驚く事に、あれから捕まる事は愚か目を付けれられている気配もなく、一般民衆と共に難なく王宮から出る事が出来た。
「さっきは秦景楓さんが急に舞台にあがられるから、びっくりしちゃいましたよ」
「あはは、ごめんね。なんか巻き込まれちゃった」
笑いながら話す素連に、秦景楓は微苦笑を浮かべる。
「あ、そうだ。さっき、顧軒と会う約束をしたんだ。この辺りの脇道がその場所だと思うけど……」
先程スリを捕まえた場所というと、この場所だろう。つい数時間前、顧軒はこの屋根の上から飛び降りて来た。
「よっしょっと。よっ。来たって事は、マジで秦景楓なんだな」
そう、このように。
まるで見ていたかのようなタイミングのご登場に、秦景楓は目を丸くした。
「ぅおっ、随分と早いね」
「出番終わったら速攻で抜け出してたんだ。あんなん見ててもつまらないからな、屋台を楽しんでたぞ」
軽い笑みを浮かべながら、買ったのであろう食べ物のゴミが詰められた袋を見せてくる。その中には串だけでも十本以上はあり、余程食べたのだろう。
「それで、そっちのお嬢さんは?」
「あぁ、この子は、」
訊かれるがまま答えそうになってから、「あれ? これ教えていいのか?」と言葉を淀ませる。そんな彼に気付いて、素連が自ら問いに答えた。
「素連と申します」
「そっか、よろしくな」
ほんの少しの間が開いて、顧軒は笑みを浮かべた。当たり障りも他愛もない挨拶だが、初対面の年下の女の子への挨拶なんてこんなものかもしれない。
秦景楓はそれに対して何かを想った訳ではなく、そのまま本題を切り出した。
「顧軒。訊きたいんだけど、どうして僕が秦景楓だって分かったのさ?」
「そりゃ後宮で見たことある顔だったからな。得意なんだ、人の顔を覚えるの」
「なるほどね」
その時代はまだ「秦景楓」は秦景楓でなかったのだが、可笑しな話ではないだろう。秦景楓だって一介の妃として後宮にいたのだ。話した事こそなくとも、すれ違ったタイミングくらいはあろう。
(そういえば、資料集の顧軒のページにそんな事書いてあったような気もするなぁ……確か、商人だからお客を覚えるように意識していたら自然と特技になった、とかだったかな)
凄いなぁと、他人事のように心で呟く。
ドラマの世界線での正ヒーローを前に、どこか思考はハッキリとしていなかった。ぼんやりと、そう言った夢を見ているような感覚。どうしてかは、全く分からないが。
「なぁ秦景楓。お前、冷宮にいるんだってな。今度遊びに行っていいか? ほら、同じ男妃仲間としてさ。仲良くしたいんだ」
そんな彼に、顧軒が尋ねて来た。
「色々と不便してるだろ、なんか土産でも持って来てやるよ」
にっと笑った顧軒の誘いは、とても魅力的だった。
「お、それはありがたいね。実はそんなに不便はしてないけど。魚とかくれたら嬉しいかな! あと、お米とか」
お土産という言葉に分かりやすく反応をした秦景楓に、顧軒は小さく噴き出して彼のおでこを突く。
「お前案外欲張りだなぁ。ま、いいぞ。魚だったら今度釣って来てやるよ、釣りは得意だからな。素連はなにかあるか? ほしい物とか。食べ物じゃなくてもいいぞ」
「え、私は、えっと。どうしようかな……」
「ははっ、思いつかないのなら大丈夫だ。適当に美味しいモン買ってきてやるからな」
困っている彼女の頭にポンと手を置き、まるで兄のような表情を見せる。それに対して素連は嬉しそうに「はい!」と頷き、礼を告げる。
(顧軒、陽キャだ……)
そんな様子を見た秦景楓は、そんな失礼にもなりかねない感想を抱いていた。
それから、顧軒も一緒に三人で祭りの道を歩きながら、適当な会話をする。正しく友達と祭りに遊びに来たシチュエーションそのものだろう。
顧軒という男は、正ヒーローなだけあった。爽やかで明るい、人の当たりの良い青年。九割の人に好かれる反面、一割の捻くれた人間に嫌われるタイプの人間だ。秦景楓として抱かれた感想は、「こういう友達ほしかったんだよな」だった。
(あれ、かなり楽しいな。顧軒って、めっちゃいい奴じゃん)
秦景楓の中で、そんな感情がふと湧いていた。
その時、密かにポイント履歴に項目が追加されていたのだが、絶賛祭りを楽しんでいる秦景楓がそれに気付くのは、もう少し後の話だろう。
