街の各所が収穫祭の熱で大きく盛り上がる中、日は傾いて夕方がやって来た。あちこちでは小さなキャンプファイヤーのやぐらが組まれ、死神や魔女の衣装を纏った大人たちが酒盛りを始めている。
空の色が黒く落ち込んでいく下、灯りで幻想的に照らされた街道に並んだ店の一つへ軽装姿の女騎士が入っていった。白髪をかき上げた女、カトリーナはすぐに店内を見渡し、一番奥の席に陣取っていた黒魔女のもとへ近付く。
「今終わったぞ、ラヴェンナ。待たせてしまったか」
「慣れてるから大丈夫よ。居眠りの時間も欲しかったし……」
来るのを待っていたラヴェンナは欠伸を一つした後、両手で頬を叩いて意識をはっきりさせる。そしてここまでの経緯をざっと頭の中で振り返る。
収穫祭に際して、ラヴェンナは早夏祭と同じようにカトリーナと二人で過ごす時間を入れようとしていた。その結果、色々なことが済んだ一日目の夜に会食を設ける形で落ち着いた。
そして、同じ「魔女の弟子」であるマリーも呼んで三人で親睦を深める予定もあったのだが……肝心の彼女がまだ来ていない。
「あの子はまだいないか。名前は確か……なんだったか」
「マリーよ。真面目な子だからサボりではなさそうだけど」
「そうか」
「たまに自由気ままに動くときはあるけど、でも、それはそれで私の教え子の中では優等生だったわ。優等生、という言い方も“教える側にとっては”だけどね」
「……」
カトリーナはその話を聞きながら明後日の方へ視線を向けていた。
それはどこを見てもいなかった。ただなんとなく、上の空になっていた……
「もしかして妬いてる? “魔女の弟子”は自分だけが良かったとか」
「それは……ない」
「貴女といる時は貴女に向き合うわ。あの子もいい加減、ママ呼ばわりをやめてほしいものだけど。もう大人なんだし……」
「育ての親、といったところか?」
「まあ……そうね。未だに娘のように思っているのかも」
声を小さく会話しているとウェイトレスが足音と共に近付いてきて注文を取りに来る。まずは軽く食べようと、ラヴェンナが葉物野菜のサラダをお願いしている間、カトリーナは腕を組んだまま視線を落としていた。
どうしたらいいか分からない、そんな表情だ。
マリーに対しての関わり方も、自分の中にある気持ちの扱い方も。
「……最近、どうにも分からなくなる時がある」
「聞くわ」
「私は……こういう体質で、他人にそれを話すこともない。知っているのは貴女とロクサーヌの二人だけだ。だが時々窮屈に思えてしまう。本当の自分を知っている人はあまりに少なくて……な」
「そうね」
喉を整えてからラヴェンナは改めて返事する。
「でも、それが全てではなさそうね。隠し事をするなって言ってるわけじゃないけれど」
「……」
「もし貴女の事情を他の人が知ったとして、もしかしたら石を投げる人が出てくるかもしれない。火で炙られたり、水底へ沈められたりするかもしれない」
黒魔女は水を一口含んでから、悩める女騎士をじっと真正面から見つめ返す。
「でも、他の誰かが否定するより先に、心の中にいるもう一人の自分が否定することもあるの。むしろそっちが多いでしょうね。本当にやりたいこと、変わりたい願望、ありのままに生きていきたい気持ち、それらを本当の意味で押さえつけているのは自分自身だったりするわ」
「……そう、かもしれない」
「見当違いだったらごめんなさい。貴女は真面目な人に見えるから、ついお節介したくなっちゃうのよね。力になりたいのは確かだから、何かあったら言って」
カトリーナはじっと深く考え込む。
その間にサラダが届いた。ラヴェンナは小さな木のボウルへカトリーナの分を分けながら、にっこりと微笑んで励ましの言葉をかけた。
「まずは食べましょ。大丈夫よ、時間なんていくらでもあるんだから」
「ああ……そうだな」
フォークを使い、みずみずしいレタスを口へと運ぶ。先程まで涼しいところへ置かれていたのか、ひんやりと心地よい爽やかさがいっぱいに広がった。小気味よい歯ごたえに集中していると、店の扉が開いて小さな魔女が駆け込んでくる。
「ごめんママ! 遅れちゃった!」
「あら、マリー。大丈夫よ、座って落ち着きなさい」
