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第94話「新年祭③:マリーの里帰り」

 新年祭に盛り上がっていたストーンヘイヴンも今時期は一度落ち着いた様子で、街のあちこちでは、新年を控えたこの頃を家族と一緒に過ごそうとする人々がよく見られた。暖炉のそばで椅子を並べて落ち着いたり、酒場で語らったり、外で薪を燃やしながら周りに集まったり……


 そんな彼らの真上で。

 青々とした午前の空を、ストーンヘイヴンから飛び立った小さな魔女が一人、ウィンデル集落の方へ向かって真っ直ぐに抜けていくのが見えた。


(さぁーて。今日からお休み貰っちゃったから、ママのところに帰るもんねっ)


 のんきに考えながら箒に跨がっているのは魔女のマリー。ストーンヘイヴンでパン屋に勤めている彼女は新年祭の期間中に暇をもらい、彼女が育てられた故郷へ帰る真っ最中だった。

 いつか行ってお泊まりする、なんて話もしていたが、パン職人の仕事の忙しさからなかなか折り合いがつかず、結局今日まで長引いてしまった。しかし新年祭を家族と過ごす、と考えればこの時期で良かったのかもしれない……マリーは、懐かしさと期待に満ちたままで小さな田舎の集落へと向かった。




 街から箒でしばらく飛んでいけば、あの馴染みある場所が徐々に見えてきた。

 ほんのりと雪を被った行商の道が延びた先に点在する家屋の数々。それも記憶に残る光景と殆ど変わっておらず、最も親しみ深い魔女小屋も昔のようにそこへ建っている。煙突から煙を吐き続ける二軒の間に着地したマリーはあたりを見渡して、まだ幼かったあの頃の感性を思い出そうとしていた。


 すると、やや離れた先の道で、一匹の牛がちょうど真ん中を塞ぐように立っているのを見つけた。思い出よりも二回りは膨らんでいるだろうか? あの白黒が自由に集落を歩き回っているのも相変わらずで、肩から緊張が抜けていった。


「……よし」


 厳密には、秋頃に一度、カトリーナと三人で寝泊まりしたことはあったが……あの時はあの時で賑やか過ぎて、気持ち的には今回が改めての「久しぶりの帰省」となる。

 マリーは気を取り直して近くの魔女小屋へ向かい、扉をノックする。

 中からは聞き覚えのある声が返ってきた。


「……ただいま、ママ!」

「あら、マリー……早く入りなさい」

「うん!」


 扉を開ける。懐かしい薔薇の香りが溢れてマリーへ目を細めさせた。

 幼少期の彼女をあたたかく包み込んでいたその香りは、長らく忘れかけていた思い出の香り。大きくなった彼女にも安らぎを感じさせる“母親”の香りだ。

 魔女小屋の中では、揺れ椅子に腰掛けた“幻想の大魔女”ラヴェンナが訪問者へ優しく微笑みかけていた。肘置きに両腕を預け、身体を前後へ微かに振りながら穏やかな表情を浮かべている。いつになく物静かな姿に、マリーは安心感と同時に若干の物寂しさを覚えていた。もしかしたらあまり元気がないのでは……などと彼女なりに推察を働かせていたのだ。まったくの杞憂であったが。


「マリー、外の天気はどうだった?」

「ちょっと寒かったけど平気! あとこれ、お土産のパン」

「わあ、悪いわね。どれもこれも美味しそう……」


 上着を脱いだマリーは空いていた椅子を引っ張るとその背もたれに引っかけ、白地のセーターと黒のロングスカート姿で腰を落ち着かせた。冬の寒空を飛んだせいで身体はまだ冷えていたが、ラヴェンナはそれを見越してか、暖炉の近くを空けて彼女が使えるようにしてくれていた。

 あたたまりながら懐かしい空気に浸るマリー。魔女小屋の色々な景色が彼女に過去を掘り返させる。王都で修行する間に身体が大きくなったためか思い出より若干狭く感じられ、ベッドも改めて見ればなかなか小さいサイズに映った。


「お菓子なら買い溜めておいたわよ。そうね、何か飲み物でも出そうかしら」

「あっママ、あのマグカップまだある? ピンク色で、うさぎさんの――」

「ああ、あれね。確か蔵にしまったはずだから、ちょっと探してくるわ……」


 ラヴェンナはローブの上へ外套を一枚羽織って魔女小屋を出て行く。

 静かになった。彼女が戻ってくるまでの間、マリーは部屋の中を見渡した。


(改めて見ると、おうちは昔とほとんど一緒……)

(でも、ちょっと違う気もする)

(あっ、あそこ……)


 マリーは本がしまってある棚の傍へ行き、そこに並んでいる背表紙を確認してみた。記憶にある色と文字列を探してはみたが、それらしきものは見つからない。


(寝る前にいつも読んでもらってた絵本……なくなっちゃったかな)

(新しい本も増えてる。――えっ、ママって、わた魔女私の魔女様が離してくれない持ってるの!? いいなぁ、今度その話してみよ……)

(あっ、知らない魔導書も増えてる。魔物図鑑もある……)


 そんな風に家の中を物色していたところで、マリーは棚に座っているかわいらしいぬいぐるみを見つける。小さなミノタウロスだ。ふわふわのフェルトでつくられた身体に手を伸ばし、胸元でやさしく抱きしめてみる。

 ぎゅっ……やわらかさの奥に、ぼんやりと暖かい何かが感じられる。不思議な安心感に包まれながら、マリーはそっと頬ずりして目を瞑る。ミノタウロスくんは彼女に見えないところで目をぱちくりとさせていた。


(ママ、いつの間にこんなかわいい子をお迎えしたんだろう?)

