戦地から戻ったアリシナは一人、兵舎の食堂で食事をしていた。
しかしその表情は優れない。どこか悲壮感を漂わせながら黙々と食事を口に運ぶ。
「よう、アリシナ。しけた顔をしているじゃないか」
そんな中、不意に彼女に話しかけたのは今やアリシナと同じように小隊長に取り上げられているカロルとハネットの二人だった。
「あなた達か……。私に何か用?」
「不機嫌そうだな。さっき聞いた話じゃ、アリシナの行った戦場は圧勝したって聞いていたんだが、何か問題でもあったのか?」
「問題は無いわよ。軍としての問題は無かった。ただね、ジン君が……」
言葉を濁すアリシナにカロルとハネットも納得する。
ここ最近は軍師であるジンは後方の補給部隊を指揮するアリシナと行動を共にしている。だからこそ、アリシナにはジンの変化や消耗が二人よりも切実な問題として感じられていた。だが――、
「それこそ心配の必要は無いだろ? 聞いた話じゃ、最近のジンの指揮は前みたいな甘さや自信の無さが無いって話じゃないか。自軍の損害を最小限に減らして、敵に打撃を与える。軍師としては最高の仕事をしているだろう?」
カロルとしては今の状況を肯定的に捉えているらしい。確かに彼の言う通り、今のジンの指揮は帝国の求める水準を満たしてはいる。
「それはそうだけど……。違うの! なんかジン君……、前よりもずっと辛そうにしていて……。子竜の子を預かり始めてから、少しずつ明るくなっていたのに……」
「前の盗賊の一件が尾を引いているんだろ。俺達としてはあいつが立ち直るのを信じてやるのが一番だ」
アリシナの言葉に、努めて冷静に答えるハネット。
彼女も本当はハネットの言う通りなのだとわかっている。だが、今のジンの危うさも彼女は確かに感じ取っていた。
「皇女様はジン君を休ませようとしたみたいだけど、ジン君は休みもいらないって断ったみたいで……」
「ふむ……、それは確かに問題だな。軍師として、休息をとらなければいつかは判断を間違えるかもしれない。ジンはそれがわからない奴ではないと思うが……」
「わかってると思うよ。でも、町が盗賊に襲われた時も責任を感じていたみたい。ちゃんとしないとって、自分を追い込んでいるんだと思う」
「なるほどな」
アリシナの言葉に頷きを返す二人。
軍学校の同期とは言え、帝国軍に入ってから過ごした時間はアリシナの方が二人よりもずっと多い。だからこそ、二人としてはアリシナに託すことしかできなかった。
「だったらよ、アリシナがたまには食事にでも誘ってやったらどうだ?」
「私が?」
「あぁ、俺やハネットが誘ってもいいが、今のジンの状態を知っているのはお前だろ? 酒でも飲ませて、溜め込んでるものを吐き出させてやればいいんだって」
「酒って……。ジン君、まだ成人してないんだけど……」
「もう13だろ? 俺ならもう親父と一緒に飲んでた歳だ」
「カロルと一緒にしないでよ。でも……、そうね……」
カロルの言葉に小さく微笑みを浮かべると、アリシナはたいして美味しいと思わなかった食事をカロルへと差し出す。
「カロル、悪いけどこれ、処分しておいて」
「おい、まさか……」
「こういうことは早い方がいいでしょ?」
「俺、とっくに今晩の夕食は持っているんだが?」
「一食も二食もあなたにとっては一緒でしょ? 普段なら絶対にあなたには変わらないでしょ? いつも二食分くらいは食べてるんだし」
「おうっ! 身体が資本だからな。メシはしっかりと食わないとな」
「相変わらずね。まぁ、今回はあなたの能天気さに感謝しとく」
それだけ言い残すとアリシナはその場を去ろうとする。
「ジンの事、よろしく頼む」
去っていく彼女の背にカロルの投げた言葉。その言葉に応えるようにアリシナが口元を緩めると、彼女はまっすぐに彼の部屋へと向かった。
