新年祭期間のストーンヘイヴンはどこもかしこも賑やかな人出に溢れていたが、その中でも一際盛り上がっているのが公民館ホールだった。ステージ中央の目立つ位置にはテーブルが一つ用意され、後ろには、セレスティアのついているもう一台があった。間もなく何かが始まろうという空気だ。
ステージの下にはこれからの催し事を楽しみに待つ市民が集っている。立ち見客には黒魔女ラヴェンナの姿もあった。会場には、どこか甘ったるい空気が漂い始めていた……
「えー、みなさん、本日はお集まりいただきありがとうございました」
壇上に商工会の女性が上って発言すると市民たちは拍手と歓声を送る。彼女を司会として、冬の特別なイベントが幕を開けるのだった――
「セレスティア商工会主催、ケーキ大会へようこそ! 今年も審査員長は、我らが商工会長、セレスティア様が担当します……」
「この日をずっと楽しみにしてたの! もう待ちきれないわ~!」
後方で嬉しそうに意気込むセレスティア。なんとその手には、既にフォークが強く握られているではないか! いつも通りの光景にラヴェンナは苦笑いする。
毎年行われているケーキ大会はセレスティアの要望で開催されたものが最初であった。理由はもちろん、商工会長たる彼女が審査員長を務めることで“役得”狙えるからである。
「さて、参加者の皆さんには既にケーキを作って頂いており、全て冷蔵棚に保管してあります。さっそく一人目から行きましょう。まずはウィンデルの白魔女、ロクサーヌさんのケーキです!」
ステージの袖から現れたのは、台車をゆっくりと押すロクサーヌだ。運ばれてきたのは、白磁の皿に鎮座するブッシュ・ド・ノエル。
ココアパウダーを混ぜ込んで作った暗い色のロールケーキはチョコレートのクリームを挟んで渦模様を描き、横倒しになることで丸い薪の形を表現している。表面には細く絞ったクリームが筋模様を描き、まるで木の皮のようなフォルムの表現に成功していた。頂上にはヒイラギの真緑の葉が二枚、赤く目立つ小さな実を二個添えられて、いかにも新年祭らしい丁寧な飾り付けだった。
「まあ! とっても精巧なケーキね! チョコレートの香りも良いわ!」
「今回、参加者の皆様には同じケーキを三つずつ作ってもらいました。参加者の手によって既に切り分けられたものがあるので、味は、こちらの方で審査員長に評価していただきます」
「はやくはやくー!」
念願のケーキを前にセレスティアの口元はユルユルだ!
ロクサーヌは台車の中にしまっていた一皿……ブッシュ・ド・ノエルの一人分を切り分けた皿を取り出して、それを審査員長席へ差し出した。輪切りになったケーキは見事な年輪模様を描いており、飾り付けのヒイラギの葉も、サイズ感に対して良いアクセントとなって効いていた。
「セレスティア様、どうぞお召し上がりください」
「ではでは……」
セレスティアはフォークを使ってその一部を切り、ゆっくりと口へ運んでから目を閉じる。
場がしんと静まりかえった。
直後――彼女は頬に両手を添えながら身体を揺らし、喜びの声を上げる。
「ん~~~~! 濃厚な味が口いっぱいに広がって幸せだわ~! しっとりした生地にほんのりビターなクリームが合わさって、外側のチョコレートもちゃんと主役を張っているわね。見た目も新年祭らしくて、素晴らしい逸品……♪」
講評を聞いた市民たちはどよめき始める。互いに顔を見合わせ、自分もあのケーキが食べたい、ここまで匂いがする、などの声があちこちから聞こえてきた。
ロクサーヌのブッシュ・ド・ノエルは非常に好評な様子だ。
観客に紛れていたラヴェンナもまるで自分事のように鼻高々で見守っていた。
「ロクサーヌのケーキはいつも楽しみにしているわ。今回も、期待以上のものを出してくれたわね! ありがと~!」
「喜んでいただけたようで何よりです……」
「ロクサーヌ様、ありがとうございました! では次の方へ移りましょう。次はストーンヘイヴンで種苗店を経営するアルラウネ姉妹の妹、リリィさんです!」
台車を転がして現れたのは、車椅子に固定された鉢植えから生えているアルラウネのリリィ。彼女が現れた瞬間、会場の人々がおおっと驚きの声を上げた。
テーブルで披露されたのは真っ白い生クリームでコーティングされたケーキ。その上で、赤く輝くイチゴの粒が6つ、円を作るように置かれていたのだ!
