「おいおい。怪我人に対してこの扱いは、いくらなんでも酷いんじゃない?」
背中の手と両足首の手錠をカチャカチャ鳴らしながら、ジルコは横倒しのまま自らの処遇を訴える。大広間のテーブル上には指抜きグローブと誰かの財布。ジルコが持ってた全所持品が置かれていた。
私は両手を腰に付け、敵テロリストに立場を分からせてやる。
「アンタ、私たちの敵でしょ? 普通敵が潜伏先にやって来て、バカみたいにバイクでコケてたら、そのままタコ殴りにされて終わりだよ? こちとら怪我の手当までしてあげたんだから、少しは感謝しなさいよね!」
「そりゃどーも。いてて。親切心という名の手錠が、骨身に染みらぁ」
この期に及んで冗談を言うジルコ。冷たい視線に気付くとテロリストはそっぽを向き、やたら上手い口笛を吹き始めた。
「見たところお一人で来られたみたいですが……一体何があったんです?」
みひろが訊ねると、ジルコは首を横にしたまま「話せば長くなるんだが……」と、真面目な顔で語り始める。
「海の駐車場で葉室警備に捕まった後、俺と万智子さんは葉室本家の屋敷に連行され、地下牢に閉じ込められた。まったく。なんで個人の邸宅に、独房が何個もあるのやら」
「あんたの感想はいいから。要点だけ簡潔に言いなさい」
私のツッコミに、ジルコは「へんっ」と鼻を鳴らし続ける。
「そこに謎のメイドが現れてだな。俺だけ逃がしてくれたんだ。葉室みひろ――あんたの味方をしてやってくれってな」
「謎のメイド?」
「ああ。小柄で陰気な感じの、年齢不詳な女だった。そのメイドは、俺に持ってきた食事のパンの中に、牢獄のカギと小さいメモを埋め込ませていた。そのメモには『葉室みひろは箱根にいる。助かりたいなら彼女に協力しろ』と書かれていたよ」
「そのメモは、どこにやったんです?」
「消化されてなければ今頃俺の胃の中だな……って、なんだよ。あんたが命令して、メイドにやらせたんじゃなかったのか?」
そうじゃない事を悟ると、ジルコはこてんと、こめかみを畳に落とす。
「もしかしてそのメイドさんって、みひろのママの依子さん?」
「分かりません……八雲さんの方でも、そのような手配はしてませんよね?」
「八雲さまは、全く心当たりがないと仰っています」
亜由美さんは、外の
私はジルコに向き直った。
「ねぇ……どうして私のママと一緒じゃないの? そのメイドさんは、どうしてあんただけ逃がしたんだと思う?」
「普通に考えりゃ、万智子さんと一緒だと逃げ切れないと思っただけだろ。事実、俺一人だからこそ葉室警備の警戒態勢を振り切れたわけで……コインのない万智子さんと一緒だったら、こう上手くはいかねぇ。外に出た後も、一人だからこそバイクで逃げきれたわけで。これが車だと、信号待ちの間にかっぱらうってわけにもいかないしな」
信号待ちのバイクかっぱらって、ここまで逃げて来たのか……相変わらずむちゃくちゃするなコイツ。
でもそうなると、新たな疑問が湧いてくる。
「じゃあどうしてあんたは、謎メイドの言う通り箱根まで逃げてきたわけ? そもそもどうやって、私たちがここにいるって分かったの?」
「前にも言ったろ。アマルガムは都内の監視カメラをハッキングしてるって。あれは、アマルガムが自前でハッキング部隊を用意してるわけじゃねえ。それ専門で活動してるハッカーに、外注してるのさ」
「でもここ、都内じゃないじゃない」
「馴染みのハッカーに電話して調べてもらったら、五分も待たずに見つかったよ」
「ウソッ!?」
「駅前の土産物屋通りは、そこら中に防犯対策用カメラが設置してある。レースで使うトランポ仕様のハイエースバンが、サーキットじゃなく温泉街を走ってたら、誰だっておかしいって思うだろ? 見たら案の定、サーキットでレーサー嬢ちゃんのオッサンが乗ってた車だ。老舗の温泉旅館に入ったところで、あんたらの顔も見えた。分かりやすいったらなかったぜ」
「ひょっとしてアマルガム本隊にも、ここの場所バレちゃってる!?」
「それはまだだろう。箱根っつー大まかなエリアが特定されない限り、絞り込めるはずもない。ただし、この建物も防犯カメラに映ってる。何かのきっかけで見つかってもおかしくはないな」
うわぁ……ネット社会、怖い。
アマルガムもそうだけど、葉室警備だって、いつここにやってきてもおかしくないって事だ。
「それにしても……逃げ出す時に、自分のコインかっぱらってくるくらい、できなかったの?」
「無茶言うな。こちとら命からがら逃げてきたんだぞ! それに、俺と万智子さんのコインは、どうせどっかの金庫の中だろう。万能薬を精製する以外にコインを必要とするのなんて、そのコレクタくらいだからな」
そういう事か……。いざ屋敷に乗り込んで、八雲派の使用人に助けてもらっても、ママの居場所はともかくコインの場所まで分からない。久右衛門さんを脅すかなんかして、持ってこさせなくちゃならない。
葉室警備さえ突破できればなんとかなるって思ってたけど、まだまだ問題は山積みだ。
みひろは私の隣に来ると、正座でジルコに質問する。
「それで、ジルコさんはどうして逃げてきたんですか?」
「どうしてって……だから言っただろ。メイドが――」
「昨夜、葉室財閥とISCが、核のゴミ問題で技術提携を結んだ事はご存じですよね?」
「あ、ああ」
「その内容は、
「……藍海が、いるからだ」
「えっ?」
ちょっ……なんで私!?
