寒くて厳しい冬は試練のごとく訪れるが、その後にやってくる春は、それらに耐え忍んだ人々へご褒美を出すかのように様々な恵みをもたらしてくれる。朝、魔女小屋の外へ出たラヴェンナは編みカゴを肩に引っかけながら、待ち合わせの場所へ向かって歩き始める。今日も実によい天気だ。
(さて……今日はアレンがこっちに来てるって言うけど)
(ライラと一緒に山菜採りだなんて、彼もだんだん逞しくなっていくわね……)
ところどころに雲は浮いているものの、問題なく晴れた青空の下、ウィンデル集落の僻地に立てられた魔物学者ライラのテントに出向けば、そこでは到着したばかりのアレン少年が、いまだ中から出てこないライラの様子を確認しようと、布製のドアを捲っていたところだった。
彼は中をちらと覗いた瞬間に腰を抜かしたように尻餅をつき、そのまま真後ろへ転がっては膝を突き目をグルグル回し始める。面白い物を見たとラヴェンナがご機嫌な様子で現れると、タイミングを同じくしてライラもテントから顔だけを出し、寝癖だらけの白髪を揺らしながらゲラゲラと笑った。
「なんだ少年、ずいぶんとウブな奴なんだな。早いうちに慣れておくんだぞ……おっ、魔女様も来たか。ちょい待ってな、いま外に出る支度をする」
「お、おはようございます、ラヴェンナ、さんっ――」
「まったく、朝から何やってるのよ……」
とんでもない瞬間を見られた彼はやや居心地が悪そうに頬を赤くしていた。
アレンは頭と背中に手をやって土埃を払い落としてから、肩に下げていた編みカゴを掛け直す。服装も動きやすい軽装で、腕や足が布でしっかりと防護されていて足下もぬかりがなかった。これから森に入る格好として申し分ない。
「ラヴェンナさんも、山菜採り、来るんですね」
「ええ、一緒について行こうと思ってね。森はあれから行った?」
「はい。ライラさんと一緒に、薪用の枝を拾いに何回か」
「じゃあ慣れた頃でしょ。でも、だからと言って油断しないでね……」
話をしていると、準備を整えたライラがテントから現れて二人の横に立った。相変わらずの薄着だったが手首やふくらはぎの露出した一部には包帯が巻かれ、草木に負けてしまわぬようしっかり保護されている。頭には、落ち着いた青色のバケットハットがやや傾けて乗せられていて、彼女の褐色肌と白髪をより際立たせていた。
「うし、じゃあみんな揃ったし行くか……アレン、渡した本は読んだか?」
「はい。内容を二周しました」
「うーん上出来だ。さっそく復習がてら探しに向かおう。フィールドワークでは何があるか分からないからな、いざという時の為に、食える奴は覚えておけよ」
「はい!」
「本当に師匠と弟子みたいねぇ」
三人はわいわいと話しながら歩き始める。澄んだ空気はまだひんやりと冷たいが、外で活動している分には心地よい涼しさとなる。
まず最初に訪れたのは、ウィンデル集落を流れる川の河川敷だった。以前にもラヴェンナはここで魚を釣ったり、アヒルを探したりと覚えのある場所だ。川の両側には春を象徴する芽吹きが文字通りに姿を現し始め、今まで色が少なく寂しかった景色も、徐々に活気を取り戻しつつある。
今回用事があるのは川の縁だった。
アレンは最初魚でもいるのかと目をこらしていたが……ライラとラヴェンナが別の方――水中から生えている野草を確認していることに気付くと、二人の考えを理解してあとから続いていった。
「探すと見つからないものね。どこにでも生えてるイメージだけど」
「まあ、そういうこともあるさ……」
「あの、もしかして、いま探している物って」
「クレソンだ。こいつを刻んで肉と合わせるとウマいぞ……見た目はわかるか」
「えっと――」
時には浅瀬をブーツでちゃぱちゃぱ蹴り飛ばしながら、アレンは、ライラからあらかじめ指定されていた野草図鑑の内容を思い出していた。
