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第92話「新年祭①:年末挨拶回り」

 人々の身体が冬の寒さに順応し始めてきた時期、彼らが考えるのは「もう少しで新しい年が迎えられる」ということだった。その気運を高めるようにストーンヘイヴンの市場も年末仕様に飾り立てられ、それを目の当たりにすることで一年の流れる早さをより一層実感するのだ。

 青空の下、赤と緑のアーチ飾りが大通りの上をまたぐように吊されて、そよ風で静かに揺られている。店も同じ色合いに染まる中、あちこちで金色のリースや星飾りが掲げられ、広場には立派なモミの木まで立てられていた。きらびやかに彩られたその下では騎士団の兵士と「ミノタウロスくん」の着ぐるみが赤い帽子を被って小さい子たちの相手をしている。子供らは皆、モコモコの柔らかい上着を纏っていた。


 そこから少し離れた細い通りをラヴェンナが歩いている。

 両側の店先には小さなツリーと飾りがそれぞれ置かれ、店舗によって若干その装いも異なる。雪だるまの置物も愛らしい。今年はそこへ、魔物のぬいぐるみに「らしい」格好をさせたものも見られた。魔女はそれらに微笑みながら、目当ての場所へゆっくりと歩を進めていく。


「さて、まずは……」


 やってきたのはストーンヘイヴンに建つ図書館だ。

 早速入れば、暖かい室内のあちこちで市民たちが読書を楽しんでいる様子だ。その真ん中では本棚ゴーレムがじっと静かに佇んでいる。


「来たわよ」

「む……幻想の大魔女。今日は何用ぞ」

「年末だから挨拶に行こうと思って。今年はどうだった?」

「そうだな……何事も、なかった。しかし、良い年だった……」


 何十年と変わらぬ司書だが、その声色はどこか穏やかなものだった。


「いいわね。来年も同じように、穏やかでいい年になりますように……」

「うむ、うむ……」


 司書のゴーレム――ビブロスは満足そうに呟いてまどろみに戻った。

 ラヴェンナはそれを見守ると、踵を返してまた別の住人の元へ向かう。



◆ ◆ ◆



 快晴の午前。次の目的地へ続く石畳を歩いていると、年末の色で染まった道の向かいから覚えのある男の子がやってきた。カゴいっぱいの果物を両手で運んでいるのは、どこか赤髪が様になってきたようなアレン少年だ。彼はラヴェンナに気付くと若干よそよそしい風に変わって近付いてくる。


「ラヴェンナさん! こんにちは」

「こんにちは。修道院の買い物中だった?」

「はい。小さい子たちのおやつで……ラヴェンナさんは?」

「挨拶回りよ。もう少しで新年だから世話になった人のところを回ってるの」


 そう言ってラヴェンナはアレンの頭を優しく撫でる。少年は肩をぎゅっと狭めながらも魔女にされるがままであった。


「来年の抱負はあるの?」

「えっと……修道院のお手伝いをしながら、魔物学者を目指します。ライラさんにはもう話をしてて、一緒に出かけたり、荷物運びを手伝う予定で……」

「あら、いいじゃないの。将来が楽しみね。ふふ……」

「ラヴェンナさんは?」

「私? なんにもないわよ。来年も、今年くらい穏やかで楽しくあれば、って、ただそれだけ……」


 ラヴェンナはアレンの頭をわしゃわしゃと撫で、髪をモジャモジャにする。


「わぁぁぁぁ」

「気をつけて帰りなさいよ。せっかくの果物、滑ってぶちまけないようにね」

「はっ、はいぃ……」


 アレンはそそくさとラヴェンナの前を通り過ぎ、カゴを両手で抱き込みながら修道院の方へ向かっていった。ラヴェンナは小さくなっていく背中を見て微笑むと、当初の目的地がある方面へまた歩き始める。


 すると――

 遠くに見えた種苗店から、茶色の毛布を肩にかぶったグロリアが車椅子を転がして出てきた。お店を回しているアルラウネ姉妹の「元気な姉」の方だ。彼女は外扉を開けて出た瞬間にそよ風に吹かれると目をぎゅっと瞑って縮み上がった。

 手には小さなリース飾りが握られていた。彼女の歯がガタガタ震えている。


「あばばばばばば……」


 グロリアはそれをせっせと店の軒下にひもで結びつけると、軽く引っ張っても取れないことを確認してすぐに店の中へ戻っていった! なんという早さだ!