そもそもジルコは、私にとってお祖母ちゃんの仇なわけで……え?
もしかして、えええっ!?
いやダメよ。そんなの困る。
だって私たち敵同士だし、こいつテロリストだし……って私もスリか。
だから、こっち見んな!
「藍海」
「なっ、なによ」
「お前はあの時、俺から万能薬をスリやがった……だがあれは俺の金爪を使ったからできただけで、二度目はねえ」
「は……はあ?」
「このまま妹弟子に勝ち逃げされるなんて、我慢ならねー。もう一度勝負だ。今度こそ決着付けてやんよ」
は? 何コイツ……。
要するにジルコは、脳味噌少年マンガなバトルジャンキーテロリストスリで、スリ勝負に負けたから、もう一度勝負して倒してやるって事!?
はあぁ……少しでもロマンス脳発動した自分を、ひっぱたいてやりたい。
「それからそっちの、バイク女!」
「わ……私!?」
私たちの背後で、皆と一緒に膝を抱えて話を聞いてた夏美さんが、素っ頓狂な声を上げる。
「お前海の駐車場で、俺の事バイクで思いっきり轢きやがったな! なんでどいつもこいつも、テロ集団みてーに卑怯なんだお前ら。人として恥ずかしくねーのかよっ!」
「威張るなっ! あんただって私たちに、散々卑怯な事してきたじゃない!」
「うるせー! スリが卑怯で何が悪い」
「だったら私だってスリなんだから、いくらでも卑怯な事していいって事になっちゃうよねっ!?」
私は右手の薬指、小指に残る
ジルコは一瞬眉山を跳ね上げると、じっと私の爪を見た。
「お前……その爪斬り。刃がぼろぼろじゃねーか」
「誰かさんのおかげでね!」
「ストック、持ってないのか?」
「家にあるけど、葉室警備が張り込んでるから取りに戻れるわけないじゃない!」
ジルコは一瞬考え込むも、私とみひろを通り越し、再び夏美さんに呼び掛ける。
「おいっ、そこのバイク轢き逃げ女!」
「はいっ! って、え? 私?」
「新宿のライブハウス『ジルコ東京』のコインロッカー15番の天板に、カギが張り付いてる。そのキーを使って32番のロッカー開けて、中に入ってるバッグもってこい」
「なんで私がそんな事……」
「中に入ってんのは、俺が緊急用に隠しておいた
戸惑う夏美さんに、亜由美さんが頭を下げる。
「『私たちの中で、今日中に新宿まで行って戻ってこれるのは、バイクに乗った夏美さんだけです。申し訳ありませんが、回収してきてもらってもよろしいでしょうか?』と、八雲さまがお願いしております」
夏美さんはガバッと立ち上がると、亜由美さんにVサインをかます。
「まーかせて下さい八雲さんっ! ちょいとバイクぶっ飛ばして、必ず持ち帰ってきます!」
「ヒト轢くなよ」
「うるさいっ! あんたのバイク、借りてくからね!」
「おお、いいぜ。盗難車だから、せいぜい警察には気ぃつけな」
「ひいぃっ! 捕まったら私、ライセンスはく奪もんだぁ……」
そうはいっても、コインを身に着けた夏美さんに追いつける警察なんているはずもない。ナンバー見られていい盗難車なら、都合良かったまである。
夏美さんはライダースーツとコインを手に、部屋を出て行った。