「まあっ! この時期にイチゴが見られるだなんて……」
「リリィさんのは“イチゴのショートケーキ”とのことですが、これは……」
「ええ。間違いなく、本物のイチゴですよ。秋頃、私たちはお店の改築工事を行って温室を作ってもらいました。そこからいくつかの作物を育てようと試みた成果がこちらです。突貫で始めたので、うまくいくかは不安でしたが……」
リリィの言葉を聞いた人々はどよめき声を一層大きくした。無理もない。市民たちにとって作物とは季節の巡りに合わせて収穫されるもので、その時期が多少前後することはあっても、真反対の季節で見るような事例はなかったのだ。客に紛れるラヴェンナもそうだった。お店で話を知らされるまでは……
セレスティアは手元へ運ばれてきたショートケーキを前に目を輝かせる。
一人用に切り分けられたそれは、白い生クリームでコーティングされた外側と上面、黄色いケーキ生地と赤白いイチゴの断面で目に鮮やかな色合いだ。てっぺんには真っ赤なイチゴが贅沢に一つ載せられ、かつて外周だった弧の部分では、先を尖らせるように絞られた小さなクリームたちが沿うように並んでいる。
「姉のグロリアも一緒に作ってくれましたが……彼女はまだストーンヘイヴンの寒さに適応できてなくて、お店で留守番中です。審査をお願いします」
「うふふ、そうだったの。それじゃあ、いただいちゃうわね……」
ケーキをまじまじと見つめていたセレスティアは紅茶を一杯口に含んだ後に、その柔らかなクリームの平原へフォークの先を立てた。するとそれは滑るように下まで届き、中に挟まっていたイチゴも含めて大きな一口分となった。
フォークの腹でやさしくすくって、ぱくり――
皆が固唾をのんで見守る……静寂の後、セレスティアは満面の笑みとなった。
「ん~~~~! 生クリームの甘みの中で、イチゴの甘酸っぱい味が確かによく感じられるわ! 味も食感も随分と久しぶりで、まるで、一足早く春が来たような気持ちになれるわね……! イチゴの力だけじゃない、ケーキとしても全体がよくまとまっていて素晴らしい出来よ!」
講評を聞いた市民たちからは拍手喝采が上がり、リリィは恭しく一礼する。
今まで記録されたことのないような試みは無事に成功し、このケーキ大会は、姉妹にとって最高のプレゼンテーションの場となった。ストーンヘイヴンの市民たちは新しい時代の到来を悟り、これからの毎日に一層の期待を募らせるのだ。
「ねえリリィ、貴女たちの温室って、オレンジやベリーは育てられるの?」
「今は試行錯誤中ですが理論的には可能かと。薪を多く使う問題はありますが、良い方法が見つかれば、もっと色々なものを食べられるようになるでしょう」
「夢が膨らむわね~! あとでまたお話を聞かせてちょうだい!」
「はい、もちろんです……」
会場の皆から賞賛を受けながら、イチゴのショートケーキはリリィと共にステージの袖へと戻っていった。場は改められ、次の参加者の番となる。
「では次の方です。サン・ブライト修道院よりシスター・アイリス! どうぞ」
拍手の中で現れたのは、いつもの修道服に身を包む茶髪の女性、アイリスだ。彼女の持ってきた台車には、素朴な見た目をした黄色いケーキが載っている。
これまで、ロクサーヌ、リリィと目に鮮やかな作品が出され続けた後で、このシンプルなケーキは良い休憩地点となるようだった。それに止まらず、ふんわりと柔らかそうな生地からは、懐かしくも甘い香りがほんのり漂ってくる……
「わあ……アイリスのそれはチーズケーキね? とっても好みだわ!」
「今回、シスター・アイリスはこちらの“チーズケーキ”での参加です。これぞ! という見た目ですね!」
「あまり奇抜なものは出せませんが、普段、子供たちにご褒美としてあげているものをお持ちしました。お召し上がりください」
にこりと微笑むアイリス。これまでのケーキに盛り上がっていた会場の雰囲気が落ち着いた様子へ変わっていった。
