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【第十五章】休日後の仕事程面倒な物はない

 事を巻いた簫司羽は久しぶりの執務室の椅子に腰を下ろし、吐息を漏らす。

 質のいい椅子は長く座っても疲れないように設計されており、長時間座っているお陰で背もたれは彼の背中に丁度よく合わさるようになっている。

「李公公。茶を出せ。朝っぱらから書類捌いて疲れた」

「それは貴方が必要以上に休んでいるからですよ、簫司羽様」

「うるさい。黙って茶を出せ」

 愚痴に正論で返され、ほんのりと膨れる簫司羽。どこにいればいいか分からず落ち着くなく立ち尽くしている簫和念を目に、「適当に座れ」とだけ告げた。

「そう身構えなくていい。悪かったな、わざわざ遠くにいるお前を巻き込んで」

「皇都には、お前の好きな穏やかさはない」

 簫司羽は窓の外を見遣り、頬杖を突く。

 弟が和を重んじる人格の持ち主である事は知っているし、彼にも申し訳なく思う心は十二分にある。

「い、いえいえ! こちらこそ、母上がすみません……」

「何、彼奴が権力を欲しているのは昔からの事だ。今に始まったものじゃない」

 出された茶を一口飲み、息を吐く。

「さて……仕事をするぞ。はぁ、面倒だ」

 視界の端には、山積みにされた紙束たちだ。

 仕事の出来る御付は、急ぎと急ぎじゃないモノで分けてくれていた。そのお陰で直ぐにでも捌かないといけない書類は朝からぶっ通しで捌いたが、それでもこれだけ残っている。これだけの紙を積み上げてよく崩れないなと感心出来る程だ。

「簫司羽様、手を付けていないのにため息を突かないでください。この書類の山をご覧ください、まだまだ沢山残っております」

 李公公は、右手でその紙の塊を示す。その言葉には、「貴方が溜めたんですよ」と言いたげなちょっとした圧があったような気がしたが、無視をした。立場敵には簫司羽の方が上だから、問題ないだろう。

「ご覧したから溜息をついたんだろうが……急ぎを捌いてもこれだけ残るか。しかもくだらん法案ばかりだ。和念、見てみるか? 本当に、くだらないぞ」

 一枚をめくると、寄って来た簫和念にそれを見せてやる。

 簫和念はそれを覗き、何より困惑が先に沸いた。なぜならそこに書かれていた法案は、

「えっと、『身分によって道や通路を制限する』……?」

 これだからだ。

 宮廷内、国全体の公道、その他諸々。ありとあらゆる道に身分で通行制限を掛ける、と言った法案だ。勿論、身分が高ければ高い程通れる道は増え、逆に庶民は歩く道ですら制限される事になる。真っ直ぐ行けば数分で付く所に、わざわざ遠回りをしてうん十分かけて行かなければならなくなるのだ。

「五歳児が五秒で考えたモノとしか思えん。これをして誰に何の得がある? 制限の為の準備が面倒な割りに得る者が何もない。余計な争い事が増える事は考えずとも分かるだろう」

 言いながら、簫司羽は却下を示す印と皇帝としての署名を示し、却下書類をまとめた箱に突っ込む。ちなみに、承諾印をまとめる所には一枚も書類が入っていない。

「そうですね。なにも良い事は起こらないでしょうね……」

 思わず苦笑を浮かべる。何とはなしに却下書類をめくってみれば、「宮中で使用する衣装や装飾品などの色を月ごとに定める」と言ったのがあった。

 一体これは誰が何をどうしたくって提案したのだろうか。全く謎だ。

 こういった意味の分からないモノから、明らかに自分の利の為であろうモノまで、赤い却下印を押されている。

「ほら来たぞ。『それぞれの地域に対し、月に一度の王宮への貢物を義務付ける』だとよ。和念、これをどう見る?」

 ヒラヒラとそんな法案が書かれた紙を揺らし、問いかける。

「え、えっと。それはただ、民の首をしめるだけでは……? 皇都の外ですと、貧しい人々も多いですし。ただでさえ安くない税収により日々の食事すら我慢している者も沢山いるのですから、これでは民から反感を買うだけではないでしょうか……」

「あぁその通りだ。地方の発展の為と謳っているが、どうしてこれが地方の発展に繋がると思ったのか。これは民から搾取したいだけに過ぎないだろう」

 机に置き直すと、迷いなく却下の印を押し、流れのまま素早く署名する。

「な、くだらないだろ?」

「そ、そうですね。国政に関わらぬ私が、あまりこう言ってはいけないのでしょうけど……正直、あまり国の為を思っているとは思えません」

 訝しげに思うのも無理はないだろう。実際、身分によって道を分けようとも、貢物を義務化しようとも、国が良き方へ発展する未来は見えないだろう。王宮や皇族の権威と威厳を見せつけるのには持ってこいだろうが、比較的平安されている今、それは余計な事だ。

