日が昇り始めてしばらく経つ頃、ストーンヘイヴンの街の各所ではやけに浮かれた人々の声が上がり始めていた。
家々の前には大きなカボチャから作った置物が並び、そこに魔物の耳や魔女の帽子といった飾りも為されている。家の中からは子供たちのはしゃぐ声と大人の嬉しそうな反応が漏れ出て、外を見回りしている白髪の女騎士も穏やかな表情へ変わっていた。
今日は収穫祭。一年の恵みに感謝し、先祖の霊と共に過ごす大切な日。何事もなく、市民たちがきちんと楽しめるようにすることが騎士団長たるカトリーナの務めだった。
(……街全体が活気に満ちていて、良い雰囲気だな)
(少しだけお裾分けさせてもらおう。あの魔女たちも来るだろうか)
鎧姿のまま陽の下を歩いていると修道院が見えてきた。門前ではアイリスたち修道女が子供たちを待っており、家々からやってきた子供たちが挨拶をしながら中へ入っていく。
子供たちの中には一足早く収穫祭の衣装を纏っている者もいた。真っ黒な上着を羽織り魔物の角を被った者もいれば、真っ白な布で頭から包み込んでお化けの真似をする者もいる……
「あっ、団長!」
「団長だ!」
「おはようございます!」
「ああ、みんなおはよう。今日はしっかり楽しんでくれ……」
「「「はーい!」」」
門前までついていけば、子供たちは元気いっぱいな様子で修道院の中へ入っていった。近くにいたアイリスもにこやかに微笑んで挨拶してくる。
「おつかれさまです、団長さん」
「そちらこそ。収穫祭の準備は無事に終わったか」
「問題ありません。今日はお昼から子供たちと仮装行列に混ざるんです」
「いいな……」
祭期間中の主な見所として挙げられるのが、様々な魔物に扮した人々が一同に集う仮装行列だ。既に見えている子供たちもそうだが、そこでは大人たちもそれぞれ用意してきた衣装へ身を包んで参加することになっている。
もっとも、この街には本物の魔物も魔女もいるわけだが……だからこそ本家に負けず劣らずのものを作ろうと熱が入るのだ。
「団長さんは見回りですか?」
「今日は昼までだ。夜から用事があって……」
「いいですね。折角の良い日ですので、どうぞお楽しみください」
「感謝する。ではまた」
「はい」
にこにこと微笑むアイリスと別れたカトリーナはまたしばらく歩く。ルートは決まっていたが、ふと気が抜けた瞬間、足が行きつけの酒場近くまでやって来てしまっていた。
折角だから顔でも出そう、そう思って扉を開けるがカウンターに人の姿はない。ふとテーブル席の方から視線を感じて振り返ってみる。
「……?」
するとそこで、一人の若い見た目の魔女が豪快にワインを飲んでいた――ように見えた。
見えたというのは、やや青みがかったローブと三角帽子を被っていた誰かの影が、ほんの瞬き一つの間に跡形もなく消えてしまったからだ……
(なんだ、今のは……)
(見間違いか? いや、でも……)
腑に落ちないまま突っ立っていると、店の裏手から青白いフードを被った女性がカウンターの向かいへするりと滑るように現れてきた。
「あっ、カトリーナじゃない」
「メリュジーヌ……さっき、ここに誰かいなかったか」
「誰も見ていないけれど、何かあったの?」
「いや……何でもない」
「変なのぉ。あんまり根詰めすぎないでね、今日は収穫祭なんだから」
「ああ、そうだな……また来る」
「はいはーい」
そのまま店の準備を始めるメリュジーヌ。本当に何も見ていないようだった。
カトリーナは未だ瞳に焼き付いて残る魔女の影を気にしないように努めようとしたが、そうしようとする度に、今見たものがただの幻だとは余計に思えなくなってしまっていた。
◆ ◆ ◆
一方その頃、ウィンデル集落に建つ魔女小屋の前では、二人の魔女が木箱の蓋を開けてクッキーを詰め始めていた。
「ロクサーヌ、こんな感じで良い?」
「問題ありません。ラヴェンナ様も、朝からありがとうございます」
それぞれ薄い紙で包まれていた焼き菓子はふわっと作られた表面にカボチャとマロンのクリームがデコレーションされ、アクセントのチョコチップも相まって秋のよい雰囲気を醸していた。
運ぶ途中で割れないように、緩衝材を敷いたところへお菓子を入れていく。
きっと街では人々が仮装の支度をしていることだろう。本家本元の「魔女」としてはやはり、彼らの期待を裏切るわけにもいかない。それに子供たちに楽しい記憶を持ったまま大人になって貰うのも、人生の大先輩としての務めであった。
「今年は色々な形があるのねぇ」
「去年は帽子の形だけでしたが、意外と好評だったので型を増やしました。味もカボチャと栗の両方を用意しています」
「散々味見をしたから、今は見ただけで飽きが来そうだけど……」
「でもお陰でいいものに仕上がりました。さて、こんな感じでしょうか」
木箱の中は用意したクッキーでいっぱいになっていた。蓋をしてからしっかりと鍵を掛けて固定し、魔女二人で庭の広いところまで運ぶ。
それから彼女たちも出かける支度を済ませ、各々の箒を手に取りながら青空を見上げた。どこまでも続くような秋晴れだ。暑くもなく寒くもない……
ラヴェンナは袖の中から短い杖を取り出すと、その先端を箱へ向けて一振り。
するとそれは地面からゆっくりと浮き、自分で後からついてくるようになる。
「行きましょう。あっちでの準備も残っているわ」
「はい」
ウィンデルの魔女たちは箒へ跨り、土を蹴って空へ真っ直ぐ飛び上がる。
クッキーの入った箱を従えながらストーンヘイヴンへ向かっていく……
活気に満ちた街の大通りに着地した後、春の早夏祭と同じように、決められた場所を一つ借りてから簡易的な店舗を構える。目の前には広い道が伸び、いずれ遠くないうちに仮装行列がここを通っていくのだ。
あらかじめ用意していたカウンター台と棚を並べ、ひとまず店の形に整える。しかし今回は売ると言うよりも、お菓子目当てに集まってきた子供たちへ手渡すことが目的だった。
「そういえばラヴェンナ様」
「なに?」
「今年は、エレオラ様はいらっしゃるのでしょうか」
「ああ……」
思い出されるのは、森の泉でぐうたらな暮らしを送っていた女神エレオラ。
一応あれでも教会の信仰対象で、今回の収穫祭の目的も、一年の収穫を彼女に感謝するというものなのだが……
「まあ、どこかにいるでしょうね。秋は美味しいものが沢山あるらしいから」
「でしたら、会えるのを楽しみにしましょう」
「この時期は本当に大変ね。女神もいるし、死んだ人の魂も戻ってくるし……」
既に外には人の姿がちらほらと見え始め、魔女以外の露天も準備が整えられつつあった。特に、料理を並べるところからは油や小麦の匂いが漂ってくる。
ラヴェンナは荷台の隣にカボチャの置物を動かして魔女帽子を被せた。
これでどこからどう見ても「魔女のクッキー屋」だ! 他の所でも似たような飾りがあるために、普段よりそのオリジナリティは薄くなっていたけれども。
「こんなものね」
「はい。では、座って待ちましょうか」
遠くでは一足先に出てきた子供の姿も見える。今年も賑やかになりそうだ。