「いつもは早寝だから今日はお昼寝してから行こうって思って……あっ、お久しぶりです、団長さん。ママと仲が良いんですね!」
「まあ……そうだな?」
マリーは当たり前のようにラヴェンナの隣へ座り、黒魔女の腕にぴったり身を寄せて寛ぎ始めた。カトリーナの目が分かりやすく細まっていく。
「むっ……」
「こらっ、マリー。だらしないことしないの」
「だってママ良い匂いするんだもーん」
「あのね、カトリーナだって見てるんだから……」
二人がひっついたり離れたりするのを間近で見せつけられたカトリーナは別の方を向いてこの場を逃れようとしていたが、それでも、目の前で好き放題に甘えようとするマリーをつい盗み見てしまっていた。
周りの席が相変わらず賑やかな中、先程の会話内容をひとり反芻する。やがて一定の結論を得た彼女はテーブルの向かいでじゃれあう師弟を見やり、テーブルの下へ身体をさっと潜らせた。
これに驚いたのはラヴェンナである。
マリーの相手をしながら、突然彼女が消えたことに目を大きくしていると……足元から綺麗な白髪頭がにゅっと出てきて、黒魔女の空いている方へ挟み込むように席を取ってしまった。
二人と二人に分かれて座るはずの席で、片方に三人並んでいるのだ。なかなかに狭い上に、こうなると密着せざるを得なくなる――
「ちょっと、カトリーナまで。もうっ、二人ともご飯を食べに来たんでしょ」
「意外と団長さんってお茶目なんですね……って、ママは渡さないから!」
「うむ……うむ……」
「これじゃ収集付かないじゃないの~!」
困ったように、しかしまんざらでもなさそうにラヴェンナは声を上げる。
それからは結局、三人で並んだまま夜ご飯を食べる運びとなった。途中、注文を取りに来てくれたウェイトレスが彼女たちの姿を見つけると何とも面白そうにニコニコ微笑んでくれたのだった。
◆ ◆ ◆
夕食はいよいよワインと肉料理が出始めて会話も弾むようになる。最初は寡黙だったカトリーナも酒が入ると口を開き、マリーとはまた違った方向性でラヴェンナにべったりとくっついたまま離れなくなっていた。
「うぅ……ラヴェンナ、もう少しだけ……」
「ああもうっ、ちょっと飲み過ぎよ。一回少し休んで」
「むえぇぇ、ママの身体やわらかーい……」
「マリーも控える! 水を飲みなさい、水!」
女騎士である手腕は黒魔女の片腕をしっかりと抱きしめ、そのまま肩によりかかりながら薔薇の香りに落ち着きを求めてしまっていた。カトリーナは水を一口飲んだ後、ふと思い出したように声色だけを元に戻して口を開く。
「ラヴェンナ……最近、魔女を見たことはないか?」
「魔女? 今時期はどこにいても見るでしょうに」
「違うんだ。なんというか……幻覚かもしれないんだが」
脳裏によぎったのは今朝、酒場で見かけた謎の幻影。
あれは見間違いではない気がする――カトリーナの声は落ち着いていた。
「開く前の酒場で、ワインを飲んでいる魔女を見かけた。青い衣を纏っていた。だけど彼女は、すぐに目の前から消えてしまった……煙のように……」
「……青い衣?」
「むむ……?」
ラヴェンナとマリーがほぼ同時に反応する。そして一度顔を見合わせた二人はカトリーナの方へ一斉に向き直した。その瞳は徐々に明らかになりつつあるものへの期待と、予想外の嬉しい出来事に対する感慨に満ちていた……
「確認するけど、それは本当?」
「嘘はついてない。確かに見たんだ……」
「そう。そうなのね……」
「ママ、もしかして」
ラヴェンナはカトリーナの頭へ手を載せ、髪の毛をかき分けるような指使いで優しく頭を撫でる。穏やかな表情のまま宙をぼんやりと見据え、胸中に込み上げる奇妙な何かを噛みしめるように目を閉じ、顎を引いて、名前を呼んだ。
「カトリーナ」
「うん……?」
「落ち着いたら、一緒に外へ行きましょ。連れて行きたいところがあるわ」
「ママ、私も行っていい? 持ってきたい物もあって」
「勿論。でもまさか、そんなことになるなんてね……」
何の話をしているのだろう? カトリーナは顔を上げる。
「どういうこと、なんだ?」
「後のお楽しみよ。でも一つだけ……あなたは一人じゃないわ」