これは、思わぬ所で弊害が生じてしまった。まさか顧軒が秦景楓に気付くとは……補正能力も過信しない方がいい。これでは結局元の世界と同じ事になってしまうかもしれない。
どうしたモノか、予想外には慣れていないのだ。だが、このまま見守る事しか出来ないだろう。無理に完成した盤面を弄ると世界が崩壊しかねない。
あぁ、そうだった。こういう時の為に登場人物を増やしたんだった。きっと大丈夫だろう。
さて、そんな心配もここまでにしておこうか。秦景楓は素連と共に帰路についていた。
顧軒と別れると、来た道を戻って冷宮に向かう。行きも使った謎の扉を使って壁の内側に入れば、誰にも気づかれず壁の内側に戻れる。
「いやー、楽しかったね、素連」
「はい! 今日は本当にありがとうございます。私、とっても嬉しかったです」
顔を合わせ、二人は微笑みあった。今日の思い出はとても良いモノになっただろう。秦景楓は満足気に、女院に帰る素連の背中を見送った。
そうして、素連の目が無くなった直ぐ、
「ん?」
彼の胸元にぶら下がった首飾りが震え出した。まるで、電話の呼び出し音だ。
(スペース、じゃなくて、システムか……あー、なるほど。分かった、顧軒とエンカウントしたからだこれ……)
秦景楓は既になんとなく察したようだ。これから起こる事を創造してため息を突きそうになりながらも、首飾りを手に取りスペースに入った。
「はいはい、来たよ、システム」
『システム作動――ご無沙汰しております、秦景楓。ご機嫌いかがでしょうか』
「毎度毎度、その前ぶりいらんて……元気だよ、そこそこにね」
『それは何よりです。では、本題に入りましょう。秦景楓、今一度、任務を確かめさせてください』
スペースのそんな切り出しに、全く予想通りだった秦景楓は咄嗟に話を遮って先回りする。
「あーはいはい、簫司羽の攻略でしょ! 大体言いたい事分かるわっ。どーせ、顧軒と話したからあまり仲良くし過ぎるなって釘を刺したいんでしょ! 分かってるっての」
『それもそうなのですが、一つ、ポイントについて追加説明をしておきたく』
ポイント履歴が勝手に開かれ、秦景楓に見せられる。
先日ポイントを晶に変えた履歴の後ろ、履歴の最後尾に鎮座する文字は、「進捗報酬 ―五」だ。そう、これはマイナスポイントだ。
「ん? マイナス五ポイント……? もしかしてこれ、僕が顧軒と仲良くしたから生じた?」
『はい』
「簫司羽に見られたりしてないのに?」
まだ仲良くしている所を簫司羽に見られたのなら分かる。そりゃ好感度も多少変動するだろう。しかし、儀式の後で、まだ仕事が残っているであろう皇帝様が街をぶらついている訳がないのだ。見られていた可能性はかなり低いだろう。
しかし、ポイントはマイナスとなった。
秦景楓が首を傾げて尋ねると、システムは間もなく答えを出す。
『はい。これは、バッドエンド確率の標準だと思ってください』
『進捗報酬のみ換算されるポイント合計がマイナスになった時、この世界は元の世界と同じ結末となります』
告げられた内容に対して、秦景楓の中に沸いた心は一つ。「あぁ……なるほど」だ。
(面倒なタイプの乙女ゲーかよ……っ。つまり、顧軒と仲良く視し過ぎたら、簫司羽に爆弾が出来てうまく対処しないと爆発するって事じゃん! だけど、だからと言って顧軒を蔑ろにし過ぎるのも気分悪いからなぁ……)
頭を抱えたくなっている秦景楓。
そう、これが乙女ゲームだったら、顧軒を無視し続ければいいだけの話。彼に対するイベントには触れず、「一緒に遊びに行こうぜ」というセリフに対し「いいえ」の選択肢を選べばいいだけの話。
しかしだ、この世界は元こそドラマだが、残念な事にこれはノベルゲームではない。顧軒を突き放そうにも、良心と言うのが痛む上、「いいえ」の選択肢を選んだ所で向こうがすんなりと引くとは限らない。不要な争いだって招く可能性がある。
とは言え、ちょっと一緒に祭りを楽しんだだけでマイナス五されるのでは今後が思いやられる。だが、マイナスが積もり積もった結果に簫司羽が爆発して、ドラマの「秦景楓」と同じ道を辿るのは御免だ。
『進捗報酬は、システムの意思で授けられている訳ではありません。マイナスもまた制御は出来ません故、どうか、お気をつけください』
