収穫祭の空気も成熟し始めてきた頃。屋台飯を堪能し終えたラヴェンナが椅子に座って寛いでいる中、横ではロクサーヌが街の農業仲間と雑談に興じていた。草取りが大変だった、とか冬に向けて畑の掃除をしないといけない、とかの話題を聞き流していると……そこへ、ドレス姿の女性が金髪を振りながら慌てた様子で駆け寄ってくる。
セレスティアだ。普段どこか余裕を持ってどっしり構えているような彼女が、今日この日はいつになく切羽詰まっているように窺える。
「ラヴェンナ! 大変!」
「そんなに慌ててどうしたの……」
「アリアが……今すぐに来て!」
「!」
手芸用品店の女店長であるアリア。銀色の髪とお淑やかな女性の上半身を持つ一方で下半身は大きな蜘蛛のかたちをしている。彼女はそれをコンプレックスに思っており、そのため普段は店の奥から出てこないはずなのだが。
まさか……
ロクサーヌは視線をちらりと向け、ラヴェンナへ今すぐ向かうように促した。ラヴェンナはセレスティアと二人で大通りを走って手芸用品店へ向かう。
◆ ◆ ◆
街全体が黒々とした装飾に覆われている中、それでもアリアのお店は負けず劣らずの薄暗さに包まれていた。扉の手前には大きなカボチャの飾り、クモの巣を模した飾りが吊され、また他の場所とは違う空気感が満ち満ちている。
「アリア、入るわね……」
カウンターまでやって来たラヴェンナは挨拶をしてから、そっと奥の部屋へと足を運ぶ。広く作られた彼女の作業場へ入ればそこでは、大きな身体を持つ主が真ん中で俯きながら座っている……
「……こんにちは、魔女様」
普段からアリアは大人の女性の雰囲気を纏っているが、今日はひと味違った。その身体を装飾しているのは漆黒の薔薇が咲いたドレス。蜘蛛の下半身に合わせて裾が広く作られたそれは幾重ものフリルがあしらわれていた。
人間として見ても飛び抜けて美しい上半身は、貴族の女性とも遜色ない気品さと円熟した色気を漂わせている。長い銀色の髪は黒薔薇のコサージュですっきりまとめられ、露わになった首元は官能へ訴えかけるような印象を与える――
ラヴェンナは口をあんぐりと開けていた。
その格好はまるで、これから誰かに会いに行くようなものだったから。
「うふふ、私もつい見惚れちゃいそうかも」
「アリア……いったいどうしたのよ?」
「わ……わたし……」
アリアは下を向いたまま、風が吹いたら隠れてしまいそうな細い声を紡ぐ。
「外に、出ます……!」
「……おおっ」
「きゃーっ! とっても素敵なことよ、アリア!」
瞳には並々ならぬ決意が宿っていた。
ここに籠ってからどれくらいの月日が経ったのだろう。その長い期間と不安を乗り越え、表の世界へ出ることを決心したアリアの心労は想像に難くなかった。自分の見た目で怖がられるというのは誰もが強いショックを受けるのだから。
ラヴェンナは口をあんぐり開けながら、時間が経ってようやく目の前の現実を受け入れることができた。横ではセレスティアが喜びに身体を揺らし、扇で口元を隠しながらも満面の笑顔を浮かべている。
「でもどうして……ああ、訊かない方がいいわね。貴女がそう決めたのなら」
「二人とも、本当にありがとう。そして……もう少し付き合ってくれる?」
「もう、そんなの当たり前じゃない」
「もちろんよ! 一緒に収穫祭の街を歩きましょ!」
ラヴェンナとセレスティアは女店主から指示を受け、作業場の裏に釘と木板で止められていた大きなドアを開放する。以前はここから出入りしていたのだろうか、日差しが差し込むと同時に新鮮で爽やかな秋の風が流れ込んでくる。
普段は鬱屈とした様相の部屋だったが、こうして見れば「職人」のいる場所として非常に良い空間にも思えてきた。元々はこのような場所だったのだろう。
「大丈夫よ。何かあっても、私とセレスティアがいるから」
「貴女のことを馬鹿にする人がいたら絶対に許さないわ!」
「……行きましょう」
遠くではラッパが鳴り響き、仮装行列がまた始まったことを知らせていた。
先にラヴェンナ、セレスティアの二人が店の外へ出てから振り向き、部屋からゆっくりと顔を出したアリアを出迎える。出入口を作った時よりも大きくなっていたのだろう、若干身を屈めながら、彼女はようやく太陽の下へ戻ってきた。
街道にちらほらといた市民たちが見慣れない姿に振り返る。
彼らが見たものは……銀色の髪と黒いドレスが印象的な、どこか物憂げな気配を纏った美しい女性だった。その下半身はドレスに包まれて垣間見ることもできないが、人間よりも高い背丈を持つ彼女は、二人の魔女と共に恐る恐るの一歩を踏み出していた。
「ううっ、暖かくて、眩しい――」
「太陽の下で見るとまた違うわね。それに今日は収穫祭で雰囲気も合ってるわ」
「とっても綺麗よ! 私も嫉妬しちゃう!」
「そ、そう? ありがとう、二人とも……」
額に手を横向きに当てて、陽の光を遮りながら青空を見上げるアリア。
