葉室家本家の男子は、後継者問題が起こらないよう早婚される方が多いです。そしてそのほとんどが、ビジネスの都合を最大限考慮した政略結婚となり、お相手さまと初めて会うのが婚姻の儀という事も珍しくないのが実情です。
お祖父さまも例に漏れず早婚されたわけですが、その後スリの天才・春子お婆さまと出会い、身分違いの恋に落ちてしまった。
葉室財閥次期総帥というお立場で、シンデレラのような身分違いの恋が許されるはずもなく。お婆さまも妾として、葉室家に入る事を良しとしなかったのでしょう。
二人の恋は成就せず、お祖父さまはお婆さまとの恋を若き日の大切な思い出として、ずっと心の奥底にしまわれていらっしゃったのです。
そして時は流れ、今年二月。
アマルガムの襲撃で
それまで錬金金貨に懐疑的だったお祖父さまも<プロビデンスアイ>の
そしてコイン回収班に任命された私は、報告のため藍海の祖母・有海春子さんをお屋敷にお連れしました。
かつての恋人と久しぶりの対面となるはずだったのに、残念ながらお祖父さまは別件で調整つかず、会わずじまいとなってしまいました。
あの時……春子お婆さまは『そうだろうよ』と、寂しそうに呟きました。
まるで、お祖父さまならそうするだろうと分っていたような口ぶり……その様子を見た八雲さんから『二人は知り合いなのか』と訊ねられると、お婆さまは完全否定されてました。
これも今思えば、お婆さまはお祖父さまに迷惑がかからないよう、無関係を決め込んだと思われます。
それがお婆さまなりの配慮であり……もしかするとお婆さまにとっても、ただの昔話では済ませられない大切な思い出だったのかもしれません。
ではなぜ、お祖父さまはお婆さまに会わなかったのでしょう?
――いいえ、違います。
先約があったとしても、そんなものお祖父さまのお立場ならいくらでも調整できたはずです。
お祖父さまがお会いにならなかった理由は……お婆さまとの思い出があまりにも美化されていて、それを壊したくなかったから。
老いた自分を見られたくない、老いた彼女も見たくない。そういう心理が働いて、再会を拒否されたのではないですか?
あの日選ばなかった理想の彼女が、口汚い老婆となって、大切な思い出まで壊してしまいかねない。
それが、怖かったのではありませんか?
あの日私たちが帰った後、お祖父さまは後悔の念に苛まれながら、こう考えたのかもしれません。
葉室財閥総帥となった今、世の
ならば胸に秘めたるこの思いも、世の
万能薬が、若返るクスリであればそれでいい。
そうじゃなかったとしても、その名の通り万病に利く薬であれば、脳移植後の様々な後遺症も治療できるはずだ。
そんな思いに至ったのも、お祖父さまが野村先生の脳医学研究を、長年に渡って支えてきたからでしょう。
人を若返らせる事は、現代医学ではできません。でも、臓器移植はできます。
脳も臓器の一つと捉えるなら、自分の脳を若い身体に移植する事も医学的にはできるはず。
もちろん倫理的観点からそのような実験は許されませんが、葉室財閥の中なら、禁忌とされる脳移植も許されてしまう。
私のお母さま――木村依子は、春子お婆さまの娘です。世間的には死亡扱いで脳移植の実験にはもってこい。臓器移植時に問題となる拒絶反応も、
とはいえ、脳移植なんてそうそう上手くいくはずもありません。財閥内とはいえ人体実験を繰り返せば死者は多数出るでしょうから、成功するまで練習を繰り返すわけにも参りません。
そこで、万能薬です。
脳移植になんらかの問題が起きたとしても、人智を超えた万能薬を飲ませてしまえば解決できる。
そのためにも、まずは万能薬を手に入れ、実際にその効果を見極めたい。
これこそが、お祖父さまが海辺の駐車場で偽薬を飲んだ理由。
お祖父さまの万能薬の使い途、その真の目的です。
――ええ、そうです。ここから先は藍海に話した通りです。
春子お婆さまが病院に運ばれた際、お祖父さまは執刀医として野村先生を派遣されました。先生はお婆さまの胃の中から<ミダスタッチ>のコインを摘出し、更にお婆さまの後頭部を切って、生きたまま脳を取り出したのです。
亡くなったお婆さまの頭には、何か燃えるものを詰め込んで縫合します。仰向けで寝るご遺体の、後頭部を確認する方はいらっしゃいません。火葬場で燃やしてしまえば証拠となる傷跡も詰め物も、全て消し去ってくれます。
一方、お母さまはお祖父さまの庇護の元、世間から隔離され七年もの歳月を過ごしていました。
お母さまは今年三十八歳の経産婦。戸籍上も死亡となっており、八雲さんにもしもの事があったとしても婿養子を取るのは難しいです。
そんなお母さまに、お祖父さまが『野村先生の脳医学の治験をしてほしい』と依頼されれば、断る事もできません。家を追い出されてしまえば、お母さまに生きていく術はないのですから。
そこでお母さまは、条件を出しました。亡くなった母・春子の墓前で、手を合わせたいと。
よもやその母の脳を、自身の身体に移植するとは夢にも思わず。
その後、野村先生によって脳移植は成功しましたが、お母さまは目を覚まさなかった。
であれば予定通り、万能薬を使って目覚めさせるしかない。
だから万能薬の序列一位は、お母さまと定められたのです。
――おそらく……はい。二位が有海翔也さんだったのは、万智子さんに言う事を聞かせるためでしょう。
なんといっても万智子さんのコインは、<アガスティアナディ>。他人の過去を読む事ができます。
お祖父さまの目的をコレクタに知られてしまっては、協力を得る事はできません。万智子さんほど、やっかいな
コレクタが五人揃ってるなら、万智子さんは必要ありません。
それなりのお金を渡して彼女のコインを買い取り、これからは翔也さんと藍海と家族三人暮らしていけると約束すれば、万智子さんは受け入れたはずです。
こうして、依子お母さまの身体に春子お婆さまの脳が乗り移れば、次はお祖父さまの番です。
まずは序列三位の八雲さんに万能薬を与えて、健康問題を解決する。その後自らの脳を八雲さんの身体に移植させ、万能薬を飲んで身体を乗っ取ります。
世間的には八雲さんが葉室財閥を引き継いだ形にして、実際はお祖父さまが、八雲さんの身体を乗っ取って葉室財閥に君臨し続ける計画だったのでしょう。
そして……その後は私の出番です。
より若い肉体に、春子お婆さまの脳を移植する。その素体として、孫娘の私は適任です。
お祖父さまが私に仰ってくれた『失うには惜しい人材』とは、おそらくそういう意味だったのでしょう……。
若い身体を手に入れたお祖父さまは、同じく若い身体を手に入れた春子お婆さまと、子をなしていくのでしょう。
また自分たちが年老いた時に……素体となる若い男女の身体を、万能薬で乗っ取るために。
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