公公殿の許可が頂ければ、謹んでお受けいたします」

 頭を下げた簫和念の返答は、李公公を最後の砦としていた。

 そんな事があったのがつい一昨日の事。その日、王宮の応接間に待つ李公公は、時間に合わせて用意した茶を注ぎ、頃合いを見て出すよう女中に言いつけた。

(ついに行動に出たか……流石に休暇が長すぎた、本当の病気だとしても、代理を立てなければいけない時期だろう。全く。あの子のお戯れは度が過ぎる。ご自身の立場は分かっているだろうに……)

 ため息を突けど、起こってしまった事に変わりはない。もう直ぐ約束の時間だ。部屋の外に出て来客を待った。若く彩度の高い紫色の髪は分かりやすく、その隣の艶やかな黒髪を持つ見知った女が三名の下女を引き連れてこちらに歩み寄る。

 今更、この程度の事で心臓が跳ねることは無い。李公公は心身を平静に保ち、彼等に頭を下げる。

「苑香太后、簫皇弟にご挨拶申し上げます。ようこそお越しいただきました。どうぞ、中に御入りください。茶の準備をしております」

 敬礼と共に申し上げる。それに小さな一笑を口元に見せた苑香は、下女に「下がれ」と手を払う。

「では。遠慮なくお邪魔するかの」

 苑香は促されるのを待つまでもなく、二つ並んだ席の奥に腰を掛けた。

「簫皇弟も、どうぞお掛けください」

「あ、あぁ。ありがとう。じゃあ、失礼するよ」

 簫和念は相手にそう言われてから、おずおずと落ち着かなさそうに母の隣に座る。

「あまり長く居座るつもりはない、妾もそれなりに忙しいのでな。早速本題に入ろう」

 男二人を待つ事もせず、苑香は話を先に進めた。

「司羽の事だが、随分と長い間療養しているようではあるまいか。毒を飲まされようとピンピンしているようなあの男がこれ程休んでも筆を握る事も出来ぬとは……事は余程重大であろう。何、誰だって体が弱る時はある。しかし、現実問題それで公務に支障をきたしているはずだ。『皇帝』のみ捌く権限のある書類も山ほどあろう。これでは国政に問題が生ずる、李公公もそれは分かっているであろう?」

「故に、妾は一つ提案をしにきたのだ。代理として、和念を皇帝の座に座らせるのはどうであろうか」

 李公公にとって、これ以上の「で、しょうね」感はなかっただろう。想定通りが過ぎるのだ。

 事実、皇帝という肩書のあるモノしか捌けない書類は多い。お陰で公務は滞っているし、国政に弊害が出るという事は想像したくなくとも直ぐに現実となるだろう。

 だが、想定通りだったからこそ、材料は用意している。

「皇帝である簫司羽様でなければならないのには理由があります。簫司羽様は皇帝という肩書だけでその権限を持っている訳ではありません。皇帝というのは、単なる役職の一種ではありません。天帝の御前で誓い、認められた者であるから意味があるのです。その事については、太后様もご存じでしょう」

「加えて、皇帝のみ処理を許された書類等はほとんどの場合簫司羽様が判断を下さねば意味をなさず、それ故にそのような規定が定められております。代理を立てた所で、それはその場しのぎでしかないでしょう」

 李公公の言った事は、極めて単純だ。

 星月国の皇帝は、天帝を前に三度の誓いを立てる。まず一度目は、生誕の儀式。これは正確に言えば、誓いを立てるのは本人ではなくその父、要に当時の皇帝だ。まだ口の聞けぬ赤子に変わり、一度目の誓いを立てる。

 二度目は七を数えた時、ここまで無事生き延び、成長出来た事を感謝すると同時に、また誓いを立てる。今度は自らの口で、天帝を前にしっかりと宣言してもらうのだ。

 三度目はその者が大人となり、遂に皇帝の座を引き継ぐとなった時。過去二回の言葉を心に刻み、いよいよ民草の前で、天帝の加護を正式に得た「皇帝」である事を誓うのだ。

 これら一連の流れによって、星月の皇帝は成り立つ。故に、「皇帝の代理」なる者は存在出来ないのだ。

 しかし、これは李公公のように格式を重んじた場合の話だ。

「そうは言うが、事実仕事を捌かぬ事にはどうにもならぬであろう。伝統だの格式だのと言って、事を先延ばしにすれば状況は悪化するまでであるぞ。誓いがあろうとなかろうと変わらぬ。今必要なのは、溜まった書類を捌き先に進める人材だ」

「不足はないであろう。和念を見てみよ、この鮮やかな紫の髪。天帝もこやつがしかと皇族の血だと認めている証拠だ。資格は十分にある」

 苑香に譲る気配はなかった。彼女の意見も完全に間違いとは言えない、実際、誓いがどうだ天帝がどうのの理由は、王宮や民草の中にもただの言い訳と思う者はいるだろう。もう誰でもいいからやればいいのに、そう思う者がいるのは百も承知だ。

