慌ただしい秋の日常を送っていた魔女たちだが、気が付けばもう収穫祭が目前というところまで迫っていた。朝食を食べた後、二人はそろそろ準備をしようとロクサーヌの家に集まって腕まくりする。
テーブルの上にはクッキーの材料となる小麦粉や砂糖、煮込んで柔らかくしたカボチャやマロンクリームが揃えられている。さてこれから――といったところでふと、白魔女が思い出したようにラヴェンナへ声を掛けた。
「ラヴェンナ様、お願い事をしてもよろしいですか」
「なに?」
「お昼ご飯を買ってきて欲しいのです。惣菜パンのようなものを……」
「わかったわ。じゃあ、ついでにマリーのことも見てくる」
「お願いします。戻られるまでは一人で進めていますので」
買い物を頼まれたラヴェンナは自分の家に戻ると、箒の準備をしながらかつての弟子の姿を思い返す。
修道院から引き取られた頃はあれだけ泣き虫だったのに、王都での修行を終えてから、今や街のパン屋でプロフェッショナルの道を走り始めている。黒魔女にとってベッドを共にした日々は昨日のように思い返せるのに、あの魔女見習いはいつの間にか立派に大きく育っていたのだった。
(……)
(いけないわね、昔のことばっかり)
(さっさと出かけないと。ちゃんと仕事してるか見てやらなきゃ)
鏡の前で身なりを確かめ、帽子の向きをしっかり整えてから外で箒に跨る。
地面を蹴って空へ上り、若干の涼しさを覚えながら目的地へ向かっていった。
◆ ◆ ◆
ストーンヘイヴンの街は、近く行われる収穫祭に向けた飾り付けが各所で為されて秋めいた見た目へ変わっていた。あちこちではオレンジ色のどでかカボチャをくりぬいて作った置物が鎮座し、様々な種類の魔物、そして魔女のモチーフが特別な空気を醸し出している。
目当てのパン屋の前にも顔の形を抜かれたカボチャが置かれていた。しかも、そこへ小さめの黒い三角帽子がちょこんと乗っかっている……
(……?)
誰が主導で置いたものかすぐに理解したラヴェンナはクスッと笑うと、表情を改めて作り直してから店の扉を開けた。備え付けられていたベルが揺れて鳴り、裏手から深緑のエプロンを纏った二つ結びの少女が現れる。そこへ更に、小さな魔女帽子がちょっと角度を付けながら頭に乗せられていた。
マリーだ。柔らかな笑顔を浮かべていた彼女は、客がラヴェンナだと気付くやすぐに瞳を輝かせて嬉しそうに頬を上げる。
「ママ! いらっしゃい!」
「ちゃんとお仕事やれてる?」
「もちろん! あっ、お外にあったカボチャ見てくれた?」
前のめりになっている彼女はまるで、この年になっても親離れの出来ていない子供そのものであった。自分の成果を強調するように、そしてラヴェンナからの褒められをねだるように満面の笑みでアピールしてくる。
「見たわよ。あれはマリーが作ったの?」
「うんっ! 帽子を乗せたんだけど、カワイイでしょ」
「一目で誰が飾り付けたか分かったわよ。よくできてたじゃない」
「えへへ……」
「最近はどう? 収穫祭も近いみたいだけど」
「うまく回ってます! あっそうそう、この間貰っちゃったんです、お給料!」
「あら、いいじゃないの」
マリーの言葉を聞いて、ラヴェンナはいよいよ彼女が自立の道を歩み始めたのだとしみじみさせられた。時期的にきっと初給料だろう……
「何に使うかは決めた?」
「……まだ秘密! でも近いうちに話します」
「じゃあ楽しみにしてるわ。そうそう、今日はお昼ご飯を買いに来たのだけど」
「お昼……というと、ロクサーヌさんの分もですか?」
「その通り。朝から収穫祭のクッキー作りで、料理の暇が無くて……」
「ふむふむ」
事情を聞いたマリーは顎に親指と人差し指を当てると、それらしい振る舞いでウンウンと唸りながら考え込み……やがてパチッと目を開く。