(いいなぁ。私もあとでお店に行って探してみようかなぁ)

(……私の知らなかったママだなぁ、やっぱり)


 思いを巡らせていると扉が開き、木箱を持ったラヴェンナが戻ってきた。マリーはぬいぐるみを棚へ戻そうとするも間に合わず、顔をじわじわと赤くする。



◆ ◆ ◆



 魔女小屋のテーブルにはあたたかいミルクティーの注がれたマグカップが二つ置かれていた。ひとつは黒色をしたシンプルなもので、もうひとつは、ピンク色の上へうさぎの絵が描かれたものだ。


 マリーは椅子に座ったまま、膝の上にミノタウロスくんのぬいぐるみを載せては両腕を掴んで遊んでいた。今の彼は斧を模した小物を握っている。

 ぶんぶん、ぶんぶん。とってもパワフル!

 なんとも雄々しく、なんとも愛らしい姿にマリーの頬は緩みっぱなしだ。


「ねえママ、この子ってどこから来たの?」

「ストーンヘイヴンに手芸用品店があるじゃない。そこで出会ったのよ」

「へぇーっ! 騎士団のところで着ぐるみは見かけたかも。ミノタウロスくん、とっても可愛くて好きだなぁ……」

「言っておくけど、あげないわよ」

「わかってるってー!」


 胸元でやわく抱きしめれば、ぬいぐるみも居心地が良さそうに目を細めてくつろいでいる。ラヴェンナは立ち上がると台所へ向かい、やや古めのパンを出して包丁でスライス。卵と牛乳と砂糖で作った液へ放り投げては浸していく。

 間もなく昼過ぎになろうという頃だった。フライパンにバターがひと欠片転がされれば熱と共に良い香りを立ち上らせ、マリーの鼻とお腹を優しく誘惑する。ぬいぐるみの両腕で遊んでいた彼女が台所の方を向けば、ラヴェンナは、浸していたパンを敷いて焼き始めていた。


「あ! それって……」

「今も好き?」

「うんっ!」


 立ち上がったマリーはラヴェンナの傍まで近づくと、横からそっと身を寄せて腰に腕を回してくる。ぴったりとくっついた彼女は目を瞑りながら、頭をもたれさせて幸せそうにため息をついた。

 昔と何ら変わらない柔らかな抱き心地だ。強いて言うなら、あの時よりも少女は少しだけ背が高くなっている。漂ってくる薔薇の香りも、料理の甘い香りも、彼女が小さかった頃とまったく同じだった。


「ああ、“ふわふわ卵パン”! 懐かしいなぁ。ママ、よく作ってくれたよね」

「こら、マリー、あんまりくっつかないの」

「ちょっとだけだから……」

「もうっ……」


 甘い卵液をしみこませたパンが、溶け広がったバターの上で火を入れられる。一度ひっくり返せば、表面には鮮やかな焼き色が入っていた。蓋をしてしばらく蒸し焼きで待てば、中身までしっかりと火の通った絶品おやつが完成した。

 ラヴェンナはそれを皿の上へ載せていく。白地で、外苑に赤い水玉模様が二つ入っている皿だ。マリーはそれを見て目を大きくする。


「昔使ってたお皿!」

「さっきのマグカップと一緒に出したの。マリーが使っていた物は全部同じ箱にまとめているから、これも持って来ちゃった」

「懐かしいなぁ。ママと一緒に……」

「ほら、もうできるわよ。冷める前に食べちゃいましょう」


 テーブルに着き直し、できたてのスイーツをナイフとフォークでいただく。

 マリーがそれを大切そうに口へ含めば、甘く濃厚で、懐かしい味が口いっぱいに広がった。小さい頃からずっと好きな味だった。夜ご飯まで小腹が空いた時、魔法の練習でうまくいった時、外で転んですりむいた時、色々な時に出してくれた思い出が蘇っていく。


「んっ……」

「どう? おいしい?」

「……うん!」


 ハーブティーと一緒に食べ進める中で、マリーの心は確かにあの時と同じものに還っていた。テーブルに腰掛けるミノタウロスくんも含めて、二人と一匹で、穏やかな昼のひとときを過ごし続ける。


 やがて食事が一通り済んだ頃……まだ夕方も訪れていないのにマリーが小さく欠伸をした。昨日までの疲れが残っていたのか、慣れ親しんだ環境に戻って気が抜けたのか、その瞳はなんとも重そうに下がりかけている。ラヴェンナが頬杖をついて見守っている真ん前で、マリーは幼心のままにウトウトし始める。


「んんん……」

「マリー、眠いの?」

「うん……」

「ほら、こっちに来て――」


 優しい声で誘われたマリーは目をこすりながらベッドへ案内されて、そこで、糸が切られた人形のようにパタリと倒れた。ラヴェンナも隣で転がってはマリーの頬を撫で、昔と何ら変わらない姿に安堵の笑みを浮かべる。


「マリー」


 はっきりとした返事はなかった。

 むにゃむにゃとして言葉にならない、幸せそうな声が上がるだけだった。


「……おかえりなさい」

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