「そんな奴等ばっかだ。王宮は、面白くも何もない」

 愚痴のようにぼやきながら、却下の印を簫和念に手渡す。きょとんとそれを受け取った簫和念だったが、大体は察せるだろう。要に、書類に印鑑を押す係という事だ。

「署名は俺が直にと決まっている。書いたら渡すから、それで押せ。位置は大体でいい」

「分かりました」

 察した通りの内容だ。それなら自分でも大丈夫だろうと、簫和念はこくりと頷いて兄が署名した書類に文字が潰れたりぶれたりしないようにしっかりと却下を示すそれを押す。そして、書類は否と応に割れた箱に間違いないように入れておく。

 兄弟の共同作業という事だ。単純計算として二倍の効率だ。

 全く頓珍漢な書類ばかりで、このたった短時間目通しただけでも眩暈がしそうになる。見え隠れする法案者の本音で、まるで人の欲や業を文字で摂取しているかのようだ。

 小一時間ほど捌き続け、疲れた様子の簫和念。それを察した李公公が「一旦休憩に入りましょうか」と茶のお代りと茶菓子を差し出した。

「すみません。たった一時間目を通し続けただけでこれです。やはり、私には皇帝は向いていないのでしょうね……」

 そこにあるのはただ単に単純作業の継続によるものではなかった。

 疲労を顔に浮かべる弟に、簫司羽は頬杖をついて頷く。

「ま、だろうな」

 知っている、そういった口調だ。

 実際、簫司羽は大よその弟の人物像は知っている。種こそ違えど同じ腹から産まれた兄弟、幼い頃は一応同じ宮廷内で過ごした、そんな時期もあったのだ。

 簫和念は、正しく名前の通りの人間だろう。和を想う者であり、人の欲に気分を悪くする。宮廷で過ごしている彼は、人の醜い欲の感情にあてられ体調を崩す事も暫しあった。大人達はそれをただの「病弱」と捉えていたが。ただ単純に体が弱い訳ではない。彼の身には、負の感情が確かな毒として作用していたのだ。

 簫和念は皇帝には向いていない。皇帝という者は、天帝の加護の下に大人の業の中に入り、己はそれに呑まれぬようにしながら人の欲を統治しなければならない立場だ。ちょとした悪意で眩暈がしてしまうような心穏やかな少年にどうしてそれが出来ようか。

 彼に皇帝の座に就かせようとする大人は、彼を真に思ってそれを進めている訳ではない。全て、自分自身の欲の為だ。

 そうして、何度彼に言わせた事か。

「兄上。私は、貴方の座を奪うつもりも、取って代わりたいという気持ちもありません」

 まるで、だから殺さないでくれと言ったかのようなその言葉。彼にそれを言わせ続けたのは、他でもないその環境だろう。

 簫和念は、皇后の不貞の証として、いつ崩れるか分からない足場に立っている。確かにその種は皇族のモノだが、皇帝ではない。正式な皇帝の血を引いた兄の意によっては、一枚の紙の如く脆く破られる。

 だからこそ、彼は兄の機嫌だけは取り続けなければいけない。周りが勝手に刃を向けさせてしまう中で、己が生きる為には、こうしてわざとらしくとも敵意がない事を示す他ないのだ。

「あぁ、知っている」

 簫司羽は、幼少期からずっと言い続けた答えを返した。それ以外、なんと返せばいいかなんて知らなかったから。

 権力争いは、兄弟が願ってもいない代理戦争でしかなかった。

 前代皇后の不貞の印でありながら、種が正式なる皇帝の血筋であるが故に、簫和念は皇族に首の皮一枚繋がっている。紫色の髪がある限り、言わなければ種が違うとバレない。権力を我が物にしたい輩にとってはなんとも、利用しやすい存在だろう。

 だが、簫司羽は、弟はそう簡単には利用されないと踏んでいた。

 素直で、純粋で、正直な弟。だが、簫司羽の知る限り、世渡りは上手い。ただの平和主義ではなく、愛嬌だけの男ではない。彼は自分の危うい足元を崩れないように補完できる程のモノがあった。

 簫司羽が短く弟を紹介してくれと言われたら、簫司羽はそのように答えるだろう。加えるとしたら、言葉遣いと態度であたかも本当の事かのようにそれを騙れる程の口が旨い、しかし、言葉の隙を突かれると直ぐにボロを出すという事も。

 人は良いが、上に立つのには向いていない。強さはあるが、誰かが守らなければならないような危うさもある、そんな存在。やはり、秦景楓はなんとなく、そんな弟に似ていた。これは、皇帝の勘だ。

 何となく重くなってしまった空気。李公公にはこの空気を良くしようとする気遣いの良さはなく、簫司羽の傍らで立って控えているだけだ。

 そんな中、分かりやすく気まずく思っていそうな簫和念。膝の上で手をまごまごさせながら話題を考える。そうして、一つ思い当たる話が合ったようだ。顔を上げて、笑顔で話し出す。

