「えっ、先生たちが第一発見者だから犯人に疑われている……!?」
「……嫌な予感がして早く起きたら、まさか本当にこうなるとはね」
閑静だったはずの裏地は、今朝の騒動を聞きつけた住民の通報ゆえに警察と野次馬でごった返していた。そんななか、僕と巨漢の新聞配達員は二人の警官に見張られながら民家の門前で待機を余儀なくさせられている。こまねもこの騒動を聞きつけてやってきたらしい。
「しかし、酷い状態らしいですね……。顔が切り苛まれていたと聞きました」
「こまねは見ないほうがいいよ。僕だってまだ気持ちが悪いし──ほら、彼も」
胸の悪さをごまかすように溜息を吐きながら、奥の用水路で警官に支えられてうずくまっている巨漢の若い新聞配達員を指さす。あの男性こそが僕よりも一足先に現場を発見した張本人だ。とはいえ、ただの配達員がなぜ民家に足を踏み入れたかは疑問なのだが……。
「それより、こまね。ちょっと話なんだけど……」
「……? はい。えっ、内緒話ですか……?」
同情の視線を向けている彼女にそのまま手招きをして、少しかがみながら耳打ちする。
「今回の件も化生絡みだね。警官に言っても無駄だけど、現場に邪気が残ってたよ。あの人たち、化生とかの存在は認知しているくせに自分では対処できないからタチが悪いんだ」
「えっ……!? ちょっと待ってください、それってかなりの問題じゃないですか……!」
「うるさいぞ、不審な行為は慎め! 特に青年、お前は捜査の重要人物かつ容疑者だからな。調査に協力するつもりがないなら強制的に署に送り込んでもいいんだぞ。分かってるか?」
──すぐ傍で控えていた警官に怒鳴られる。うろたえるこまねの前に立ち、体裁を保つためだけに謝っておきながら、ひとまず今後の動きをどうするのか彼女に訊いた。化生が関わっているということは確定事項だ。こうなると、単なる殺人事件としては捉えられない。
「しかし、先生……。化生が絡む以上、こまねたちが捜査しなければ意味がないのでは? 下手したら警官さんに負傷者が出かねない状況だと思うのですが……どうなのでしょう」
「……そう、だけどね。素直に言ったところで彼らが聞いてくれるものだか。そもそも現状、どんな存在を犯人だと想定しているのか、そのあたりも気になるね……訊いてみよう」
おずおずと頷いた彼女を横目に、僕は先程の警官に声をかける。
「すみません、貴方がたの上司を──現場の指揮官と話をさせていただけますか? 実は捜査の進行に関わる極めて重大な情報を持っているのですが……どう話をしたものかと」
「なっ……本当か!? なぜ早く供述しなかった!」
「だって、この怪事件の犯人が化生だ……って言ったら、貴方がたでは対処できないでしょう? 真相に辿り着けても、それを退治するのは専門家の仕事だ。ましてや迅速な──」
「──しょっ、少々お待ちください! ただいま警部補を……!」
慌てた態度でどこかへと向かっていく彼の背中を眺めながら、僕は呆れ混じりの溜息とともにこまねの顔を見た。どうなるんでしょうね、と苦笑する彼女に合わせて首を傾げる。
しかし、価値の有無で人によって態度を変えるのだから、まったく人間は嫌いだ──などと思っていると、途端に辺りに響くような大声がした。あまつさえ、聞き覚えのある声音で。
「おい綺月! 勝手に首突っ込んで俺の邪魔をするたぁ殊勝だなぁ!?」
「げっ……なんでここにいるわけ、おバカさん」
「俺がここにいたら悪いか? お前と違って警部補に呼ばれたんだよバーカ!」
やかましくがなり立てる洋装の嘉中に耳を塞ぎながら、今日はベレー帽ではなくて中折れ帽なんだな……などと、どうでもいいことを考える。彼にしてはよく着こなしたものだ。現代風の風采の良い青年という感じがするし、人前に出るならあのほうが向いている。
