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第104話「ワルプルギスの夜②:ブラックマーケット」

 どこまでも続く漆黒の夜空と、そこで散らされてまたたく星々の下。魔女たちが集う「ブラックマーケット」は何百何千の人であふれかえり、常にどこかから喧噪が響いて止まない。やや縦に長い格子状に走る道の両端には木造で組まれた店がつらなり、前面に張り出した屋根からは暖色のランタンが吊り下げられて、通りと店先を暖色に照らす列が遙か先まで真っ直ぐに伸びている。


 初めてこの場所を訪れたカトリーナがまず感じたのは、場所そのものに宿っているような狂気的な熱量とパワーだ。数多もの魔女たちが己の得意分野を極めてお出しする一方、探す者たちも目を血走らせながら掘り出し物を狙っている。

 嗅いだこともない食材やハーブの香り、聞いたこともない魔物の鳴き声が入り乱れるこの市場は、「魔女の闇市ブラックマーケット」の名に相応しい。


「いったい何人いるんだ? ストーンヘイヴンにも、こんな活気に満ちた場所は無いように見えるが」

「王都にだって無いわよ。そうだカトリーナ、今のうちにやっておきたいことがあるわ。ちょっとおでこを貸して……」

「ん……?」


 ラヴェンナはカトリーナの首後ろへ手を添えると、戸惑いの顔を見せる女騎士に顔を近づけ、額同士をそっと触れあわせた。接した部分がにわかにあたたかくなり、黒魔女が言葉を呟くと振動が直接頭に伝わってやさしく響いていく。

 今回も何を言っているのかは分からなかった。

 だけどその声色は、まるで愛しい我が子へおまじないをする母のようだった。


「……終わったわ。カトリーナ、頭の中で私に強く呼びかけてみて」

「わかった――」


 身体が離された後、言われた通りにカトリーナはラヴェンナの名前を呼んだ。口には出さずに――すると反応があった。周りに負けない声で「聞こえたわ」とはっきりこだまして、カトリーナの頭はやさしく波紋の広がるように震える。


「これで準備完了。もし途中ではぐれて合流したくなったら、私のことをさっきのように呼びなさい。遠くにいたり、取り込み中の時は時間が掛かるけど、それでもすぐに貴女を迎えに行くわ」

「ありがとう。正直、ひとりになったらどうしようって思っていた……」

「来年は貴女も一人で回りたいって思うかもしれないわ。マリーとロクサーヌはもうどこかに行っちゃったみたいね。私たちも見て回りましょ」

「ああ」


 ラヴェンナとカトリーナは二人並んで、魑魅魍魎さえも潜んでいそうな混沌の店々の間を歩き始める。

 巡り始めてすぐに、自前のトランクを引きながら忙しない足取りで広場へ戻る魔女とすれ違った。トランクの中には沢山の物が入っていて蓋が閉まりきらず、若干開いている上から紐を何重にも巻き付けて固定している。隙間からは敷布がぺろりとはみ出て、奥からはカタカタと瓶の揺れる音がしていた。


 通りを行く者たちもひとりひとりが個性強めで見て飽きないが、カトリーナの興味を一番最初に強く引いたのは、通りに並んだ店のひとつ――幾つもの「檻」の並びだ。真ん中に座っていた、民族調の模様と赤いラインの入ったターバンを巻いた店主の女がカトリーナの視線に気付くと早速声をかけてくる。


「見ていって構わんよ。みんな、うちで仕入れて育てた子たちだ……」

「これは……?」


 檻の中には様々な種類の動物が収められている。黄色、緑、黒などと分かりやすい小鳥たちも居れば、気品あるトサカを赤く燃え上がらせる大型鳥や、小さなイヌともオオカミともつかない四足動物の子供、ニワトリと蛇を足して二で割ったような魔物まで見つけられた。

 しかしカトリーナの興味を惹きつけたのは、その中でも一際異彩を放つ、腕も足も持たないまるまるっとした茶色の生き物だ。頭と尻尾は蛇が持つそれに極めて近い一方、身体の真ん中は円盤でも飲み込んでいるかのように膨らんでいる。カトリーナが訊くと、女は饒舌に教えてくれた。


「こいつは“ツチノコ”だよ。遠い島国の巫女から譲り受けてな、ようやくうちで繁殖の方法が分かったんだ。人懐っこくて可愛い見た目だろう? 国によっちゃ伝説の珍獣扱いで、見つけた奴にとんでもない賞金が出る……らしい」