「そ、そう言えば、もう直ぐお祭りですね」

「ん、あぁ。『迎秋祭』か。今朝それについての書類を真っ先に捌いたな」

 簫和念は今朝の事を思いだして苦い顔をしたが、本来はそのような反応をされる行事ではない。その事は、文字面を見れば大体分かるだろう。

 迎秋祭、それは星月国で行われる秋の祭りだ。

 その名の通り、秋の訪れを祝う祭りだ。秋の豊穣を願う儀式を執り行い、屋台なども出る為民にとっては待ち遠しい季節行事だろう。

 だが、それは「民にとっては」に限る。

「まぁ、俺にとっては無駄に着飾って座ってるだけの退屈な祭りだけどな」

 簫司羽は腕を組み、何か言いたげな横目を李公公に向けた。

「宴の席での演舞は天帝と貴方に奉納されています。大人しく座ってご観覧ください。古狸の演説でないだけマシでしょう」

 そう諭した彼は遠い目をしていた。

 歴史上、迎秋祭の儀式が李公公で言う「古狸の演説」であった時代はある。国の大臣やらお役職の者達が代わる代わるお言葉を述べるという、面白味の欠片もない祭りだ。面白くない話を欠伸を堪えながら数時間座りっぱなしで聞くと言う、それはもう大変つまらなかったのだ。その時代にも屋台は出ていて、民にとってはそれだけで楽しめる祭りだっただろうが。儀式がそんな内容である為、王宮内で楽しみにしている者など誰一人としていた記憶がない。

 それに比べて今はいい。皇都でも最高級の武芸が披露され、それを仕事という名分で鑑賞できるのだから。

 まぁ、それだけ聞くと儀式といった雰囲気はあまりないだろう。それもそのはず、儀式と称されているのは、正確に言えば最後に執り行われる、皇帝が天帝に祈祷を捧げる儀の事のみを指しているのだ。しかし、なんとなく皆が催し物も含めてそう呼んでいる。昔はそれに苦言を呈す者もいたが、最近はあまり見当たらない。

 李公公は遠くに感じる過去を思い返していた。「あの時と比べたらいい時代になったのに、この我儘坊ちゃんは……」と悪態を尽きたい所だが、残念ながらそれは駄目だ。

 納得いっていなさそうな簫司羽の代わりに、簫和念が話に乗ってくれた。

「先代の先代まではその形式だったらしいですね。あまり宮廷内の評判は良くなったと聞いた事があります」

「はい、確かにそうでした。先代が皇帝となった最初の迎秋祭の後、彼が『つまらないから』と言った理由で変えたモノが、今の迎秋祭です」

「当時と比べれば皇帝にとってもいい祭りです。ですので、文句を言わずにご参加ください、簫司羽様。貴方の席は他の役人と比べて腰が痛くならないような椅子なのですから」

 ぐるりと言葉の矛先を簫司羽に向ける。嫌だから参加しないは認められない身分だ、納得いかなくとも頷いてもらわなければならなかった。

「あーはいはい、分かってるよ」

 もういいからと言いたげに手をひょいひょいと払う。確かに、芸事を披露されている時点で、老人のお言葉より全然マシだ。

「まぁ、お前は玲玲と屋台でも見てくると良い。髪を隠せば皇族だとはバレるまい」

 適当に話を終わらせようという魂胆が丸見えだった。もうこの話は止めだと言わんばかりにひょいと手を払う。

 しかし、それに反して李公公が簫和念に提案する。

「儀式に参加するのも可能ですよ。簫司羽様は好みませんが、剣舞や星月国有数の楽団による演奏等、多種多様な芸事が披露され、大変手の込んだ式となっております。簫和念様がご希望でしたら、皇帝席のお隣に椅子をご用意いたします」

 意に反する意見を弟に提案され、簫司羽は若干眉を潜めた。しかし、確かに、簫和念はあぁいうのが好きだろうと思い直す。

「好きにしろ」

 簫司羽は茶を一口飲んで、単調に告げた。

 迎秋祭まで、残り三週間程。皇帝は予算等の諸々の申請や関連する書類をただ捌くだけだが、催す側はせっせこと準備をしている事だろう。

(秦景楓は、あぁ言うのを好むのだろうか……)

 机に頬杖をついて窓の外を見た。外には寒くなって来た風が吹いていたが、室内にいれば冷たさを感じる事はない。

(どうせ祭りを催すのであれば、彼奴を引き連れてみたいものだ。きっと、どの屋台に対しても子どものようにはしゃぐだろう)

 叶わない事を考えながら口を瞑んで、枝に留まる小鳥を見た。

「簫司羽様。そろそろお仕事にお戻りください。まだ仕事は残っていますよ」

 ぼうっとしている彼の視界を遮るように、李公公が顔を見せた。手で示された先にはまだまだ積まれている書類達。今日の夜までにやらないといけないのがこれら。加えて、もう一山急ぎではないのがある。

「あーはいはい。分かってる分かってる。和念、続けるぞ」

「はい。頑張りましょうか、兄上」


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