「はあっ。法定速度を守って走るのがこんなにも疲れるなんて、思わなかったわよ~……」
慣れない安全運転で戻って来た夏美さんは、ボストンバックをテーブルに置くと、畳んであった布団に背中からもたれかかり両足を投げ出した。
「おー、ありがとさん」
「お疲れ様、夏美さん」
早速ジルコは、バッグを開ける。
中には、私がお祖母ちゃんから受け継いだものと同じ、
中にはジルコの爪にしては、明らかに小さすぎるものもあって、私は首を傾げる。
「なんでこんないっぱい、色んな種類の爪、造ったの?」
「実験だ実験。両手両足の爪二十個、どんなサイズでも造れるか試してみただけだ」
「もっと違うもん造ればいいじゃん……なんで爪ばっかなのよ。爪フェチなの?」
「そんなフェチいたら怖えよ。爪以外も造ってはみたが……これ見てみ」
ジルコは机に広げた大量の爪をかき分けると、その中に紛れ込んでた金の弾丸をつまんで見せる。
「<ミダスタッチ>の
「えっ……それって普通にすごくない? じゃあその弾丸、指から撃ったりできるって事でしょ?」
「ああ。だが<ミダスタッチ>で造った金は、どんだけ尖らせても殺傷能力ゼロだ。弾丸にして飛ばすメリットは全くない。だったら金爪にした方が断然使える。接着剤いらずで、ガッチリ爪にくっつけられるしな」
「なるほどね……壊れない金爪なら刃こぼれする事もないし、ヒト相手じゃなければどんなものでもスパッと切れる。いざとなったら発射して、相手をぶっとばす事もできる……」
「爪飛ばした後も、グローブ内に鉄板仕込んでおけば、またすぐ生成できるって寸法よ」
「……爪斬り使いにとって、<ミダスタッチ>は夢のようなコインだね」
「ちげえねえ。失って分かるありがたさ。親と健康と錬金金貨ってところさ」
テーブルを挟んで向かい側、私たちのやりとりを黙って聞いてたみひろは、不思議そうな顔でジルコに質問する。
「でもどうせなら爪じゃなく、ナイフや日本刀を生成した方が良いのでは?」
「<ミダスタッチ>が生成できる金は、指先大の大きさが限界だ。できる事なら俺だって、金の延べ棒わんさか生成して、一儲けしたかったぜ」
「コイン程度の大きさでも、無理なの?」
「ああ。パチンコ玉なら作れるが、金玉いっぱい作ってもな」
「そこ。下ネタ禁止」
「ちょっと触ってみる?」
「絶対イヤ」
「私……触ってもいいですか?」
「みひろ!? 何言ってんの?」
「あ、いえ、あの……金爪の方です」
みひろは真っ赤になりながら、手ごろな大きさの爪を拾い人差し指に被せた。
若干サイズが合わないようで、諦めて元に戻す。
「これは……意外と合いそうで合いませんね。藍海は、合いそうなものありますか?」
ジルコは、小袋に入ってた金爪を全部、テーブルに出してくれた。
他にも接着剤、保湿クリームも数種類並べ、机の上はちょっとしたネイルサロンみたいになっている。
「ホテルで拾った金爪は、確か親指に付けてたよな。あれは俺の薬指の爪じゃねーかな……。他にも、足の指用に造った小さい爪もある。とにかく片っ端から試してみな」
「うん……」
「こっちが瞬間接着剤で、こっちは光硬化ジェルと凝固用ライトだ。普通の爪斬りもあるから、今のうちに全部の爪にどっちか付けておけよ」
「あ、あの……」
「あと、全部金爪にするなよ。対人戦で不利になるからな」
「あ、うん」
色々試行錯誤した結果、親指と中指に金爪を付け、他の指は普通の爪斬りにした。
単純に、私のサイズに合う爪があるかどうかで選んだわけだが、結果的にいいバランスになって良かった。
ジルコは、両方の手に金爪と爪斬りをバランスよく付けていった。その手際は私より手慣れていて、どうしてもお祖母ちゃんの面影がちらついてしまう。
ああ……やっぱり言わなきゃいけない気がしてきた。
「えと……あのさ、ジルコ」
「なんだ?」
「ごめん」
「だから、何がだよ」
「お祖母ちゃんの事! 私、あんたが殺したって決めつけて……ごめんなさい」
「……まだそうじゃないって、決まったわけじゃねえよ。それに、たとえババアが葉室財閥の病院で殺されてたとしても、誰がなんのためにってところが分かってねえ。そこを解き明かさない限り、お互いモヤモヤしたもんは消えねえよ。ここではっきりさせとかねーと、一生後悔する事になる」
「でも、久右衛門さんがホントの事喋ってくれるかどうか……」
「そこは大丈夫です!」
みひろは胸を叩いて、太鼓判を押す。
「万智子さんを救い出してコインを着けてもらえば、<アガスティアナディ>の『人の過去を知る』能力で、お祖父さまの不可解な行動は全て解き明かせるはずです」