 ラヴェンナは彼女の後を追うように店の扉に手をかけ――先程吊り下げられたリースに目をやる。綺麗な針葉樹の輪に、赤いリボンと黄色の鈴があった。店の中に入ると暖炉の前に車椅子を止めたグロリアがにこにこ顔で挨拶してくる。


「あっ、魔女様! こんにちは~!」

「こんにちは、グロリア。リリィも」


 店奥のカウンターでは、アルラウネ姉妹の妹であるリリィがゆっくり手を振って挨拶に応えていた。種苗店の中も新年祭の赤緑カラーに飾り立てられていた。


「なあに、暖炉の前を陣取っちゃって。そんなに寒いの?」

「寒かったわ! 店前のリースをどっちが付けるか、リリィとじゃんけん勝負をしたの! そしたら私が負けちゃって、さむいさむいお外へ行く羽目に……」

「姉さん、絶対負けたくない勝負の時はグーを出すから」

「むきーっ! じゃあ次は絶対チョキ出すもん!」

「ああ、なるほどね……」


 ラヴェンナはしばらく店内の様子を見て……暖炉の近くに大きな箱が置かれているのを見つける。視線に気付いたリリィがその蓋を開けてみれば、季節外れのイチゴの鉢植えがあった。

 イチゴはつるを使って横方向へ、高いところから低いところへ向かっていく。その習性に沿って段上に盛られた土の上で、あの赤くぷっくり膨らんだ実ができているではないか……


「今度はイチゴを育ててるの……ねえリリィ、あなたたち姉妹はどれだけ自然の摂理に逆らえば気が済むのよ?」

「何と言うか……夢よ。一年中好きな果物と野菜を食べられる日々ってそれだけで素敵じゃない? ラヴェンナだって、冬にシャキシャキレタスのサンドイッチが食べられたら良いと思うでしょ?」

「そこにフルーツもあれば言うことないでしょ!」

「まあ……そうね。その通りだとは思うわ……って、今日は挨拶回りに来たの。もう新年が来るから……」

「わぁーっ!」


 グロリアはそのことを聞くと思い出したように笑顔の花を咲かせた。


「私も、今年は妹と年越しなの! 地元じゃないところで迎える初めての年越しになるわ! 新年祭の期間もリリィと一緒に過ごすもんね……」

「誰かと新年を迎えるのは久しぶりね……姉さんは起きていられるかしら」

「起きてるもん! リリィこそ寝ないでね!」

「はいはい……」

「二人とも元気そうで良かったわ。家の中も暖かいし。そうそう、うっかり薪を切らさないようにね。それじゃあ……」

「はーい!」


 手を振る二人と別れ、ラヴェンナはストーンヘイヴンの街並みへ戻ってくる。その足で次の場所へ向かう途中……広場に出たところで「ミノタウロスくん」を見つけてしまった!

 騎士たちと一緒に子供たちにクッキーを配っていた着ぐるみは、ラヴェンナに気付くとつぶらな瞳を向けたままで手を振ってきた。黒魔女はすぐに駆け寄ると子供たちの中に入り、順番を待ち……お菓子をもらう代わりにミノタウロスくんからのハグを受け取った。


「むぅ……♪」


 ぎゅっと抱きしめられたラヴェンナは、しばらくこのひとときを満喫した後、子供たちの視線を感じると名残惜しそうに離れた。良いお年を……なんて言いながら別れる魔女は、未だ腕に残る感触で頬をだらだらと緩ませながら、次の挨拶回りへと向かっていく。



◆ ◆ ◆



 色々回った魔女が最後に訪れたのは、蜘蛛女アリアがいる手芸用品店だった。以前に来た時と比較すると店内は若干明るくなっている。窓枠を塞いでいた木板が少し取り除かれて外からの光が入るようになっていたのだ。