ああだこうだと人知れず審美したところで嘉中の言葉を反芻し、適当に相槌を打った。
「呼ばれた……推理作家だからか。それなら作家を辞めて探偵にでもなれば?」
「それなら兼業で──って……おい、その猫又の子が前に言ってたお前の同僚か?」
「うん、雑務から仕事まで優秀な子。……こまね、彼が例の柳葉嘉中だよ。覚えてるかい?」
「先生の友人、ですよね? 初めまして、丑三堂の看板娘のこまねと申しますっ」
「え? あっ、あぁ……作家の柳葉嘉中です。綺月先生とは仲良くさせてもらっており──」
こまねが丁寧に頭を下げたのに合わせて、彼も慌てたように帽子を脱いで挨拶を返す。歳が下の少女にさえうろたえているのはどうなのだろうか──と思いながら、綺月先生だのと敬称を使われたのがどこかむず痒くて、遠慮なく嘉中の頭を平手で叩いた。良い音だ。
「いッ……! なにすんだよいきなり! 変なことは言ってねぇだろうが!」
「それよりも本題に入ろうよ、おバカさん。さっきから背後で警部補が待機してる」
「はっ……!? テメェのせいだろ! すみません伊沢さん、綺月が邪魔をして──」
初老らしい警部補へ彼が弁解に入ったのを確認すると、こまねが耳打ちで訊いてくる。
「あの……柳葉さんは作家ですよね? なぜ警察さんと一緒に……?」
「嘉中は推理作家としての感性が良いんだ。事件によってだけど、現場や周辺の状況証拠をもとに有力な捜査の筋道を立てられる。だから初動ではこうやって重宝されるわけだよ」
「……じゃあ、あの警部補さんと柳葉さんはお知り合いということですか?」
「嘉中が事件に巻き込まれた際、その時の捜査を担当したのが彼らしい。容疑者のはずが事件解決に貢献したものだから、顔と名前を覚えられてね……。今ではご覧のとおりだ」
そんなこともあるものですか、とこまねが呟いた直後、話を終えたらしい嘉中と伊沢警部補がこちらに視線を遣ってくる。軽く会釈をすると同時に手招かれた。いよいよ本題だ。
「貴方が作家の綺月先生か。お話は柳葉くんから時々ながら聞いているよ」
「いえ、恐縮です。それより──どうお考えですか、先程の件は」
白髪の生え際を掻き上げながら、警部補は背広の襟を直して、それからややシワの刻まれた目蓋を閉じる。初老だ、と感じるには充分な印象だった。わずかな緊張感とともに彼は口を開くと、これまた年配らしい少ししゃがれた声で、周囲の喧騒を払うように話し始める。
「先生は何ゆえ、化生が本件に関与していると推理なされたのかね」
「化生特有の邪気を現場に感じましたので。隣のこまねも同様です。行けば分かりますよ」
「ふむ……確かにお二人には分かるのだろうが、それは我々には感知できない。疑うわけではないけれど、確固たる証拠がなければ、我々としても容易に動けないものでね」
「化生がその場にいただけなのか、或いは本当に殺したかの確証が欲しいんだよ、俺たちは。いるいないなんて視える人間なら誰でも分かることだろうが。それとも確証があるのか?」
「昨日、猫又に襲われた婦人に聴取をしてきた。そこで感じた邪気と同じものだよ、これは。三毛の猫又がいれば恐らく犯人だし、邪気の残り方も遺体の傷口まで染み込んでいる」
ここまで情報を渡したところで、「ひとまず現状の予測というものを聞きたいな」と、わざとらしく嘉中を一瞥する。警部補にも視線を送られて、彼はやや面倒そうに民家を指さした。「状況証拠を説明するために現場へ通す。くれぐれも不審な真似や騒いだりはするなよ」
覚悟を決めたように頷くこまねを横目に見ながら、事件のあった民家の屋内へもう一度入る。僕の背後に引っ付きつつ歩く彼女に苦笑しいしい、「無理しないでね」と囁いた。やがて例の台所に入ると、先程よりは劣るが臭気が酷くなる。遺体には布が被されていた。