「おいおい。そのコインの隠し場所が分からないから、困ってんだろ? 万智子さんを救い出す事より、<ミダスタッチ>を見つける方が先決だ。そうすりゃとりあえず、万能薬は精製できるんだから」
「それはその通りですが、お祖父さまを拘束して万智子さんがコイントスできれば、春子お婆さまに何があったかも分かるはずです」
「結局、コインは全部見つけなきゃって事よねぇ……」
こっちにスリがいる事は、久右衛門さんもよく分かってる。であれば、コインをポケットに入れて隠す、みたいな事するわけない。金庫に入れて、大事に保管してるに決まってる。
「久右衛門さん以外の人が、コインの居場所知らないかなぁ……例えば、依子さんとか」
「もしジルコさんを助けたのがお母さまだったら、今も本家のお屋敷にいらっしゃるはずですが……お母さまは、屋敷の使用人に面が割れています。亡くなったはずの使用人がほいほい出てきたら、おばけか何かと勘違いされちゃうかもしれませんね」
みひろはくすくすと笑う。
こんな時でも笑ってられるところがみひろらしくて、つられて私も笑みが零れてしまう。
「隠し金庫なら、使用人の誰かが把握してるんじゃねーのか?」
「お祖父さまご自身しか知らない隠し金庫は、いくつかあると思います」
「うわっ、ボケて隠し場所分かんなくなっちゃうヤツだ」
「最終的に万能薬が精製できればそれでいいので、コインの在り処はお祖父さまを拘束して問い詰める方が、いいかもしれませんね」
「いよいよヤバイとなったら、ジジイも屋敷から逃亡すんじゃねーの?」
「それはないと思います。あのお屋敷には表に出せない情報・証拠がごまんと眠っていますから」
「八雲が暴露すれば、葉室財閥総帥の座を降りないわけにはいかないってか」
「その上で、元気な八雲さんが一族に向け家督が引き継がれたと宣言すれば、その効果は絶大でしょう」
「それでも久右衛門さんが反発すれば、八雲さんの味方にならない人もいるんじゃない?」
みひろは小さく溜息を漏らすと、寂しそうな顔を見せる。
「お祖父さまの経営手腕とカリスマ性は誰もが認めるところですが……その能力から、強引なビジネスを推し進めてきた事もまた事実です。恩義を感じる方より、腹底に恨みつらみを隠しつつ付き従っている人の方が多いでしょう」
「久右衛門は誰がどう見てもジジイ……放っておいても近い将来引退するのは確実で、だったら次代の総帥・八雲を支持するヤツが多いってか。サラリーマンは世知辛いねえ」
「ええ。八雲さんと一早く懇意になりたい親族は、ごまんといるでしょう。そうなれば孤立無援になるのはお祖父さまの方。絶対にお屋敷から、逃げ出す事はしないと思います」
世間一般から見れば、葉室財閥総帥の久右衛門さんは、超絶成功者と言っていいだろう。
でもその肩書きが無くなれば、彼には孤独しか残らない。
それが分かっているからこそ、少しでも長く現役でいるために万能薬を求めてるのかもしれない。
たとえ老害と、陰で罵られたとしても。
「それにしても……ヤバイ証拠があるってのに、警備員を屋敷に入れないってのは違和感あるな」
「有事の際、お祖父さまは複数の優秀なボディーカードを付けています。おそらく今は二十四時間体制で自身の警護をさせているので、彼らの制圧がお祖父さま拘束の鍵となるはずです」
「げえっ、何人いるんだよそれ」
「少なくとも二人。多くて五人くらいかと」
「そいつらは、屋敷内限定なのか?」
「はい。私が氏立探偵なのと同じように、彼らは葉室財閥限定の
「五人もいたら、俺と藍海だけじゃ制圧できねーかもしんねーぞ?」
「分かっています。ですので――」
そこにガラッと襖が開き、お風呂に行ってたミセリさんとリーラちゃんが戻って来た。
次にヘルメットを着けた八雲さん。人数分の紅茶を運ぶ伊織さんと亜由美さん。
最後に夏美さんがガバッと起き上がると、全員が机を囲んで座った。
「ここにいる皆さん全員で、今夜お屋敷に乗り込みます!」
「いぇーい! かちこみだーい!」
「え、なんの話だい?」
「ごめん。それ私聞いてない」
「みひろ様が行かれるなら、私はどこでもお供します」
「八雲さまは『まずは念入りに計画を練りましょう』と仰っています」
皆が勝手気ままに喋り始める中、女子ノリに付いていけないジルコは、深い溜息を吐く。
「おいおい、女子会じゃないんだから。そんな軽い気持ちで行って、大丈夫か?」
「大丈夫よ、きっと」
私は胸を張って答えてみせる。
「だって私たち全員、コインを巡る戦いで死線を潜り抜けてきた、仲間なんだから」
* * *