 そして店内にはパラパラと客の姿もある。必要な道具や見本を求める女性たちにプレゼントになるものを探す男性と、賑やかで良い雰囲気を出すようになっていた。カウンターには、呼び出し用のベルとかわいらしくデフォルメされた蜘蛛のぬいぐるみが並べて置いてあった。


(いいじゃないの。ちょっとずつ人慣れしていけばいいのよ……)

(さて、その本人は奥の方にいるかしら)


 ラヴェンナは早速ベルを鳴らす。奥の部屋から忙しない足音が近付いてきた。相変わらずカウンター台の向こうはカーテンで仕切られて見えなかったが……その下部分がにわかに持ち上がり、銀髪の女性が覗き見るように顔を出してきた。


「はい、ただいま参りました……まあ、魔女様」

「アリア、私よ。年越し前に挨拶しようと思って」

「ありがとうございます。どうぞこちらへいらして」

「じゃあ、失礼させてもらうわね……」


 許可を得たラヴェンナは店の奥にある作業部屋へやってくる。アリアは、黒いドレスの裾から伸びた蜘蛛の脚で床を捉えながらいつもの作業台の前まで戻る。そこでは今まさに、小さいお友達のためのアクセサリが作られている最中だ。

 アリアの表情からは以前までの陰気くささが抜けていた。落ち着いている一方で、これからへの仄かな期待と悦びで、静かに満ちているようだった。


「なんだか様変わりしたようね。どう? 人間には慣れてきた?」

「少しずつ……ね。みんなが私のことを受け入れてくれて、ホッとしてる」

「最近の商売はどう?」

「新年祭に向けて色々準備した物が好評よ。例えばこれ……」


 アリアは並んでいた完成品の一つ……小さな赤い帽子を手に取ってラヴェンナへ見せる。あたたかい質感の毛糸で編まれたそれは縁周りが白くつくられ、すぼんでいった先端には丸くふわふわとした白い球状の飾りがついていた。新年祭の雰囲気にふさわしい被り物だった。

 ラヴェンナは頭を働かせ、家で留守番している「ミノタウロスくん」に被せてみる。両手を上げて大喜びしている光景が浮かんだ。なかなかよさそうだ!


「いいわね……」

「あとは、新年祭に向けて、彼らの為の小さなご馳走を作ったわ。見て」


 続いて見せられたのは皿を模した編み物へ置かれたケーキと七面鳥の置物だ。ご丁寧にナイフとフォークまでついている。ラヴェンナ自身もちょっぴりお腹が空いてしまう程の精巧具合である。


「新年祭仕様に小物を作ったわ。彼らにも季節を楽しむ権利はあるはず……早速売れ行きも校長なの。魔女様もお一つずつどう?」

「じゃあ、帽子とケーキと七面鳥を一つずつ貰いましょう。挨拶ついでにいい物を手に入れられて、今日はツイてるわ……」

「ありがとうございます。では、お会計はあちらの方で……」


 再び店に戻ってきたラヴェンナはカウンター越しに金品のやりとりをする。

 その時にカーテンの隙間がちらりと開いて、照れくさそうに微笑むアリアの顔が覗いてきた。こういうこともしてくるようになったのだ。ラヴェンナはくすぐったそうに笑うと、手を軽く振ってから別れていった。


 徐々に色めき始める街に出た魔女は、ぐっと背を伸ばしてから箒に跨がった。

 小さな紙袋には、家で待つ眷属への嬉しいプレゼントが詰まっている。


◆ ◆ ◆



 ……その日の夜、ラヴェンナはなすべき事を早々に終えると、明日からの忙しくも楽しい日々に向けて眠りについた。


 色々な思い出の品が並ぶ魔女小屋の棚では、フェルトぬいぐるみのミノタウロスくんが赤い帽子を被りながら座ってもぞもぞと動いていた。彼の目の前に置かれたのは小さなケーキと七面鳥……そして、ラヴェンナがついでに買って帰ったミニチュアのモミの木とリボン飾りだった。

 ミノタウロスくんはツリーを丁寧に完成させると、両手にナイフとフォークを持ち、主の買ってくれたご馳走を前にしてにこにこ微笑んだ。窓の外では細やかな雪がちらちらと降っている。暖炉では薪がぱちぱちと燃えている。

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