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10-01 箱根湯本の温泉旅館

 箱根湯本駅を通り過ぎしばらく進むと、ハイエースバンは古風な石門を潜り抜け旅館の敷地内に入っていく。

 わざわざ表で待っててくれてた着物姿の女将おかみさんは、車に向かって何度も頭を下げながら、出迎えてくれた。

 彼女の背後には、明治だか大正だかに建てられた由緒正しき木造温泉旅館がひっそり佇んでいる。木の温もりが目に優しく、硫黄の匂いを嗅ぐだけで旅情がかきたてられた気がして、頬が緩んでしまうわけだが……。


「遠いところお越し頂き、ありがとうございます」

「車は、ここに停めておけばよろしいですか?」

「いえ……大変申し訳ありませんが、皆さまがお泊りになられるのは別館となります。車で先導致しますので、後ろから付いて来て頂けますでしょうか」


 運転席の伊織さんにそう言うと、女将は停めてあった車に自ら乗り込み案内してくれる。

 五分ほどくねくね曲がる山道を登っていくと、そこには見た目コンクリート打ちっぱなしのモダンな建物が立っていた。


「え、なんか思ってたんと違う」

「藍海ちゃん、心の声出ちゃってるよ」


 そういう夏美さんだって、思いっきり苦笑いしてるじゃないですか!

 どうせならデザイナーズなホテルより、しなびた温泉旅館の方が良かったなと思いつつ、女将に案内されるがまま中に入ると……あろうことか内装は木造家屋だった。


「え……なんか意外」

「どうなってんのこれ?」


 後ろから入って来たリーラちゃんとミセリさんも、狐につままれたような顔で呆けた声を出す。そりゃ、この玄関周り見たらそうなるよね。

 年季の入った木製カウンターも、古びた応接セットが置いてあるロビーも、昭和の二時間ドラマによく出てくる老舗旅館のそれ。それでいて窓から見える景色は鼠色コンクリート一色なんだから、違和感が半端ない。まるで木造家屋を建てた後、それをコンクリートですっぽり覆い被せちゃいましたーみたいな構造だ。

 おまけに外から見たら二階建てなのに、中は平屋になっている。その分、天井が高くしつらえてあって、コンクリに囲まれてるとは思えない開放感。とはいえこれじゃ部屋数、確保できなくない?

 私たちが驚いている様子を、隣でにこにこ見守る女将さん。私はおそるおそる聞いてみた。


「えと……変わった造りになってるんですね」

「はい。こちら別館は、葉室八雲さまのご要望を反映した設計・造りになっております」

「え? 八雲さんの?」

「はい。八雲さま専用のお宿と言っても差し支えありません。ささ、どうぞこちらに記帳なさって下さい。お部屋にご案内いたします」

「はぁ、ありがとうございます」


 とりあえず礼を言い、宿帳に名前を書く。全員が記帳を済ませると女将が案内してくれたのは個室ではなく、二十畳ほどの広くて豪華な和室だった。ここに六人分布団敷いて寝るって事ね。なんか、学校の修学旅行みたい。


「このお部屋……女将さん、もしかして――」


 大部屋に入った瞬間、みひろは真剣な顔で女将に振り返った。


「噂に聞く日本伝統宿場競技『まくら投げ』を、しちゃってもいいって事ですか!?」

「小学生かっ!」


 ツッコミと共に、手刀でみひろの後頭部をこづく。

 部屋の入口に立つ女将さんは、片袖で口元を隠し忍び笑いを漏らすと、穏やかな口調で答える。


「別館は、皆様のみのご宿泊となっております。他のお客様や従業員もおりませんので、節度あるまくら投げ大会でしたら、お楽しみ頂いても問題ございません」

「まぁ! それは朗報です!」


 そんな事言っちゃダメだってば!

 ほらリーラちゃんまで勝手に押し入れ開けて、まくら出してきてるし!


「私はまくら投げより、温泉の方が楽しみだなぁ。ここって源泉かけ流しなんでしょ? あ、お風呂は本館まで行かなくちゃいけないんだっけ?」


 夏美さんはピッチリしたライダースーツの胸元を開け、手のひらの扇子せんすで谷間に風を送っている。


「いえ。こちら別館にも、箱根湯本の源泉かけ流し温泉がございます。こちらのお風呂は本館より上流に位置するため、より源泉に近くてお得です」

「やっりぃ、おっふろおっふろ~」

「食事も部屋食なのかい?」


 美容より食い気のミセリさんにも、女将は優しく答えてくれる。


「はい、のちほどお部屋にお持ちします。あわび、金目鯛などを使った贅沢海鮮御膳と、季節のものをお出しする予定です」

「それは楽しみだ!」

「それでは皆さま、ごゆるりとおくつろぎくださいませ」


 女将は微笑みのまま退出すると、襖を閉めて去って行った。


「リーラちゃん、これ、どうやって投げるのですか?」

「あ、浴衣いっぱいあるよ。どれ着ようかな……あ、これかわいい~!」

「すごいね。私サイズからリーラちゃんサイズまで、全部揃ってる」

「みひろ様、皆さま、お茶が入りました。銘菓『月のウサギ』もおひとつずつございます」

「いただきまーす……え、栗おっき!」


 思い思いにくつろぎ始める皆を見て、私は我慢ならず声を張る。


「ちょっとみんな! 温泉旅館でテンション上がるのは分かるけども! これからどーするか話し合わなくていいの!?」


 そう。我らコレクタチームは葉室財閥から追われる身。

 八雲さんに言われるがまま静岡から箱根まで逃げて来たはいいけども、ここだっていつ見つかってもおかしくないわけで。ノーテンキに温泉宿を堪能してる場合じゃないでしょう!?


「そうは言っても藍海ちゃん。私たち、潮風と汗と涙と裏切りで、心も身体もぐっちょんぐっちょんだよ? ここはひとつキレイさっぱり洗い流してから、話し合いした方がいいと思うんだよね」


 後ろから私の両肩に手を置いて、優しく揉んでくれる夏美さん。

 うう、確かに今日の私は、泣いて笑って怒って戦っての百面相オンパレード。

 八雲さんだって私たちを労う意味もあって、わざわざ温泉宿を取ってくれたわけだし。堪能しないのも申し訳ないというもの。


「んー、分かった。でもお風呂あがったら、皆で作戦会議するからね!」

「はーい」


* * *


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