「棚にまだ残ってるかな?」
「えーっと……何種類かはあるわね」
「どんなものか……あー、うん、ないわけじゃないけど……」
このパン屋は多くの市民が朝から訪れるためか、特に人気のパンとなれば数を用意してても無くなってしまう場合があった。
今日の魔女たちは料理に時間を掛けるだけの余裕はない……だからこそ、これだけで食べた気分になれるものが欲しかったのだが、いわゆるパンと主菜が一緒になった惣菜パンは数が少なくなっていた。こういう時もある。
「まあでも、これぐらいあればいいわ」
「ストップ!」
「うん?」
「いったい私が、なんのために王都で修行したと思ってるんですか!」
ラヴェンナが今ある物で妥協しようとした矢先、マリーが大声を上げる。
「ママとロクサーヌさんの為なら新しく焼きますよ!」
「嬉しいけど……本当は朝早くから作って数を揃えているんでしょ? 今からは大変だし、時間も掛かっちゃうんじゃない?」
「ノンノンノン、私はパンの魔女マリーです! 心配ご無用!」
そう言えばとラヴェンナは思い返す。
マリーには魔女としての二つ名がなかった。ラヴェンナの「フェイドリーム」、ロクサーヌの「フロスト」、レオノラの「ホワイトウィンド」……もし今の彼女が言った言葉から取ったら「マリー・
しかしどうするのだろう? ひとまずは任せてみることにする――
「そこまで言うならお願いしちゃおうかしら」
「はい! じゃあこのメニューから好きなのを選んで下さい。材料はあります」
「えーっと……」
差し出された表を眺める。本来は店頭でパンの予約をするために見るものだ。
そこには様々な種類のパンと精細な挿絵が描かれている。ベーコンとチーズにトマトソースを組み合わせたものにハーブソーセージを挟んだもの、季節の野菜のキッシュをサンドしたもの、玉子のフィリングを載せたもの……
ラヴェンナは少し悩んだ後、そのうちの三つを指さした。
「これと、これと、これ。それぞれ二つずつだけど、できる?」
「はい! 少々お待ちください……」
マリーは意気揚々と裏手へ向かおうとすると、寸前になって足を止めるとラヴェンナへ振り向き、小さな声で囁きかけた。
「……せっかくなので、一緒に来てくださいっ」
◆ ◆ ◆
長い時を生きてきたラヴェンナとは言え、パン屋の厨房に入る機会はこれまでほとんど無かった。不思議な感覚と共に立ち入ったその場所は店の規模に反して狭さを感じるくらいで、真ん中に鎮座するテーブルとそれを取り囲むように並ぶ棚の数々が早朝の慌ただしさを暗に物語っている。
マリーは保管していた小麦粉を引っ張り出すといくらかをボウルへ空け、他に必要な素材と一緒に水で混ぜ始める。そうして、手を使って捏ねて形をまとめていく……その一連の動きには一欠片の迷いもなかった。
「……」
(真剣な顔をしているわね。昔、宿題を提出する時に見たものよりも……)
生地が一つにまとまるまでそう時間は掛からなかった。
ボウルの中で球状となったそれを手に取ったマリーは、反対側の手で腰に巻いていたベルトから短い杖を取り出す。そして、ラヴェンナの見ている前で……
「見ててくださいね。ふんぬぬぬ……」
杖の先をパン生地に向けて小さく振れば、それはひとりでに宙へ浮き始めて、僅かに波打ちながら徐々に徐々に膨らんでいく! 本来はしばらく置かなければならないところを魔法の力で時短しているのだ――
系統が同じ魔法ならラヴェンナも知っているが、これをパン作りという小さな世界で応用する事例は見たことない。「パンの魔女」を自負するだけある。
「へぇぇ……」
「このくらいかな? あとはこれを分けて――」
空中でおよそ倍に膨らんだパン生地。マリーが杖を振ればそれはあっという間に六等分され、テーブルの上で転がされて綺麗な球となった。最後に彼女がもう一度掛け声を上げると生地は一気にパンの形へ変わり、金属製のプレートの上へ均等に並べられていった。