「買う人はいるのか?」

「いるとも! こいつを人間たちの前に持っていけば、それだけで見物料を取れるだけの良い見世物になる。実際、そういうので食ってる魔女も少なくない」


 すると横から別の魔女……というよりは、まだ背も伸びておらず十歳にも満たない少女が二人現れて、檻の中に入っている動物たちを前にきゃっきゃと喜びの声を上げ始めた。カトリーナは店主の女に礼を言ってから離れ、近くの店で紺色の星織物ほしおりものを見ていたラヴェンナのところへ戻る。


「突然足を止めてすまなかった、つい気になってしまって」

「いいのよ、そういう場所だから。何を見ていたの?」

「ツチノコを少しだけ……」

「いいわよね、ツチノコ……」


 二人は穏やかな言葉を交わしながら、次に興味をかき立ててくるものを探して市場を練り歩く。その間にも特色ある店の数々を通り過ぎた。乾燥ヤモリやドラゴンの鱗などの素材を取り扱う店や、様々な材質で作られた「魔法の杖」を扱う店に、独自の薬草学研究をまとめた本を売っている店……これだけの人が集っていると言うのに、同じような構えは一つとして存在しない。


 そんな中でカトリーナの目を惹いたのが、みすぼらしい格好で看板を抱えて、目をうるうるさせていかにも可哀想な風を装っている魔女だった。ぼろぼろになっているローブの下からは日に焼けた脚と手作りサンダルが見えて、彼女の前には流木やらヤシの実やら白珊瑚の欠片やらが「売り物」として並んでいた。

 看板にはこう書いてある……「無人島に流されました」「恵んでください」。

 カトリーナが足を止めてその様子を見ていると、ラヴェンナが彼女に近づいて膝を折り、ローブの懐から何かをもぞもぞ探りながら声をかけた。


「はいはい、今年もいるのね。一年間生きてておめでとう……」

「ああぁぁぁ、ラヴェンナ様! そうなんです、去年もなんとか頑張りました」

「今年は……あったあった、はい、読んで年単位で放っていた小説よ……これでたまには文化に触れなさいな」

「うわぁぁぁぁん、ありがとうございますっ……!」

「……ラヴェンナ、知り合いなのか?」


 あまり状況を理解できていないカトリーナが横から尋ねると、乞食然とした女が先にすべてを答えてくれた。誰かと喋りたくてたまらなかったのだろう、つらつらと一気に話し倒してくる……


「えっと、私の元々住んでたところで病気が流行っちゃって、その時に町のみんなから『病気の原因はお前のせいだ!』と言われて、そのまま一人で島流しにされちゃったんです! 最初は本当になんにもない、ぺんぺん草も生えないようなところで、それでも貝を拾って、魚を捕って、ヤシの実を拾って育てて、なんとか生き延びて、年一のワルプルギスでみんなから助けてもらってて……」

「はいはい、落ち着きなさい。それで、島の暮らしは良くなりそうなの?」

「今年はちゃんとした箒を買って帰ります。あと、去年に“海の魔女”に誘われてカヴンに入ったので、近いうちに遊びに来てもらう予定です。うへへ、誰かが遊びに来るなんて十何年ぶり……」


 話を聞いていたカトリーナは、売り場に並んだ物の中から手頃な大きさの流木を取って、様々な角度から見始める。やがてその流線型や素朴な外見を確かめてから、はっと顔を上げる無人島乞食と目を合わせた。


「こいつを貰っていこう。いくらだ?」

「えっ……え! えっと、えっと……それなら銅貨で――」

「銀貨一枚よ。カトリーナ、ここは私が出すわ」


 ラヴェンナは懐からさっと銀貨を取り出すと、それを女の手にしっかりと握らせた。彼女は今にも大声で泣いてしまいそうなのを堪えるようにぐすぐすと鼻をすすっては肩を震わせている。


「ありがとう、ございますっ……でも、なんで?」

「いや……大した理由じゃない。いいなって思っただけだ……」

「もしウィンデルまで来られたなら、その時は遊びに来なさいよ。それまで変な死に方をしたら許さないんだから」

「はいっ、がんばります……! ほんとにありがとうございます!」


 それを最後に二人はこの場を離れた。カトリーナは手頃な流木を腰巾着の中へ入れながら、ふと気になっていたことを尋ねる。


「買ってから言うのもなんだが……あれは、そういう芸ではないのか?」

「どっちでもいいわよ。それに、無視した次の年で見かけなくなるようなことがあったら、長い魔女人生の中でずっと引っかかり続けるわ」

「そういうものか……」

「あと、昔のマリーを思い出すのよね。これは私の個人的なことだけど……」


 角を折れて更に進めば、道の両側に並ぶ店の一つから見覚えのある人物が笑顔で声かけしてきた――


「ラヴェンナ~!」

「……セレスティア?」


 こんなところにまで!