(そうよね。なにもジン君一人で抱え込む必要は無い……。ジン君が苦しんでいるのなら、私が彼のパートナーとして支えてあげればいい)
まだ13歳のジンは彼女にとっては子供だろう。
だが彼が他の男性よりも多くの事を経験して、大人の世界で努力を続けていることはアリシナもよく知っているし、一人の男性としてアリシナ自身も意識し始めている。
だからこそ、彼女はジンの力になりたいと思っていた。だが――、
「ジン君、ちょっといいかな?」
彼の部屋まで到着すると、努めていつもの様子を装って、アリシナは扉をノックする。しかし中からは何の反応も帰ってこない。
「ジン君?」
もしかしたら寝ているかもしれない。
いよいよ疲れがたまって倒れているかもしれない。
そんな不安を持ってアリシナが彼の部屋の扉に触れる。ひんやりと冷たいドアノブを捻って扉を開けるが、部屋の中はランプの光すらついていない。
「ジン君、いないの?」
部屋の中には人の気配が無い。ジンはおろか、彼が世話をしていたはずの子竜さえいなかった。
(入れ違いになった? でも食堂には来ていなかったのに……)
静まり返った部屋の中、胸騒ぎを覚えるアリシナ。
そんな彼女の不安が的中したかのように、部屋のテーブルの上に一通の手紙が置かれていることに気が付く。その宛名として書かれているのは第三皇女・キャトリンの名前。それ以外の手紙は何も置かれていない。
「どうしてここに手紙を?」
皇女宛の手紙には違いない。
だがアリシナはその手紙を前に衝動を抑えることができない。そして彼女は手紙を広げて言葉を失った。
『キャトリン様、
ご挨拶もなく手紙を残して軍を去ることをお許しください。
僕にはあなたの右腕として、あなたを支えることはできませんでした。
これから先、僕は子竜のクロと軍を離れて生きていこうと思います。
僕が関わった戦争で多くの被害を作り出してしまいました。
その責任を放さずに軍を離れることをお許しください。
僕のようなものに目をかけてくださりありがとうございました。 』
それはジンからキャトリンへの別れの手紙だった。
………………。
アリシナが手紙を見つけた頃、ジンはクロを連れて、以前に一度はクロを預けた竜舎へとやって来ていた。
「兄様、こっちだよ♪」
「う、うん。クロ……、どうしてこんなところに?」
「軍をやめるなら、必要なものがあるの」
言いながら竜舎の奥へと案内されると、そこに置かれていたのは帝国軍の竜車。荷物こそ何も積んでいなかったが、軍事行動をとる際に補給部隊が使っている幌付きのものだった。
「これだよ、兄様」
「竜車? なんでこんなものを?」
「えへへ~♪ クロは戦争に行ったことは無いけど、こうやって兄様の役に立てないかなってずっと思ってたの!」
言いながらクロが羽織っていた服を脱ぐと、月の光を浴びながら彼女の姿が変わっていく。身体は漆黒の鱗に覆われ、緋色のツノと瞳だけが色づいた身体。
竜として成長したクロの身体は、最後にジンが彼女を見た時よりもさらに一回りも二回りも大きくなっている。
「兄様、オ待タセ!」
竜となったクロが人語を話す。そのことに驚きながら、ジンはクロに求められるままにクロの身体に竜車を引くための鞍を付ける。そのままジンが御者台に乗り込むのを確認すると、クロは嬉しそうに竜車を引き始めた。
「兄様、ソレジャア行クネ」
竜車が徐々に速度を上げていく中、竜車に乗ったジンが兵舎から離れていく。竜車は速度を緩めることなく城を離れると、まっすぐに帝都から離れる。
城下街の門にたどり着いても、まだジンが軍を去ったことは知れ渡っていないのだろう。だれもジンを引き止めようとはしない。
そしてジンを乗せた竜車は城下を離れて更に速度をあげて軍から離れていったのだった。