セレスティアの手元に一人分が運ばれる。近くで見てもやはり、いつものベイクド・チーズケーキだった。三角形に切られたそれはフチの部分が硬く上がり、上面と外面は安心感のある茶色で若干の焦げを纏っている。その一方で、包丁が通った部分はにわかな黄色を含む白が広がり、全体の色彩はセレスティアの目を満足させるに至った。
「うん、うん、いいわ……これよ、これ! 早速頂いちゃうわね?」
紅茶で口内を整えてから、セレスティアはフォークで一欠片をとってぱくり。モグモグと口を動かし、頬の内側で舌を使って味を丁寧に確かめ……やがて頬を緩めて、リラックスした表情で目を細めながら長い息を吐いた。
「おいしいわぁ……そうそう。こういうのがいいのよ。毎日の紅茶にはこういうシンプルな味のケーキが一番合うわ! 大人も子供もみんな大好きで記憶に残るような味……今が審査タイムじゃなかったらもう一個もらっていたのに!」
セレスティアの言葉を聞いた観客たちも、ひそひそ声になって「あのケーキが一番好き」「いつものやつが一番」などと呟き始める。一緒に聞いていたラヴェンナも、素敵なケーキを続けざまに見せられたせいか、お腹が寂しくなってきたような心地を覚えて眉間に皺を寄せ始めていた……
◆ ◆ ◆
それからはライラがスパイスケーキを出したり、マリーがカップケーキを出したり、他の市民たちもそれぞれ自慢の逸品を披露した。やがて全ての参加者たちがアピールタイムを終え、会場が甘ったるい空気に包まれ、セレスティアの腹も満足してきた頃――ケーキ大会も終わりが近付きつつあった。観客席のところどころから空腹も聞こえ始めている。
「う~ん、どのケーキも本当においしかったわ! この中からたった一つだけを決めないといけないなんて、なんて残酷なのかしら!」
すべての評価が終わり、セレスティアはステージの中央に立って悩ましい顔になって文句を漏らす。しかし次の瞬間には元の表情へ切り替え、今大会の審査員長らしい振る舞いをすべく喉を鳴らし、威厳ある態度で調子を整えた。
「んんっ――では、皆さん。本日はお疲れ様でした。今年のケーキ大会の、優勝者を発表します!」
緊張の一瞬だ! 会場全体が静まり、参加者たちは唾をごくりと飲み干す。
どこからともなくドラムロールの音が聞こえてくる。ダラララララ……
「優勝者は――」
……ダンッ!
「――リリィさんの、“イチゴのショートケーキ”!」
会場全体から割れんばかりの拍手が鳴り響いた!
参加者席にいたリリィは一瞬何が起きたか分からない様子だったが、周りから祝福の言葉を受ける中で徐々に現実を理解してきたようで、感極まった様子で、両頬に手を当てたまま目を瞑っていた。
「春の果実であるイチゴを冬のケーキに使う、みんなが一度は夢見たことを彼女は……いえ、彼女たち姉妹は現実にしてくれたわ! もちろん、まだまだ実験は続くでしょうけど、今回の経験を通して、明日は今日よりももっと素敵なことが起こるんじゃないか、って気持ちにさせてくれたの。今回はイチゴだったけど、次からはオレンジだったり、ベリーだったり、また違うことが起きちゃうかもしれない。そしていつか皆もできるようになる……そんな素敵な未来を見せてくれたリリィ、グロリアの二人に最大級の賛辞を送るわ!」
拍手、拍手、拍手! 会場は溢れんばかりの感謝と優しさに満ちていた。
やがてそれらが落ち着いた後、セレスティアはニッと口角を上げて微笑んだ。司会者の女性は発言の手番を貰うと、観客全員を見渡して笑顔へ変わる。
「さて、本大会の全日程は終了しました。……が!」
オオッ! 観客側からレスポンスが返ってくる!
「ここからは、皆さんの作ったケーキの、試食タイムです!」
オオオオオッ! 今日一番の声が上がった!
喜ぶ人々に紛れて、ラヴェンナも両手を上げてガッツポーズを取っている! 彼らは司会者の指示に従い、小さく切られたケーキをそれぞれ味わい始める……