見事な早業だ。ラヴェンナの注文からそう経たない内に、パン作りの中で時間のかかる工程を終わらせてしまったのだ。
「あとは焼くだけ! 釜の温度は……よし! いってらっしゃーい……」
「その魔法って王都で教えてもらったの?」
「基礎に関しては、それこそママから教わったり、学校で勉強したりしましたけど……でも、実は裏でひっそりノートに書いて研究してて」
「それって、つまり、マリーが自分で作ったわけ?」
「まあ……」
途端に口数が少なくなるマリー。目を瞑って照れくさそうにしているが、その口元はニヤニヤと笑いを堪え切れていない。
ラヴェンナはしばらく呆然とした後、彼女を優しく抱きしめてから小さな頭をぽんぽん撫で始めた。マリーは腕の中でくすぐったそうに揺れる。
「本当に、成長したのね。貴女はもう一人前の魔女よ」
「そんな、まだまだです。日に何回もできるものじゃないですし」
「今日は良い物が見られたわ。あの頃の泣き虫はいないのね……」
「あーん、昔の話はいいじゃないですかぁ」
パン屋の厨房でしばらく抱擁する二人。
それから丁度良い塩梅で焼けたパンが取り出された後、マリーは手際よく具材を乗せてから紙袋で包み、カウンターでラヴェンナへ手渡した。作りたてのそれは袋越しでもホカホカと暖かく、何よりも特別なもののように思えた……
目当てのものを手に入れたラヴェンナは冷めてしまう前にと急いでウィンデルへ戻った。クッキー制作を続けていたロクサーヌは香ばしい香りに気付くと手を止め、何度目かの焼き作業が行われる窯の傍でお昼ご飯となる。
「んむっ……ああ、焼きたてのせいかとても良い匂いがします。パンも柔らかい上に、載せられたベーコンとチーズもすばらしい味ですね」
「……」
「ラヴェンナ様?」
「ロクサーヌ、クッキーの生地は余ってる?」
「ええ、まだまだ沢山ありますが……」
帰ってきてからというものの、黒魔女は惣菜パンを囓りながら物思いに耽っていた様子だった。ロクサーヌの許可を貰ってからクッキー生地のボウルを見つけると、塊の一部を取って……人差し指の先を千切った生地へ向ける。
指を微かに振って、力加減を調整して……
クッキーの生地を宙に浮かせながら薄く伸ばし、丁度良い大きさに成形する!
「くっ……意外と、繊細な作業ね、これっ……」
「ラヴェンナ様、それは――」
「あの子にできて、私にできないってことは――ないわ!」
六等分されたクッキー生地は平らになり、見事それぞれ別の形に変わる。牛、犬、猫、鶏、アヒル、魔女帽子……一連の流れを見ていたロクサーヌは拍手。
「素晴らしいテクニックでした。それはもしかして……」
「所詮は、マリーの劣化版よ。あの子は、生地の発酵も魔法でやっていたもの。よっぽど、パンが好きじゃなきゃ、あんな、創作魔法はっ……」
「お座りください。汗が浮いております」
「ええ。そうさせてもらうわ……」
息を切らしながら腰掛けたラヴェンナは、改めてパンの味に感銘を受けながらも、かつての弟子が見せた新境地にしばらく心奪われていた。彼女の成長を祝う気持ち、師として負けたくない気持ちがない交ぜになる。
「ラヴェンナ様、お昼ご飯が済んだら、また魔法で挑戦してみますか?」
「いいわよ別に。手でやった方が早いし疲れないわ」
「ふふ、ではそのように」
昼食後――
クッキーの生地をめん棒で伸ばしたラヴェンナは、事前にロクサーヌが用意していた木製の型を使ってみせる。するとたちまち魔女帽子型の生地が完成した。しかも一つだけでない、二つ、三つと同じものができていく。
あまりの早業だ。少なくとも向こう数年は「クッキーを成形する魔法」がわざわざ開発されることはないだろう……