「…あれ?師匠にヴァイオリン弾いた事を言ったことありました?」
「それは勿論お前の体格を見たら解ってしまうだろ?」
「そ、そうですか」
「そうだとも!俺の目利きは確かなんだ!師を信じろ!」
「違うよ。私が教えたの」
振り返ればジャージ姿の楓が立っていた。
いつの間にやら大地が招き入れていたらしい。
「お邪魔します」
「失礼するわよ…昨晩楓に状況は聞いたから。
私達も参加するわ」
楓に続いて里桜と有珠も防音室に入ってきて楽器に手を伸ばす。
3人とも一様に動きやすいジャージ姿。
少ない時間で練習する為の格好であった。
「楓から聞かせてもらったわ。
少しでも時間を引き延ばす必要があるのよね。
理由は聞かないわ。
でもきっとここは協力するべき所だと思うから」
「さぁ練習を始めましょう」
そこにいた全員の気持ちは言葉にしなくとも通じ合っていた。
決められた事への些細な反抗。
祥子に幸せをプレゼントできるのであればと。
それぞれ自然と楽器に手を伸ばして取っていた。
楓はトランペットのバルブを押しつつ紘一からの説明を受ける。
「一通り調整したんだけどな…
少しばかりやせ細っている部分があって少々…な?」
「うん…」
「動きはいいんだけどさ。
漏れが凄くて調整範囲外の部分を誤魔化してる」
「うん。わかった。やってみる」
それは壊れかけと言う意味であった。
けれど楓は紘一が調整した楽器を巧みに操って見せる。
それこそソロでステージを披露できるほどの音楽を奏でて見せたのだ。
全国に出場を決めるだけの大会でソロパートを演奏しきる技量は伊達じゃない。
楓が奏でれば合わせる形で有珠がヴァイオリンを重ね合わせそれに里桜も乗る。
幼馴染であり音を重ね合わせていた時間が確かにあった。
練習などしなくとも鑑賞に耐えうる曲を奏でる事が出来ていた。
3人の合奏は一曲通して奏でられた。
その場にいた紘一や大地は終わると同時に自然と拍手をしていた。
楓はふぅとため息をついて紘一を見る。
「何とかできそうだけれど…滑りが重たいの。
もう少しどうにかならない?」
「私の方は音に不満はないのだけれどどうにもバルブが固くて…」
「わかった直ぐに調整する」
紘一は手持ちの工具を使ってちょっとした調整を始める事になったのだ。
同時に大地もまた確認を始める。
「それじゃぁその間に私の腕を披露するとしよう」
今度は大地が演奏を始めると驚きの声を集は上げる事になる。
それこそ奏でられた曲は誰も知らないメロディーラインであったが。
その複雑で繊細な指捌きは音を聞くだけで他者を納得させていた。
「なるほど?腕は確か見たいだ」
「勿論さ。大城さんに少しでもいい所を見せたいしね」
「そうかい」
「そうなんだよ。言っただろう愛は偉大だと」
「十分見せつけられたよ」
曲を奏でられるのは愛の力だと言いきる大地。
そしてその視線の先には当然里桜がいた。
里桜が音を鳴らせばそれを盛り上げる様に即興で曲を組み上げて合わせていく。
それに対応するように里桜もまた自然と二人での練習を始めていた。
「それじゃぁ…私達も」
「そうだね」
集と有珠もまたヴァイオリンの調律をしながら練習を始めたのである。
全員が全員で曲を各々奏でる。
その音は合わさりあい演奏を創り上げる時間が始まったのだ。
時間が無いなか集中して行われたその練習会は続けられ。
予定通りこのホテル初のレセプションパーティーが開始される時刻が迫ると、
司は練習をしている集達の所に来たのである。
「申し訳ありませんが、そろそろお着替えをお願いします」
「わかりました」
運ばれてきたのは即席とはいえステージに立つ招待された楽団としての装い。
男女同じデザインで揃えられた物。
手抜きはなくフリーサイズなりにちゃんと作られた物だった。
集達はいつの間にか気軽にパーティーに参加する招待客側ではない。