心なしか、システムの無機質な声が心配そうにも聞こえた。
「分かったよ」
それを聞けば、秦景楓も怒るに怒れなくなったようだ。
とにかく、ポイント合計がマイナスにならないようにしなければならない。この事実に変わりはないのだ。
(とりあえず、簫司羽の好感度上げないとだよなぁ……ちょっと一緒にお祭り回っただけでマイナスされるなら、いくら対策しようが厳しそうだし。それなら、それを上回るくらい簫司羽からのプラスポイントを稼いで、先に五千ポイントにいければ……そっちの方がいいよな。うん、そっちにしよう)
秦景楓は、顧軒を割けるのではなくそれ以上に簫司羽からポイントを稼ぐと言う方向に決めたようだ。
(問題は、簫司羽は今皇帝様の仕事してるから接触が出来ないって所なんだけどねぇ! どうしよう、顧軒はいつでも遊びにこれるし、ドラマ見る感じ、かなり高頻度で来るようになるはず……こっからは減る一方になるぞ。まっじで、これどうしよう……)
こればかりはまぁ良いかで済ませられる問題ではなかったようだ。秦景楓はスペースの中をうろうろ歩きながら、焦りを滲ませている。
たった五ポイント、されど五ポイントだ。塵も積もれば山となると言う言葉があるように、油断しているとあっという間にマイナス領域に突入してしまう。
(いくら愛されてると言えど、執着監禁エンドは嫌だ! 好きな人相手でも許容できない。あー、どうしようマジで! 簫司羽次いつ冷宮に遊びに来る? というかそんな暇作れるもんかなぁ、普段の皇帝様って! あの時たまたま僕の所に落ちてきたから流れで看病してエンカウントしたけど、次はあるのか……!?)
声に出されない独り言が続くが、それでも解決策は考え付かなかった。
簫司羽に見られてなかろうとポイントは減るが、簫司羽からの好感度が無ければポイントは上がらない。なんと不条理だろうか。いや、条理はあるかもしれないが。
秦景楓はしばらくスペースで色々と思考していた。自分から会いに行くかとか、簫司羽が冷宮に来るように仕向けるか、とか。しかし、そのどれもが現実を考えると実現不可能だ。
そうこう考えている内に、スタミナを使ってしまったのかお腹が鳴った。
「あー、ご飯食べないと。丼ぶりにでもしよっかな、今日は卵採れたし。ご飯に合いびき肉焼いたの乗せて、卵ぶっかけるかぁ……スペース、合いびき肉と焼き肉のタレ出して」
要望に応え、真っ白な空間に現れる焼き肉のタレ。秦景楓はそれを手にして元の世界へと戻って行った。
色々考えるべき事はあるが、今はこの空腹を満たさない事にはどうにもならない。それなら、欲望に従って男飯と行こうと。
秦景楓は台所に降り立つと、早速料理を始めた。
(あ、そうだ。野菜収穫出来たんだよな。明日はあれとか収穫して、素連に振る舞ってあげよ。素連と仲良くする分にはポイントマイナスにはならないみたいだし)
〇
夕暮れ時、簫和念は借りている部屋のベッドに座り、考え込んでいた。
しばし一人で思考した後、彼は地力では解決できないと踏んだのだろう。控えている玲玲に視線を向け、顔を上げた。
「玲玲。一目惚れした時って、まず何をしたらいいのだろうか……」
そんな年相応の可愛らしさを感じる問いかけを投げられた玲玲は、一驚した後に表情を緩ませ、簫和念に体を向ける。
「そうですね。最初は、接触する事からではないでしょうか。まずはお友達からですよ」
「例えば、共通の話題を見つけてそれから仲良くなるのがやりやすいでしょうかね」
「なるほど……」
こくりと頷いた簫和念は、シーツに付いた手を握り、意を決したように顔を上げる。
「明日、兄上にお暇を貰った。それで、後宮に行こうと思う。会いたい者がいる。顧軒という、男妃だ。明日、予定を開けておくように言付けを頼みたい」
「分かりました。では、後宮の者にそうお伝えいたします」
玲玲は微笑みながら答え、早速任された仕事を果たしに行った。
「まずは、友達から……」
立ち上がった簫和念は、持っている剣を手にして軽く回す。自分のひ弱な腕では少々重いが、扱う事は出来る。とは言え、剣術の方面は専門外なのだが。
「剣舞を教わるという体で行けば、違和感はないはず……」
曇りのない銀色の刃に移った彼の表情は、緊張で強張んでいた。