「──仏様は老齢の婆さんで、顔を切り苛まれたほか毛髪が頭皮とともに散乱。まな板の上には腐りかけの魚、そこから落下したと思われる刺身包丁……これは足の甲にある傷跡と一致した。諸々あるが、いちばん気がかりなのはこれだ。ここにある硝子戸なんだが……」
嘉中が指さした場所を覗き込む。血溜まりから少し離れたところに庭へと出る裏口があって、それは薄手の硝子をはめこんだ引き戸になっているらしい。取っ手付近と下部が小さく範囲を定められたように割れており、破片は屋内外それぞれに向かい散乱している。
「……第一発見者ってあの配達員だよね。彼は玄関じゃなくてこの裏戸から入ってきたんだろう? この真ん中に空いている穴は鍵を開けようとしたものだとは分かるけど、下側の穴は何のため? 内側から外側に出て行った痕跡がある以上、無視はできないよ」
「飼い猫だろ。見分の時点で最低一匹いたことが分かってる。毛の色は黒と茶、白……さっきテメェが言った三毛猫の特徴とも一致する──が、今、それは抜きだ。たかが猫ごときに凶行は不可能だからな。この惨状に半狂乱で窓を突き破ったんだろう。こんな薄い硝子さ」
じゃあ、いったい誰が犯人なんだい──と僕が言うより早く、嘉中は口を開いた。
「……強盗に見えるが、息子が怪しいんだよ、これは。近隣の証言からしてもな」
「息子さん……ですか? 仏様にそんな方がいらっしゃったんですね……」
「あぁ、この家には後付けの地下室があるらしいんだが、そこに籠もっていた。……伊沢さん、改めて容疑者二人の聴取をしたいから、申し訳ないですが呼んできてもらえますか? それと司法解剖のための医師がもう少しで遺体を引き取りに来るはずですが、その確認も」
警部補は軽く頷いて部屋を後にすると、他の警官にも伝達をしつつ往来のほうへ戻っていった。入れ替わりに二人の容疑者──第一発見者である巨漢の配達員と、長羽織に身をまとった病弱らしい痩身の男性がやってくる。嘉中は彼らに視線を遣ると、すぐに補足をした。
「まず新聞配達員、この五平という男が第一発見者だ。婆さんは贔屓にしている顧客で、付き合いはおおよそ半年。表層的な関係に問題はないが、心境に抱えるものあり、だな」
巨漢の割に態度は大人しく、五平という青年は相変わらず押し黙ってバツが悪そうにしている。その様子を不安そうに見つめているこまねをよそに、嘉中はまた続けた。
「そんで、こっちが婆さんの息子、真彦だ。庭から降りる地下室で就寝中のところを確保」
「確保って……俺はただ寝ていただけだ! 母の死には関与していないのにどうして疑われる筋合いがある? 疑るというなら第一発見者のこの若者を真っ先に怪しむべき──」
「おじさん、アンタ一昨日の晩におふくろと口論になったろ? 近隣にまで響いてたぞ」
真彦といった中年の男性は後ろに組んだ手を握り直しながら、引きつった表情を隠そうともしないままに警戒心を強める。……しかしこうなると、動機次第では本当に人間が犯した凶行、ということも有り得るのだろうか? この家の飼い猫が猫又になり、変化が未熟ななかで暴走したというのが現状の仮説なのだが──それは後回しにするべきだろうか。
「まぁ、配達員の五平もアンタも、まだ犯人だという絶対的な確証はないんだ。だからそう事を荒立てるな。一つずつ粗を探していけば自然と結末には辿り着くんだからな。──怪しい、とはいえど、犯人だ、とは確信していない。ここを間違えてもらっちゃ困るぜ、俺は」
そう言って、嘉中はそのまま僕のほうに視線を遣る。
──見とけよ、と動いた唇に一笑した。
「……じゃあ、捜査はやっぱり嘉中に任せようかな。僕は後でいいからね」