クレソン。川べり、もしくは川の中に自生している植物で、いわゆる菜の花と呼ばれるものの仲間である。一本のしっかりした茎を軸として細い分枝が何本も伸び、そこへ、卵形のかわいらしい葉が何枚もくっ付いている。葉の色は濃く、暖かい時期になってくると小さな白い花を十字の形につける。そして食用としても用いられ、独特のツンとくる辛い風味が料理のアクセントとして優れている。
ライラはラヴェンナと共に立ち止まって、アレンに先導させた。少年は左右をきょろきょろ見回しながら川沿いを進んでいって……
「……ん?」
水に濡れてつやつやと輝く円い葉の群れを見つけた。高く伸びた個体でもまだ蕾の段階だったため花を見ての同定はできなかったが、アレンの頭の中で「ただの知識だったもの」が実体験を持った経験としてぴたりと嵌り、ひそかな興奮と知的好奇心の満たされる心地よさが波として広がっていく。
たちまち、アレンは声を上げていた。ライラは後方で静かに微笑んでいた。
「ライラさん、ありました! これです!」
「正解! じゃあそれを取っていこうか。目安は片手で握れるくらいだな」
ひとつを見つけてしまえば次のもうひとつ、ふたつを見つけるのは実に造作も無いことだ。アレンがぐんぐんと進んでいくのをライラは追いかけ、ラヴェンナもあとに続いていく。
クレソンは実に生命力の強い葉で、根でも種子でもよく増える。三人全員満足できるだけの量を採ってもなお、川には有り余るほどの群れが点々としていた。ラヴェンナのカゴには、あとでロクサーヌに渡す分も含まれていたのだが。
そのまま三人は森の中へ入っていった。木々が茂る早春の森はところどころに白い雪を残しており、それらの隙間から幸運な根っこと種子が芽を出しては一番乗りを主張していた。
ラヴェンナは澄んだ空気を大きく吸い込みながら、前を歩くライラとアレンの会話へ耳を傾ける。頭上からは春の訪れを待ちわびる小鳥たちの声が聞こえる。
「こういう森はな、あたしたちみたいな人が度々出入りするから、近場には殆ど残ってないことが多いんだ。生えていたとしても、そこにあるものを全部採っていくのはルール違反になるからな……だから、奥まで行って、秘密のポイントを見つけて覚えておくんだよ」
「はい。ライラさんはもう知ってるんですか?」
「秋頃に一度行っただろ、熊に会った時だな……あん時から森の中は一通り回って、だいたいのアテはつけてある。真似はするなよ、あたしは最悪森から出られなくても生きていけるから、無理が利くんだからな……」
「はいっ……」
そのまま歩いてしばらく。太い道から小道へ逸れて更に進んだ先で、ライラは目当ての場所を見つけたらしく駆けていった。後から続いてみると、上から僅かに日の差すところが白く輝いて、そこの土から去年の落ち葉を押しのけるように緑の葉が現れていた。
茎らしい茎はなく、まるで葉そのものが地面から直接生えてきた出で立ちのそれは、細身ながらもしっかりとした長さに伸びて、やや肉厚であった。それらが一枚二枚だけでなく、様々なところからぽつぽつと伸びている。
「えーっと、ライラさん、これはなんでしたっけ」
「こいつはラムソンだ。匂いが特徴的だからすぐに分かる。試しに嗅いでみろ」
「スンスン……あ、ニンニクっぽい匂いがします」
「だろ? ところで魔女様、こいつはどれくらい採っていこうか」
「あまり多すぎても腹を壊すし、合わせて20枚にしましょう」
「ようしわかった。聞いたか少年、合計20枚だ。ただし、株についてる葉っぱを全部もいだらダメだぞ。まだまだこれからだから、株に一枚は残して……」
身をかがめ、必要な分だけを採っていく。ラヴェンナもそれに倣って作業していたところ……ふと、黒魔女は近くの木の根元にうれしい物を見つけた。
そこにあったのは変わった風貌のキノコだ。