おもてなしをする側になってしまったのである。
時間になり日が暮れた開場にはドレスコードを守られた紳士淑女達が入場。
各々に談笑をしながらプログラム通りに行われる催し物が続けられた。
時間通りに着飾った庄司がパーティー会場で挨拶を一通り行った後。
予定調和のサプライズ発表を行うための準備を始める。
開場の裏側へとそそくさと移動。
隠し通路を使って庄司は祥子のいる部屋へと迎えに行くのである。
庄司は笑いそうになるのを堪えながらゆっくりと歩いていた。
逃げ道を防がれた祥子。
一人特別に用意された部屋で心を必死に落ち着かせる努力をしていた。
現実は変わらない。
今日この日の為に綾小路祥子は綾小路家の令嬢として育てられた。
伊集院家に嫁ぐための花嫁となる為に。
起きた時から祥子はスタイリストに一日がかりで準備させられたのである。
隅々まで磨き上げられ何もかもが完璧になる様に。
その中で祥子は細やかな抵抗をする。
「あ、あの…今日は婚約式ですよ…ね?」
「ハイそうでございますよ。
ですので伊集院家がご用意した物を御召しになって戴きます」
「そ、それで用意されているのは…」
「ハイコチラのお着物で御座います」
「これって…これって!白無垢…ですよ…ね?」
「いいえ違います。ただの真っ白な振袖のお着物で御座いますよ?」
「色が同じなので間違えてしまったのですね」
「大丈夫です何も間違いではございません」
その日用意されていたのはクローゼットの中で見つけてショックを受けた物。
勿論真っ白の白無垢でしかなかった。
「そんな…別の」
「ご用意されたご衣裳にケチをつける事。
それ即ち伊集院家に嫁ぐ覚悟が無い事を意味しています。
まさか伊集院家に嫁ごうとされるお嬢様がそれを拒否するのですか?
それはお家の関係がとても悪い事になってしまいますねぇ」
「勿論お利口な祥子さまがそんな愚行を行うとは思っておりませんし…」
「あ…」
「ささ。こちらに立ってくださいませ」
「は…い…」
凄まじい重圧を受けて祥子が他の物を用意しろという事が出来るはずもない。
ただ言われるがままだった。
抵抗は出来ない。
用意されたフィッティングルームで白無垢を着せられたのである。
そして一日かかりで仕上げられた祥子。
正しく大和撫子と呼ぶにふさわしい婚約者となっていた。
その姿を本人が喜んでいるかどうかは別として…
和装姿の祥子に対して庄司の姿は作り込まれた燕尾服。
「祥子…準備は出来たか?」
「はい…」
「ははは…まぁそれなりに仕上がったじゃないか。
これなら連れて歩くのも悪くない」
伊集院家が用意したお着物と言う名の白無垢は大量の刺繍が施された物。
凄まじく重く豪華な物であった。
本家の嫁として迎え入れるに相応しい格好にさせられたのだ。
逃げる方法は…ない。
―これは婚約発表である―
花嫁の衣装は送り出す家にある母親が使った物などが使われる。
代々受け継いてきた伝統の衣装となるのだが。
婚約式であり結婚式でない事から伊集院家が用意した物が与えられたのだ。
勿論綾小路家に差を見せつける為。
庄司が贅を凝らして作らせた。
綾小路家と伊集院家の家格を見せつける為に用意された物でもあった。
自身の衣装に合わせて施された刺繍は庄司の横に立つための物。
並び立つ事で1つの形となる物。
呼びに来た庄司にとっては満足の行くものとなっていた。
「さぁ行こう」
「はい…」
「うれしいだろう?素晴らしい発表なのだから笑顔はどうした?」
「はい。うれしくて笑顔です」
無理矢理作った笑顔を見せるもののそれは完全に造り笑顔だった。
そして重たい足取り。
けれど二人は並んで婚約発表をする為にステージ裏へとやってきたのである。
庄司はその時に信じられない集団を目にする事になる。
集達が楽器を持ち構えていたのである。
そしてここから司が勝負する瞬間が始まるのだ。