 魔女たちが各々のやり方で店を構えている中、その道のプロフェッショナルであるセレスティアが見事なレイアウトで商品を並べては客待ちをしていた。普段の行商とは違い、完全に「ワルプルギス向け」に設定された商品たちがずらりと並んでいる。買ってすぐに使える塗り薬、箒の緊急修理キット、たくさんの物が入る布バッグに、おいしいみず……

 しかしその中でも一際目立つのが、アリアのお店にも並んでいた、魔物の形を精巧に象ったフェルトぬいぐるみの列だった。魔女もよく知る者たちがかわいらしくデフォルメされたそれらを、セレスティアはなんと全世界に売り込もうとしていたのだ!


「相変わらず商魂たくましいわね、貴女……」

「うふふ、せっかくのワルプルギスだもの。こんな絶好の機会は絶っっ対に逃せないわ! ところで――」


 セレスティアの関心はすぐに、ラヴェンナの隣に立つ新米魔女に向けられた。同じ街に住んでいる上に今日は鎧姿なのだ、一目見て間違いようもない! 先にカトリーナが口を開き、若干の照れくささと共に挨拶をする。


「……その通り、騎士団長のカトリーナだ。まだ表には言っていないが、一応、だ。今はラヴェンナに色々教えてもらっている……よろしく」

「まあっ……!」

「意外な反応ね。てっきり、貴女は前々から知っていたものかと」

「むぅぅ、なんだか最近、団長さんがお外に出るなって思ってたけど……」


 若干悔しそうな顔のセレスティアはしばらく、カトリーナとラヴェンナを交互に見てから目をぎゅっと瞑って「むきーっ!」と癇癪じみた声を上げる!


「まさかもうそこまで仲良くなっていたなんて!」

「いや、そういうのじゃ……」

「あらあら、飲んだ後はあぁんなことをしてきたのに」

「あぁんなこと!? ラヴェンナ、私とは遊びだったのね~!」

「ラヴェンナまで、やめてくれっ! ちがう、ちがうんだ――」

「あっはっはっは! ごめんなさい、面白くてつい……」


 ひとしきりからかい終わってからラヴェンナはケラケラ笑った。カトリーナは珍しく顔を真っ赤にしてうろたえていたが、ふとあることに思い至ると、今度は逆にセレスティアの顔をまじまじと見つめ始める。


「ところで、会長がこの場にいると言うことは、あの噂はやはり……」

「噂ってなあに?」

「ああ、えっと……商工会会長は、実は魔女なんじゃないかって話で……ほら、ああいうのは設立者の名前がついているものだろう? 商工会ができて百年以上も経つのに今も代表が“セレスティア”で……」


 今度はセレスティアが顔を歪める。まるで考えたこともなかった様子だ!


「もしかしたら、前々からずっとバレてたかも……毎日違う香水使ってたのに」

「まあ、良いじゃないの。“公然の秘密”よ。ほら、お客さんが来たわ」

「わあっ、いらっしゃいませ!」


 丁度そこへ別の魔女がやって来て、セレスティアが棚に並べていたぬいぐるみをまじまじと眺めては、やがて人差し指をピンと立てて一つを指さした。新しくラインナップに並んだばかりの「ドラゴンくん」だ。緑色で、まるまるっとしている身体はかつて出会った“彼”を彷彿とさせた。


「このぬいぐるみは、なにか、依代として使うことはできますか?」

「だったらユーザーの意見を聞いてみましょう。ラヴェンナー」

「ああ、それならね……ほら、出ておいで」


 ラヴェンナは被っていた魔女帽子をとんとんと軽く叩いた。するとそれが内側から持ち上げられて、頭の上から「ミノタウロスくん」が現れる! 彼は持ち主の手のひらに飛び降りると、そこでエッヘンと胸を張って堂々と立った。

 これにはお客さんも大喜びである。

 横を通り抜けようとしていた魔女たちも思わず立ち止まっていた!


「ほら、この通り。毎日しっかり手入れしてあげれば、本当にいい眷属になってくれるわよ。ああもう、こんなに可愛い……」

「かっ、買います! この“ドラゴンくん”をください!」

「はーい、ありがとうございまーす♪」


 商売人モードに戻ったセレスティアはすぐにそのぬいぐるみを手に取り、買った後の手入れや何かあったときの対応、そしてアリアの店に関するメモを渡して商品説明に入っていた。

 カトリーナとラヴェンナは店主に手を振ってから次の店へ歩き始める。ミノタウロスくんは腕から肩をよじ登っては、ワルプルギスの人だかりにびっくりしてから、安心できる魔女帽子の中に自ら帰っていった。


 そんなことがあってもまだ、二人はこの市場を半分も回り切れていない。

 ラヴェンナは休憩がてら催事場へ行こうと提案した……「魔女の箒レース」の始まる時間が近づきつつあった。

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