白く太い身体を生やした先は黒く皺の寄った傘を被っており、卵形から縦長のシルエットを作っている。もともと膨らんでいた外側が急速にしぼんでこのような皺まみれになった、と言われても信じてしまいそうな形状だった。ラヴェンナは他にも何個かを確認すると、嬉しくなってつい手を伸ばしていく。
「……うん。大体これくらいね。いいものを見つけられたわ」
「おーい魔女様、そっちに何かあったのか?」
「これよ、これ……」
後から追いついてきた二人に見せる。ライラは歓喜の声を上げた後、これが何であるかをアレンに尋ねた。彼は必死に記憶を辿って、これだ、と答えを叫ぶ。
「
「正解だ! こいつはいいもの見つけたな魔女様、大収穫だ!」
「今日はロクサーヌにクリームパスタを作ってもらいましょう。楽しみね……」
「あの……」
採る物は採った、と帰る雰囲気になっている大人二人。アレンはそこまで喜ぶ理由が分からずに首をかしげながら尋ねてみた。
「その、しわしわしてるのって、そんなに良いんですか?」
「良い、なんてものじゃないわ……」
「こいつはな、
ラヴェンナとライラは歯を見せて笑いかけてきた。
まだ知らないことの多い少年は、彼女たちがキノコのせいでおかしくなってしまったのではないかなんて悪い想像を膨らませながら、大人たちのご機嫌な会話に緊張した顔つきで混ざって帰り道を歩いていく。
◆ ◆ ◆
あれから森を抜けた三人は、ラヴェンナの魔女小屋でお昼ご飯を食べることになった。お隣のロクサーヌにアミガサタケを見せるとたいそう喜んでくれたようで、さっそくお昼はキノコを使ったクリームパスタが出る運びになった。アレンはまだちょっとだけ心配そうな顔をしていた。ロクサーヌまでもが満面の笑みを浮かべて、あのしわしわした奇妙奇天烈なキノコを有り難がったのだ……
とはいえ、収穫は他にもある。ロクサーヌがパスタを支度している間、アレンはクレソンを洗ってちょうどよい長さに切りそろえていた。ラヴェンナの小屋を借りていたライラは
蕾も葉も小さいが、茎も含めればなかなかの長さで、口にした時の歯ごたえが期待できそうなものだ。てっぺんには白くかわいらしい花がごく小さくつけられている。
「ラヴェンナさん、それは……」
「
「お、魔女様の庭はいいもの植えてるね……」
「ラムソンは既に漬けてあるわ。そろそろロクサーヌの方もできるだろうから、テーブルの上を片付けて。椅子は外にあったものを持ってきましょう……」
支度を調えていると本当にロクサーヌが皿と共にやってきて、四人分のパスタをテーブルに一皿ずつ並べ始める。牛乳とチーズをふんだんに使ったクリームパスタの純白にあの黒々としたアミガサタケが具として載って、自らの存在をアピールしているようだった。
その横に添えられた皿には、しっかり焦げがつくまで焼かれた厚切りベーコンと、ハコベとクレソンのサラダが取り分けられている。テーブルの中央には何やら黒々とした液の入った瓶が置かれ、中ではラムソンの葉が漬けられている。
「うおおおー! こいつはすげぇ! 食べて良いか?」
「はい。冷める前にどうぞ」
「うひょー、それじゃいただくぜ! あむっ、あむ……」
「じゃ、じゃあ僕も、いただきます――」
ライラとアレンが食べ始めたのに合わせ、ラヴェンナも一緒にフォークを使い始めた。視線を横にしてみればアレンが恐る恐る口にあのキノコを入れていくのが見えて……やがて、一噛みの後に目をかっと開いた。皺のひとつひとつに込められていた旨味が爆発したのだ――少年の興味は、今度はテーブル上の瓶に向けられる。
「あの、ラヴェンナさん、その瓶って……」
「ああ、これは
「へぇ……」
アレンは黒々とした液に浸った葉を一枚とり、グリーンサラダと共に頂いた。
すぐに「ぎゃっ!」と声が漏れる。大人たちが声を上げて笑う。アレンは自分の味覚がまだ子供だと痛感させられながら、周りの素敵な女性たちに年少として見られているのが恥ずかしくなって、うーうーと唸り続けていた。一人前の魔物学者への道は、その一歩を踏み出したばかりだ。