すると遠くから一人の女性が駆け寄ってきた。その両腕には茶色のゴーレムを模した精巧なぬいぐるみが収まっていた。彼女はアリアの大柄な姿を見上げてからはっと息を呑んだ後に呼びかける。
「あのっ。もしかしてあなたが、アリアさん、ですか」
「……はい。私がアリアです」
すると彼女の顔がぱあっと明るくなる。
光を帯びて輝く瞳は、まさに憧れの人物へ向けられる時のそれであった……
「あなたの作った小さな魔物たちに、いつもいつも癒やされています。本当に、この子たちを生んでくれてありがとうございます! 私だけじゃないです。街のみんな、アリアさんのぬいぐるみが大好きなんです」
「まあ……そんな……」
アリアは蜘蛛の脚をドレスの下で折りたたんで屈むと、その女性と優しくハグを交わして素敵な出会いに感謝していた。よく見れば、ゴーレムのぬいぐるみに表面のところどころが使い古されている。いつも一緒にいるのだろう。
「どんな人なんだろう、ってずっと思ってたから、こんな美人さんでビックリしてます。ドレスもとっても素敵です。そしてきっと……魔物、ですよね」
アリアの表情は一瞬だけ不安に歪むも、すぐに視線を真っ直ぐと向け直した。
二人は静かに見守る。もう、震えるばかりだった頃の彼女とは違うのだ。
「……仰る通り、私は人間ではありません。このドレスもそれを隠すために大きく作りました。布の下には、蜘蛛の脚があるのです」
「もしかして、外に出なかった理由は」
「はい。私は、怖がられるのが怖かった。だけど同時に、他の魔物たちが人間と共存している姿を、陰でいつも羨ましく窺っていた……」
アリアはラヴェンナの方を向いてにこりと微笑みかける。
まるで憑き物が取れたような、今まで見たことない清々しい表情をしていた。
「これは魔女様のお陰です。本に書かれた内容を呼んで、この街の人々を信じてみようという気になった。本当に、ありがとう……」
「アリアさん……」
「別に良いわよ。あとそろそろ時間よ。あれが来るわ」
ラヴェンナが指さした方を見れば、仮装行列の先頭がもう間もなく手芸店の前を通ろうとしているところだった。セレスティアはどこからともなく白い布を取り出しては、それを頭から被って幽霊の姿を演じ始める。
「せっかくだから皆で混ざりましょ? 収穫祭では人間が魔物になろうとするの! アリアのような本家本元はきっと受け入れられるわ!」
「……ええ、そうしましょうか」
「後ろに続くわよ。貴女も来る?」
「はいっ!」
道の横で列が過ぎ去るのを待っている間、通り過ぎる市民たちは口々にアリアの姿を見ては歓声を上げていた。元々この街は魔物を見慣れた者が多いせいもあってか、彼女の下半身が蜘蛛であることに気付いた者でさえ、それを馬鹿にする者は只の一人も現れなかった。
ラヴェンナたちは行列の後方に混ざり、一緒になって街の中を進む。他の人物よりも頭一つ二つ高いアリアは誰よりも目立ち、その美しさと収穫祭の雰囲気に合った服装、そして独特のフォルムで見物客たちを魅了していった。
やがてしばらく進むと、見ていた内の一人が急に立ち上がってラヴェンナのもとへ歩み寄ってくる。全身にぼろぼろの布を纏った「ミイラ人間」を前に黒魔女はびっくりするが、その顔は見覚えのあるものだ……
「ライラ! あなたも参加していたのね」
「ラ、ライラ……⁉」
「魔女様、サンクスギビング! それよりも、こ、こちらの方は」
こんな時でも魔物学者の血は収まってくれないようだった。アリアはライラの熱気に気圧されながらも、ラヴェンナやセレスティアから無言の応援を受けつつしっかりとした受け答えを始める。
「私はアリア、手芸用品店の店主。見ての通り……身体の半身が蜘蛛の形をしています」
「おおーっ! すげぇ! 本物だ! でもそうか、隠れていたのか?」
「人目が、怖くて……だけど、貴女の本を読みました。そうしたら、自分もみんなと一緒に居たいって、思うようになって」
「え、あたしの本で? そりゃあ……すげぇ……」
ライラがストーンヘイヴンの街で出会った魔物を記した書物。以前ラヴェンナに借りてきて貰った本が、今回の行動の大きなキッカケとなったのだ――
「ありがとうございます、ライラさん。貴女のお陰で、変われました」
「いや、なんつうか、照れくさいな! 回った後は一緒に飯行こうぜ! 魔女様たちもどうだ……」
「私も食べる~! ラヴェンナは?」
「ごめんなさい、先約があって。でもロクサーヌなら呼べば来ると思うわ」
最初はラヴェンナたちに見守られていたアリアだが、収穫祭の賑やかな空気も手伝ってかすぐに市民たちへ溶け込んでいった。今後は彼女が自分の力でゆっくりと人脈を作っていけることだろう。
その一方では、ラヴェンナも「本物の魔女」として皆から慕われる側だった。お化けの真似事をするセレスティア、ミイラの魔物を模したライラを従えながら街道沿いの人々から大歓声を受ける。仮装行列はつづく。