 しかし、一度でも向こうの手に渡らせる訳には行かなかった。

「太后。貴女のご心配はごもっともですが、代理を立てれば事態がよくなるというモノではありません。現在、星月の国は簫皇帝のご意思によって国政を立てております。和念殿に賢明な王の資質があるのは私も認めております。ですが、今『代理』として皇帝の座に座られれば、国政の一貫性が揺らぎ、内部の混乱は避けられないでしょう」

「『誓い』はただの上っ面だけの言葉ではありません。民草であればその重要性が分からぬのも無理はありませんが、貴女は王宮の人間だ。姿を見せぬだけで天帝はそこにおられます。あまり、ご軽視なされぬよう」

 逸らす事無く真っ直ぐと彼女を見据えた目は、平静としながら敵を牽制しているような鋭さがあった。だが、彼女の揺らいでいる気配はなく、依然と飄々とした笑みを失う事はなかった。

 空気に静電気が含まれているかのようだ。張り詰めたその中で、簫和念は何を言う事も出来ず、開きかけた口を悩ませた。

(マズい。母上は全く動じていない……このままだと、李公公殿が言い負かされる……っ)

 李公公の言う事も何も間違いではない。王宮の人間として、皇帝の御付として当然の主張だ。しかし、民草がそれに納得いくかは話が別だ。きっと彼女は、民を引き合いに出して反論するだろう。

 そんな時だった。緊迫とした部屋に、静かに戸が開かれる音が響いた。

「全く、その通りだな。王宮の人間が天帝を軽視しようなど、浅はかにも程がありましょう。太后」

 しばらくぶりに耳にした、最後に聞いた時よりも大分低さを持った兄の声が、軽蔑交りの口調でそう告げた。

 討論に集中していて誰も気づいていなかった。声を辿れば、いつの間にか正面の扉を開けていた、簫司羽の――現皇帝の姿だ。

「兄上……!」

 不在のはずの姿に目を丸くして、簫和念は軽く立ち上がりそうになってしまう。

「長らく不在で申し訳ない。医官が大事を取れとうるさくてね、仕事したくても出来ずにいたのだ」

 彼は空いた席に腰を下ろし、青ざめた苑香を見据える。

「太后。心配には及びません、書類でしたら溜まっている分は今朝方捌きました。和念の手を煩わせる必要はありません」

 笑みは見せず、淡々と事実だけを告げた。その言葉はまるで「お前の介入は不要だ」と告げているかのようで、そこには確かな圧があった。

 苑香は表情を歪ませながら言葉を詰まらせた。流石の彼女も、ピンピンとした様子で現れた皇帝ご本人を前にして、代理を立てる案を押し通すという事は出来なかったようだ。

 微かに手先を震わせる彼女を無視して、簫司羽は弟である簫和念に顔を向ける。

「和念、見舞いの品受け取ったぞ。感謝しよう。中々に美味かったぞ」

 ニコリとした笑みを浮かべた訳ではなかったが、その無に近しい表情は先程と比べれば柔らかい。

「よ、よかったです……! 私の滞在先の宵越地域の、隠れた特産品なんです。採れる数が少ないので、地域内だけで消費しきってしまう貴重な品なんですよ」

 喜んでもらえたと、緊張気味に強張っていた表情を明るくさせる。その仕草には、まだ残った彼の子どもらしさを感じられた。

「ほう、宵越の方か。あそこは開発が進んでいないと聞くが、実際どうだ?」

「確かに、他の地域と比べると慎ましやかな風土です。ですが、そう言った所に宵越地域の魅力があると思います。それでこそ、先程の桃も、落ち着きある宵越の土地だからこそ育った一品です」

「なるほど。であれば、先の開発の案は却下して正解であったな」

 和やかに聞こえる会話の中で、簫司羽は見事話の主導権を握った。

「和念。まだ滞在するのでれば、俺の補佐をしろ。急ぎの書類は片付けたが、如何せん休みが長くてな。まだ残っている、手伝いが欲しい」

 そうして彼は、自身の目的である本題を切り出した。

「わ、私でよろしければ。いくらでもお手伝いしますよ!」

「感謝しよう。では、早速手伝ってもらいたい。執務室に来い」

「はい!」

 兄の役に立てて嬉しいのか、簫和念はこれ以上もないと言った笑みを見せて頷いた。

「太后。貴女は早い所ご自身の宮に戻るといいでしょう。どうやら、お疲れのようですから」

 立ち上がった簫司羽は、彼女を横目に単調に告げた。

「李公公。お前も来い」

「御意。太后、失礼します」

 公的に見ても、太后より皇帝の言葉の方が言葉の力が強い。李公公や、簫和念までもが簫司羽の言葉に従い席を後にするのも当然の流れだろう。仮に、苑香の味方だったとしてもだ。

 苑香は、美しい顔を悔しさに歪ませ拳を握った。

 簫司羽がこの会談に入り込めると言うのは、完全に計算外だったのだ。勝った気でいた勝負に敗れる、これ程悔しい事があろうか。

(可笑しい……確かに刺客は仕留めたと報告してきた。毒の刃に刺され、高い所から突き落とされても尚生き延びるのかあ奴は……っ)

 膝の上に拳を握ろうとも、振るう相手はいない。ここに居座る意味ももうないだろう。

 彼女は勢いを半場に立ち上がり、一人で自身の宮に戻った。


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